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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
穢れ火戦争編

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翼の民の寝床

 谷の空気が、さっきまでと少し違っていた。


 人の匂いと煙の匂いはそのままなのに、

 そこに「木の粉」や「土をひっくり返した匂い」が混じり始めている。


 工部尚書から来た技術者たちが、一斉に動き出したからだ。

 ――工部卿が「最優先案件だ」と言って送り込んだ連中らしい。動きが遠慮なく速い。


「ここを通路にします! 杭、三本!」

「洗い場はこっちに寄せろ! 飲み水の水路と交わるな!」

「便所は風下! 焚き火の筋と被らないように!」


 あちこちで怒鳴り声が飛ぶ。


 土に木杭を打ち込む音。

 石灰で白い線を引く音。

 板を運ぶ荷車のきしみ。


 谷底に、簡易な「線引き」が描かれていく。


 寝る場所。

 食べる場所。

 水を汲む場所。

 洗う場所。

 出す場所。


 それぞれを、できるだけ離しつつ、人と動線が無理なく回るように。


(さすが工部尚書。仕事が早いな)


 俺は、彼らの動きを横目に見つつ、別の「仕事」のために歩いた。


 目指すのは、谷のやや奥――

 焚き火のすぐ傍に張られた、布と木でできた小さなテントだ。


 医務テントとまではいかないが、「半分休憩、半分観察用」みたいな場所。


 その入口に、黒い羽根が見えた。


「フレイヤ・シルヴァレイトさんは、こちらで良いですか?」


 テントの前に立っていた日鴉の若い兵に声をかける。


「ああ。中にいるよ。今なら話せると思う」


 兵が布をめくる。

 中は、焚き火の熱がわずかに届いていて、外より暖かかった。

 木箱を積んだ簡易の腰掛けに、黒い翼の女が座っている。


 片方の翼は布で吊られ、根元には包帯。

 髪にはまだ灰が残っている。


 けれど、その目は煙にも涙にも濁っていなかった。


 フレイヤ・シルヴァレイト。

 山岳猟兵――日鴉族のまとめ役。


「お邪魔します」


 声をかけると、フレイヤがこちらを一瞥した。

 上から下まで、じろっと値踏みするような視線。


「……アンタが、帝都で噂の“畑で国ひっくり返した変人”かい?」


「そういう紹介のされ方してるんですか、俺」


「グライフェンタールさまが言ってたよ。

 “理で土を動かす変人を呼ぶ”ってね」


 フレイヤは片口を吊り上げて笑った。

 皮肉交じりだけど、その奥にほんの少し期待が混ざっている。


「ツチダです」


 改めて名乗り、一礼する。

「帝国農政顧問。

 今回は避難所の整備と、飯と水と衛生をどうにかする担当です」


「フレイヤ・シルヴァレイト。

 日鴉族の有翼猟兵の頭……だった、って言ったほうが今は正しいかね」


 肩を竦める。


「翼ぶっ壊れてるし、山ももうアタシらの庭じゃない。

 今は、ここで子どもらのお守りさ」


「その“お守りの目”が一番欲しくて来ました」


 俺は木箱を指して言う。


「ここ、座っても?」


「どうぞどうぞ。尻が痛いって顔してる」


「よく分かりますね」


「アタシもさっきまで尻が痛かったからね」


 木箱に腰を下ろすと、テントの布越しに外のざわめきが聞こえた。


 工部尚書の連中が杭を打つ音。

 子どもたちの笑い声。

 どこかで誰かが咳き込む音。


「で?」


 フレイヤが顎をしゃくる。


「何を聞きたい?

