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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
8/43

税と飢えと、理のほころび

播種から数日後。

雪雲の底が、指先でなぞれるほど低く垂れ込めていた。風も、昨日までの柔らかさを失い、肌を刺す冷たさを帯びている。


畑の見回りを終えたツチダは、鍬を柵に立てかけて、村長の家へ向かった。

屋根から下がるつららはまだ細いが、足もとは霜で白く縁取られている。

村長の家の戸を開けると、囲炉裏の煙と薬草茶の香りが迎えてくれた。

土間には、村長のほかに数人の男たちが座っていた。みな、痩せた頬とひび割れた手をしている。


「おう、ツチダ殿。寒かったろう、こっちへ」

村長が手招きし、囲炉裏のそばに座らせる。

湯気の立つ木椀を渡され、ツチダは両手で包むように受け取った。


「ありがとうございます」

口をつけると、薄いが温かい。干した草の苦味が、かえって心を落ち着かせた。


しばらく、薪のはぜる音だけが続いた。

話題を切り出したのは村長だった。


「……ツチダ殿も、この国のことを少しは知っておいた方がよかろう」


そう前置きしてから、ゆっくりと語り始めた。


この国――アーネンエルベ帝国は、理と法を重んじる大国だという。

理に基づいた法を整え、血筋ではなく能力で役職が与えられる。少なくとも、建前ではそうなっている。


だが今は、西の山脈を挟んだ向こう側。

神聖黄金国との国境で、小競り合いが続いているらしい。


「表向きは『聖地をめぐる宗教問題』とやらじゃがな」

村長は苦く笑った。

「実際は、貧しい民から若い者を集め、年貢を兵糧としてかき集める戦争よ」


囲炉裏の向こうで、若者の一人がうつむいた。

袖から覗いた手首は細く、骨ばっている。


「この辺りはまだ戦場から遠いがな」

村長は続ける。

「西部の軍に麦を納めるため、年貢が増えた。昔は五公五民だったが、今は七公三民じゃ」


「七公三民……」

ツチダは思わず呟き、息を吐いた。


――五公五民でも楽じゃないのに。

七割持っていかれて、残り三割で来年の種と家族の食い扶持を賄えって?


頭の中で、自然と収穫量の計算が始まる。

この土の力、この気候、品種も分からない麦。

順調にいっても、腹いっぱい食える年はそう多くないはずだ。


「しかも、この土地を治める伯爵様が、また欲深くてな」

村長の声が低くなる。

「名はマクシミリアン=エルンスト・フォン・アルベルスベルク。都の生まれで、皇族筋の分家じゃ。豆や牛、馬にまで税をかけよる」


村長の言葉に、ツチダは思わず顔を上げる。

「家畜にまで……?」

「そうよ。収穫が少なければ、税のために牛を売る。牛を売れば、畑を耕す力がなくなる。そうなれば、来年の収穫はもっと減る。それでも、年貢は減らん。……まったく、理の国とは名ばかりじゃ」


囲炉裏の火が、ぱちりと音を立てた。

火花が一つ跳ねて、黒く煤けた鍋に弾かれる。


ツチダは木椀の茶を見つめた。

湯気の向こうに、畑で汗を流す村人たちの顔が浮かぶ。

播いた麦も、掘り返した土も、その多くが「税」という名で奪われていく。


「……ひどい話ですね」


口から出た声は、自分でも驚くほど低かった。

怒りというより、胸の中の何かが静かに軋むような感覚。


農を愛する者にとって、収穫を奪われることは、命を削られるのと同じだ。

初めてトラクターを買った日。

祖父と一緒に、霜の降りた畑を歩いた朝。

そうした記憶が、唐突に胸の奥から湧き上がる。


――あのときだって、楽じゃなかった。

燃料代、機械のローン、税金。

けれど、作れば作っただけ、自分たちの飯になった。

ここは違う。どれだけ工夫しても、実りは「理」とやらの名のもとに持っていかれる。


村長は小さく頷いた。


「じゃが、帝国法に逆らえば罪人じゃ。伯爵様に楯突いた村は、兵に焼かれたと聞く。それに、さっきも言うたように、あのお方は皇族筋。誰も口出しできん」


若者の一人が、悔しそうに拳を握りしめた。

その指の間には、乾いたひび割れが走っている。


「去年の凍裂季には、隣村で餓死者が出たそうです」

別の男がぽつりと付け加えた。

「それでも年貢だけは、きっちり取り立てに来ましたよ。子どもが痩せていようが、家に穀物がひと粒も残っていまいが、関係ない」


ツチダは唇を噛んだ。

“理”を重んじる国が、理を見失っている。

それが、この世界の現実なのだ。


――これで「理の国」ね。

そんな皮肉が脳裏をよぎる自分に、少し驚いた。


「ツチダ殿?」

黙り込んだ彼を心配したのか、村長が覗き込むように声をかける。


ツチダは木椀を置き、ゆっくりと立ち上がった。

戸口の方へ歩き、外の空を見やる。


灰色の雲の下、整えたばかりの自分の畑が見えた。

薄い雪に縁取られた黒い土の下で、小さな命の粒が眠っている。


「……だからこそ、育てなきゃな」


思わず漏れた独り言に、村長が首をかしげる。


「なにを、じゃ?」


ツチダは振り返った。

囲炉裏の火が、その横顔を赤く照らす。


「理ですよ」

少しだけ照れくさそうに笑いながら、言葉を続ける。

「この国が忘れた、“生かす理”を」


村長も若者たちも、しばし黙ったまま彼を見つめた。

その言葉の意味を、すぐに全部理解できたわけではない。

けれど、胸の奥に温かいものが落ちてくる感覚だけは、誰もがはっきり感じていた。


その瞬間、囲炉裏の火が、ふっと強く燃え上がった。

薪が崩れ、火の粉が小さく舞う。


まるで土の奥に眠る命が、その言葉に応えたかのように。


ツチダは、もう一度外を振り返った。

灰色の空の向こうに、見えないはずの青空を思い描く。


――税も、飢えも、一朝一夕にはなくならない。

それでも、土が生き返れば、いつか必ず変わる。

この国の“理”も、少しずつ、ほころびから縫い直せるはずだ。


そう信じてしまうのは、

きっと彼が、どこまでも農家だからだ。

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