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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
月の国編

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赤く濁る海

 いくつもの谷と湖を抜け、さらに東へ。


 山の切れ目の向こうに、白い光が広がったと思ったら――


 そこは、もう海だった。


「着いた」


 潮の匂いが、風に乗って一気に押し寄せる。


 懐かしいはずの匂いなのに、胸の奥がすっと冷える。


 なんか、おかしい。


 目の前に広がる湾は、半円形に山に抱かれた、天然の良港になりそうな地形だった。


 普通なら、青い水面と白い波頭が見えるはずだ。

 魚を獲る小舟が行き交って、カモメが鳴いて――そんな風景。


 今、そこにあるのは。


 赤と黒の、濁った“何か”だった。 


 湾の外側――沖に近いところは、まだ青さが残っている。

 だが、内側三分の一ほどは、明らかに色が違っていた。


 薄い血を大量に溶かしたみたいな、どす黒い赤。

 表面いっぱいに、細かい粒が浮かんでいる。


 波が打ち寄せても、透明な飛沫ではなく、赤茶色の水滴が砂浜に叩きつけられていた。


「……これは、海、なのか……?」


 クローディアが思わず呟く。


 リベラゴールも、眉を深く寄せた。


「数季前から、時おり出るようになった。

 我らは“血の潮”と呼んでいる。

 魚は浮かび上がって死に、貝は口を閉ざしたまま腐る」


 砂浜には、すでにいくつもの魚の死骸が打ち上げられていた。


 小魚だけじゃない。


 そこそこ大きな鯛のような魚や、甲殻類も混ざっている。


 腹を上にして浮かんでいるのもいれば、砂に半分埋もれたまま干からびかけているのもいる。


 風向きのせいで、腐りきる前の生臭さと、藻が痛んだ匂いが混ざっていた。


 胃が、少しだけ反応する。


「……赤潮だな」


 思わず口に出ていた。


「赤、潮……?」


 クローディアが聞き返す。


 俺は海を見たまま、短く頷いた。


「海の中の小さい藻みたいな生き物が、条件揃うと爆発的に増えて、海の色を変えてしまう現象。かなり大規模だな……」


 しゃがみ込んで、波打ち際の水を手桶ですくう。


 近くで見ると、赤茶色の水の中に、小さな粒がびっしり詰まっているのが分かった。


 粉じゃない。

 ちゃんと、一粒一粒が“生き物”の形をしている。


「この赤いのが、ぜんぶ生きてる。

 目に見えないくらい小さなやつらが、何億、何兆って数で増えてる」


 横からのぞき込んだイースタシアの学者が、顔をしかめた。


「瘴気のせいで、海が腐っているのだとばかり……」


「瘴気も関係してますね」


 ツチダはバケツの水を指でかき回しながら、海のほうを見た。


 赤い層の下――湾の入口付近の水は、さっきの湖と同じように、どこか重たげだ。


 魔素の流れを感じ取るイースタシアの術者が、顔をしかめた。


「海の魔素が……止まっています。

 本来なら、潮の満ち引きと共に流れるはずなのに、湾の中で渦を巻いて動かない」


「魔素が停滞している海、か」


 湖で見た“ヘドロの魔素だまり”が頭に浮かぶ。


(多分、構図は似てる。

 河川から流れ込んだ栄養やヘドロ、瘴気に引き寄せられた魔素。

 それが、湾の中で抜け場所を失って溜まっている)


