帝都西方街道 揺れる荷馬車と遠い山影
ガコン、と車輪が石を踏んだ衝撃で、尻がもう一度、いい感じに痛い。
「……六輪式の大容量輸送テストとか言ってましたよね、工部尚書殿」
思わず恨み言が口をついた。
俺を乗せた四輪、その前後を行く六輪の荷馬車は、帝国が威信をかけて開発中の“次世代輸送車両”だそうだ。
街道の摩耗を抑えつつ、一挙に従来の倍の物資を運ぶ。理屈はわかるが、おかげでこっちは止まるたびに、試験運用の点検待ちに付き合わされている。
「街道が整備されてるうちに、不具合を出し切りたいんでしょうけど……」
荷台を長くして、車輪を二対から三対に増やした大型荷馬車。
前から見れば四頭立て、後ろから見れば木の箱が延々と続く化け物だ。
その化け物が、街道を埋め尽くしていた。
先頭には近衛の騎兵。
その少し後ろに、クローディアとリベラゴールの姿がある。
二人とも騎馬隊の列にいて、馬を並べて何やら話し込んでいた。
リベラゴールは普段、山道を自分の脚で駆け回るタイプらしいが、さすが護衛の戦士長。
騎乗姿も板についている。
月兎族特有の長耳が、風に揺れていた。
◇
街道は帝都を出てベイリア平野に入りかけたところだ。
帝都城壁が遠く霞み、麦畑と放牧地が途切れ途切れに続く。
この先に本格的な平野、その向こうにグライフェンタール領の丘陵と山の裾野が待っている。
その全部を、俺たちの車列がゆっくりと進んでいた。
四輪の荷馬車には、人。
イースタシアの治癒術師と薬草医たち。
帝国の医務官。
農政改善室の学者たち。
六輪の荷馬車には、荷物。
木材の梁と板。
布と縄。
簡易バラック用の鉄釘。
鍬、スコップ、鎌、樽。
芋と豆と干し肉。
そして、帝都工部尚書付きの技術者たちが大事そうに抱える、簡易上下水の部材。
帝国の街道を、戦車ではなく“避難所一式”が行軍しているようなものだ。
「ツチダ殿、酔っておられませんか?」
向かいの座席から、内務尚書から出向の若い官吏が心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫です。
尻が痛いだけで、頭は冴えてますから」
「それはそれで問題な気もしますが……」
彼は苦笑し、また帳面に視線を落とした。
荷馬車の中には、簡易の机代わりに木箱がひとつ。
そのうえに、避難民数の推計や必要資材の一覧が広げられている。
日鴉族 既収容:1000人以上
山中推定:1000〜3000?
仮設住居 一棟あたり:家族4〜5人想定
必要棟数:最低300~500……
紙の上の数字だけで、もう胃が重くなる。
「――前方、六輪、点検停止入りまーす!」
外で御者の怒鳴り声がした。
続いて、ギギギ、と金属と木が悲鳴を上げるような音がして、ゆっくりと車列が止まる。
「またか」
思わず呟くと、隣に座っていた農政改善室の学者が、申し訳なさそうに帳面を閉じた。
「すみません、ツチダ殿。
あの新型、直進の安定性は抜群なのですが……
カーブを曲がるたびに、車軸に想定以上の負荷がかかるようで、一定距離ごとにグリスの差し込みが必要なのです」
「まあ、試作品ってのは、そういうもんですよね……」
帝国の物流改革への熱意は本物だ。
車輪を増やして一輪あたりの接地圧を下げ、石畳を砕かないように配慮しつつ、従来の倍の物資を一度に運ぶ。
その理論を証明するために、今俺は尻を犠牲にして「実証データ」を積み重ねているわけだ。
問題は、目的地に着くまでに六輪車の車軸が悲鳴を上げるのが先か、俺の尻の我慢が限界を迎えるのが先か、ということだった。
窓から顔を出すと、前方でクローディアが馬を止めてこちらを振り返っていた。
「ツチダ!」
「はーい!」
手を振ると、彼女は馬を寄せてきた。
「六輪の前の道に、荷崩れした荷馬車があるそうですわ。
先に人だけ通して、荷は少し迂回路を取らせると」
「了解です。
医療団を先に行かせましょう」
リベラゴールが、クローディアの向こう側から顔を出した。
「山の入口まで先行して、道の状況を確認しておく。
現地の案内も合わせて、このわがままな六輪馬車が危険な箇所を洗い出しておこう」
「頼りにしてます」
リベラゴールは、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「その代わり、飯には期待してる。
日鴉も月兎も、空腹だと機嫌悪くなるから」
「ええもう、そこは全力でがんばります」
そのやり取りを見ていた内務官が、苦笑まじりに呟いた。
「戦に向かう、という雰囲気ではありませんね」
「戦場“にも”向かってますけど、
俺たちの主戦場は避難所と畑と台所ですから」
列がゆっくりと再び動き出す。
荷馬車の揺れに合わせて、頭の中で段取りを並べる。
グライフェンタール領の砦周辺――
あの仮の避難所を、どうするか。
水場の確保。
仮設便所の配置。
泥濘化対策。
炊き出し場の位置。
子どもと負傷者のテント。
日鴉族の翼を考えた寝床。
(山から降りてきて、いきなり“普通の地べた”で寝ろってのは、たぶんキツいよな)
そんなことまで、ひとつひとつ考えなきゃいけない。
「ツチダ殿」
向かいの学者が、資料を一枚差し出してきた。
「グライフェンタール領から帝都に上がってきた報告です。
すでに避難民は千を超え、今日明日でさらに増える見込みと」
「……うーん、数えても、胃が痛くなるだけなんですけど」
「ですが、数えなければ、準備もできません」
「はいはい、分かってますって」
苦笑しながらも、紙を受け取る。
窓の外、遠くに山の影が見え始めた。
グライフェンタール領の山々――サルヴァの牙の東側斜面。
その向こうで、神聖国の浄化師団が火を放ち、
日鴉族の集落を焼いている。
東の海では、瘴気が人を襲っていた。
西の山では、人が人を焼いている。
「ツチダ」
クローディアが、馬上から少し声を落として呼びかけた。
「怖くなりました?」
「いや」
正直に答える。
「怖いまでは、まだいってないです。
ただ――」
「ただ?」
「仕事がまた増えたなって」
クローディアは、呆れたように笑った。
「あなたは本当に、
“怖さ”より先に“仕事量”を数えるの、やめませんこと?」
「怖さは、あとから勝手に来ますからね。
仕事のほうが先に数えとかないと、マジで死ぬの俺たちですし」
「そうですわね」
彼女は空を仰いで、息を吐いた。
「なら――いま、怖がっている人たちの分まで、わたくしたちが先に数えましょう。
寝床の数。薬の数。鍋の数。……明日の数を」
「……いい言い方ですね」
「避難民が、怖くて動けない夜でも。
“ここなら眠れる”と思える場所だけは、用意しておきたいですから」
クローディアは手綱を握り直し、前を向いた。
「だから、淡々と仕事を数えます。
心配してる暇があるなら、心配の種を減らす――そのために」
「賛成です」
馬車は、きしみながら西へ進む。
六輪の荷馬車が土煙を上げ、四輪の馬車が人を揺らし、
騎馬隊と月兎の治癒隊がその脇を固める。
帝都からグライフェンタール領へ続く街道は、
この日、兵ではなく“理と飯と静寂”を運ぶ道になっていた。