 “空飛べていいね”って話なら、今は聞く気分じゃないけど」


「そんな無神経じゃないですって」


 苦笑しながら言う。


「まずは、飯と寝床の話です」


「現実的だね、アンタ」


「まあ、それしか能がないんで」


 フレイヤは鼻で笑って、でも続きを促すように顎をしゃくった。


「日鴉族の食文化、帝都でもちょっと噂は聞いてるんですが――」


「“山の獣を生で齧る野蛮人”とか?」


「そこまでではないです」


「じゃあ、実際は?」


「帝国の山村と、大差ないよ」


 フレイヤはあっさり言った。


「麦の粥。

 黒パン。

 芋。

 干し肉と燻製。

 たまに獲れたての獣の肉を焼いて食う」


「肉、多め、って感じですか」


「山じゃ畑の面積が限られてるしね。

 羊とヤギ、それから獲物。

 肉と脂がないと冬越せない」


 彼女は翼の先で空を指し示す仕草をした。


「空飛ぶ分、余計燃料がいるのさ。

 細っこい体で翼動かしてんだから、

 帝国人よりちょい多く食わせとかないと倒れる」


「了解。

 じゃあ避難所の配食は、日鴉の分だけ少し肉と脂を多めに回したいですね」


「グライフェンタールさまの倉、もう悲鳴あげてるよ?」


「帝都からも穀物と豆が来ます。

 肉は限界ありますけど、“脂の出る部位”の使い方で誤魔化します」


「誤魔化す、ね」


 フレイヤがくくっと笑った。


「いいね、そういうズルい理は嫌いじゃないよ」


「もうひとつ、寝床の話を」


「ああ」


 フレイヤの表情が少し真面目になる。


「帝国式のベッドを、そのまま日鴉に渡すと、だいたい喧嘩になるよ」


「やっぱり」


「羽根を広げて眠るって聞いたんですけど、どのくらいの幅を取ります?」


「人によるけど――」


 フレイヤは、自分の背中の翼を少しだけ伸ばして見せた。

 包帯がきゅ、と鳴って、灰の匂いがふっと揺れる。


「アタシくらいの体格で、翼を楽に伸ばして寝ようと思うと、帝国の“ダブルベッド”一人分って感じだね」


 頭の中で、板材の枚数が一気に跳ね上がった。


「……一人で、ダブル相当」


「翼をたたんで寝ることもできるけど、そうすると夜中に攣ったり痺れたりしてさ。

朝から機嫌が最悪になる」


「それは避けたいですね」


「だから、床に布団敷くとしても、一人あたり横幅はそのくらい見ときな。

夫婦や親子は重なって寝るから、少し詰められるけど」


「了解。……高さはどうです? 地べたでも平気ですか」


「本音言うと、ちょいと高いところのほうが落ち着く」


 フレイヤは視線を上にやった。天井の布の向こうを見ているのに、目はもっと高い場所――崖の縁みたいなところを見ている。


「崖の縁とか、木の枝とか。そういう場所で育ってきた連中だからね。

壁に背中預けて、ちょっと高さがあるだけで全然違う」


「じゃあ、板をかさ上げして、簡易の“すのこ”か……小さいロフトみたいなの作ります」


「そんな贅沢して大丈夫かい?」


「土を踏み固めて床板敷くだけでも、寒さも泥もかなりマシになります。高価な木材じゃなくていいですし」


 ツチダは言いながら、外の杭打ちの音に耳を澄ませた。

 あの音が、ちゃんと“暮らし”に繋がってくれればいい。


「……最後に、羽根のことを教えてください」


 俺がそう言うと、フレイヤの目が少し細くなった。


「羽根?」


「さっき外で、子どもたちが羽根を布で巻いてましたけど――」


「ああ、あれね」


 フレイヤは、自分の翼の先を軽く撫でた。指先が羽根を梳くたび、微かな擦れる音がする。


「羽根はね、空気の流れを捉えるためのもんさ。……目みたいなもんだよ、空を飛ぶときの」


「……目、ですか」


「風の向き、温度、湿り気。全部ここで感じてる。だから凍ったり、感覚が鈍ったりすると――飛ぶのが怖くなる」


 一瞬だけ、フレイヤの視線が遠くへ跳んだ。

 火の粉と煙の向こうに、まだ残ってる何かを見ているみたいに。


「この数日、何度かそんな奴を見たよ。火から逃げるのに、翼が利かない。羽根が凍って、風が“見えない”んだ」


 喉の奥が、ぎゅっと締まった。


「……それって、凍傷ですか?」


「そう。指先の感覚が死ぬのと同じで、羽根の先っぽが、まずやられる」


 フレイヤは肩をすくめる。軽い仕草なのに、悔しさが滲んだ。


「だから“羽根保護の防寒具”は必須だね。身体より先に、翼を包んでやらないと」


「どう包むのが一番いいです?」


「翼を畳んだ状態で覆える長い外套とか、羽根を挟み込める二重の布とかさ。指抜きの手袋みたいに、翼の“骨”の部分だけ留めて、羽根を布の中に入れられるやつ」


「……工部(現場)と、縫製の連中にすぐ相談します」


 メモ用紙を出して、走り書きする。


 ・一人あたりダブル幅

 ・背中を壁につけられる少し高い寝床

 ・翼ごと包める外套/専用防寒具


「アンタ、本気で全部やる気かい?」


 フレイヤが呆れたように笑った。


「帝国の倉も、グライフェンタールさまの胃袋も、破裂するよ?」


「帝都の倉はディートリヒ陛下とリヒャルトがどうにかします。グライフェンタール様の胃袋は……まあ、頑丈そうですし」


「はは。言うじゃないか」


 フレイヤの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「分かったよ。日鴉の“癖”は、アタシが全部教える。

アンタら帝国の理で、うまく“形”にしてみな」


「それが一番助かります」


 テントの外で、杭を打つ音がまた一つ増えた。


 谷底に、少しずつ線が引かれていく。


 人の流れの線。

 水の線。

 寝床の線。


 そこに今、日鴉族の「食」と「寝方」と「羽根」の線も加わった。


(よし。

 とりあえず――

 一人につき“ダブルベッド一枚分”を確保していこう)


 胃の痛みと一緒に、妙なやる気がじわじわ湧いてきた。

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