「ツチダ、これも“ターンオーバー”とやらに近いのですの?」


 クローディアが尋ねる。


「近いですけど、ちょっと違います。

 湖みたいに上下がひっくり返る前に――

 表面のほうで、“食べ放題だと勘違いした奴ら”が宴会始めちゃった感じです」


「宴会……?」


「こいつら、ええと、プランクトンっていう小さい生き物の一種なんですけど」


 バケツを指さし、続ける。


「栄養が多すぎると、『今のうちに繁殖しまくれ!』って増え方するんですよ。

 で、増えすぎて、一斉に死ぬ。

 死体を分解するのに、今度は海の中の息を使い切っちゃう」


 前世で習った赤潮の仕組みを、頭の中で簡略化して並べる。


「そうなると、魚が窒息する。

 死んだ魚や貝を、また分解するのに“息”を使う。

 そのときに出る悪い成分と、瘴気と、魔素が混ざって――」


 俺は赤い水面を指さした。


「今の、これです」


 イースタシアの学者が、顔をしかめたまま海を見つめている。


「瘴気は、負の想いを宿した魔素。

 それが溜まった場所で、命が増えすぎて、また死んで――

 さらに負の魔素が増える。

 ……悲しみが、自分で自分を肥やしているようだ」


「嫌な言い方だけど、合ってますね」


 リベラゴールが、少し沖のほうを指した。


「この赤い潮が出ると、沖にいた大型の魚も、湾の縁で浮かぶ。

 船を出した者は、帰ってきてから数日、頭痛と吐き気に悩まされる」


「毒を出す種類が混じってる可能性もありますね」


 前世でも、赤潮の中には「毒素を出して魚や人間に悪さをする種類」がいた。


 ここでは、それに魔素と瘴気が乗っている。


 正直、シャレにならない。



「止める方法は、ありますの?」


 クローディアの問いに、俺は少し黙り込んだ。


「……“今日明日で全部消す”っていうのは、正直無理です」


 その答えに、周りの空気がわずかに沈む。


 それでも、嘘はつけない。


「赤潮を直接どうこうするのは、“症状”だけいじるようなもので。

 大事なのは、“こうなる前の状態”に海を戻すことです」


「こうなる前の、状態」


 リベラゴールが繰り返す。


「魔素がふつうに巡っていて、栄養も過不足なく流れていて……

 “溜め込みすぎてない海”」


 俺は沖のほうを指差した。


「この湾、奥のほうだけ妙に浅いですよね。

 川から流れ込んだ土砂が溜まって、底が平らになりすぎてる。

 魔素の流れも、そこで引っかかってる」


 砂浜の形、谷川の流れ込み方、潮の向き。


 ぜんぶ合わせて見ると、湾の奥が“袋小路”になっているのが分かる。


 湖と同じだ。

 入るものはあるのに、出る道が細い。


「川の流れを少し変えてやる。

 谷から流れ込む泥と養分を、“一回、湿地で受け止める場所”を作る。

 海にそのまま流さないように」


「湿地……?」


「藻や草や微生物に、一度食べてもらうんです。

 海に行く前の栄養を。

 それで、“海に届くご飯の量”を減らしてやれば、こいつらも暴走しにくくなる」


 前世で言うところの「人工湿地」とか「バッファーゾーン」。


 理屈は同じだ。


「それと、湾の中で止まっちゃってる魔素と水を、外に逃がす道も必要です」


 俺は、湾の口の岩場を指差した。


「このへんの岩を少し削って、水深を深くするか。

 もしくは、潮の流れを変えるような“魔術的な排水路”を作るか」


 イースタシアの術者たちが、顔を見合わせる。


「魔素の流れを導く術式なら、可能かもしれません。

 月の満ち欠けと合わせて、潮の向きを調整するような……」


「それは専門外なんで、詳しいことはお任せします。

 こっちは、川と湿地と、沿岸の畑の使い方を考えます」


 クローディアが、少しだけ肩の力を抜いたように息を吐く。


「“忙しい理の仕事”が増えた、ということですわね?」


「そういうことです」


 俺は苦笑しつつ、再び赤い水面を見た。


 ところどころに、泡が弾けている。


 そのひとつひとつが、魚か貝か、何かの命の終わりだと思うと、胃のあたりがきゅっとなる。


(瘴気。

 負の想いを宿した魔素。

 それが、滞って、溜まって、赤潮まで育つ)


 湖で見たヘドロの怪物。

 ここで見る赤い海。


 形は違うが、根っこのところは同じだ。


「ツチダ」


 ふいに、リベラゴールが口を開いた。


「この海も、あなたの目には“まだ間に合う”ように見えるか?」


 俺は、ほんの少しだけ考えてから、頷いた。


「間に合わせます。

 間に合わないなんて言ったら――

 この赤い海で死んだ魚に、顔向けできませんから」


「なるほど」


 リベラゴールが、ほんの少し口元を緩めた。


「なら、我らもそれを信じよう。

 海の歌は、まだ終わらせない」


 クローディアが、海風で揺れる髪を押さえながら、ちらりと俺を見る。


「ツチダ。

 あなた、仕事を勝手に背負い込む癖がありますわね」


「職業病です」


「ええ、知っていますわ」


 彼女はそう言って、赤い海を真っ直ぐ見据えた。


 瘴気に覆われた東の海。


 できることは少なく、効果は遅い。

 でも、自然に抗って、自然を整えるのが、農家であり農業だ。


 そして、俺は。理の農家。

 だったらやることなんて一つ。


「赤潮、耕してやろうじゃないか」

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