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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
月の国編

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西からの報せ


 皇帝執務室の窓は、西に向いている。


 霧灰季(ネーベルグラウ)の空は低く、帝都の尖塔の上を灰色の雲がゆっくりと流れていた。


 その雲の向こうに、山と、谷と、国境がある。


 そして――悪い知らせは、いつもそこからやって来る。


 扉がノックされ、ディートリヒは「入れ」と告げた。

「陛下。

 グライフェンタール辺境伯より、急ぎの通信がございます」


「繋げ」


 ディートリヒは手を止め、ペンを置いた。


 書きかけの文書には、東の瘴気とイースタシアとの共同調査についての条文が並んでいる。


 理と理を繋ぐための紙だ。


 そこに、別の現実が割り込んでくる。


 机の上に、共鳴通信の魔導器が置かれた。


 水晶板に青い光が満ち、やがて老練な男の上半身が幻像として浮かび上がる。


 灰色の髭。日焼けした額の皺。

 山風に削られたような顔。


 西の辺境伯、グライフェンタールその人だった。


「ディートリヒ陛下」


「顔を上げよ、グライフェンタール。

 急ぎとのことだな」


「はっ」


 短い返答のあと、辺境伯は迷いなく本題に入った。


「西方国境の山岳地帯にて、神聖黄金国アウルム・サンクタの『浄化師団』が日鴉族の集落を襲撃。

 ……複数の集落が、ほぼ壊滅いたしました」


 部屋の空気が、わずかに冷えた気がした。


 ディートリヒは視線だけで侍従に合図する。


 すぐに、側に控えていたリヒャルトと、軍務を預かる将官が呼び入れられた。


「続けろ」


「はい。

 日時は一昨日、未明。

 神聖国側より、武装した浄化師団が山岳境界を越境し、日鴉族の集落七ヶ所を同時に襲撃。

 火を放ち、逃げる者を槍で突き、上空に逃れた者を矢で撃ち落としたとのこと」


 簡潔な報告だが、その一語一語の背後に、どれだけの光景があるかは想像に難くない。


「死者は?」


 ディートリヒの声は、静かだった。


「現時点では、不明です」


 グライフェンタールの表情がわずかに歪む。


「煙と崖崩れで、集落跡に近づききれません。

 ただ、国境警備の猟兵隊が山中で保護した生存者は、おおよそ二百名ほど。

 幼子と女、それから戦えない老の者が中心です」


「二百……」


 隣で、リヒャルトが小さく息を呑む気配がした。


 グライフェンタールは続ける。


「猟兵部隊は現在、山中にて監視と救助活動を継続中。

 神聖国側の浄化師団主力は、昨日の日没と共にいったん撤収したようですが……

 再度の侵入がないとは限りませぬ」


「帝国領への侵入は?」


「辛うじて、境界線『上』です。

 しかし、日鴉族の集落は両側にまたがっており、彼らの感覚では『国境』というものはない。

また、帝国内乱以降、山岳に展開していた我らの守備隊は減っております。

 ……それを良いことに、大規模な襲撃をかけた様子です」


 リヒャルトが、静かに口を開いた。


「つまり、帝国領土への明白な侵攻は避けつつ、

 日鴉族の集落だけを『狩っている』わけだな」


「左様にございます、宰相閣下」


「浄化、などという名目で、か」


 リヒャルトの口調には、かすかな怒りがにじんでいた。


 ディートリヒは、短く息を吐いた。


 神聖国の浄化師団――


 名目上は「異端と穢れを祓う聖なる部隊」。

 実態は、気に入らぬ者を――神の名で焼き払うための軍勢だ。


 日鴉族が、ずっとその標的にされてきたことは、これまでも報告で知っていた。


 だが、今回のように、帝国側の猟兵が現場で救助に入っているケースは、多くない。


「グライフェンタール辺境伯」


「はっ」


「生存者はすべて保護せよ。

 帝国の民として、責任を持って収容する」


 迷いのない言葉だった。


 リヒャルトが横目でディートリヒを見る。

 その目の奥には「やはり」と書いてある。


「収容場所は、どういたしましょう。

西の辺境では食も住居も無く冬を越せませぬ」


 ディートリヒは、机の上の地図に目を落とした。


 帝国西部の山脈と、その麓の町々。

 そして、中央へ向かう街道。


「まずは国境の麓近くの帝国領内、村と砦に分散して避難させよ。

 寒さと飢えで死なせるわけにはいかぬ。

 そのうえで、タウブルッフに合わせて、帝都近郊か東部への移住を設ける」


 リヒャルトがすぐに補足する。


「皇帝直轄領の予備地をいくつか候補として挙げます。

 耕作人口がまだ戻り切っていない集落ならば、彼らにも土地と仕事を与えられる」


「よし、それでいい。

 日鴉族を、永遠に『哀れな被害者』とはしない。

 彼らには畑を与え、税を課し、法律を守ってもらう。

 それはすなわち帝国が守るべき、帝国の民だ」


 グライフェンタールの幻像が、深く頭を垂れた。


「彼らは誇り高き山の民。そのように伝えましょう」


「帝国は日鴉族と共に立つ、と、はっきり伝えよ」


 ディートリヒは言葉を継ぐ。


「彼らが空を知り、山を知るなら、その力は必ず帝国を利する。

 誇りを折ってはならん」


 リヒャルトが、口元だけで微笑んだ。


「相変わらず、仕事を増やすのがお好きですな、陛下」


「お前なら、うまくやれる」


「やりましょうとも」


 ディートリヒは、再び幻像のグライフェンタールに目を戻した。


「猟兵部隊には、引き続き救助と偵察を命じる。

 ただし――神聖国側の本格部隊との正面衝突は避けよ。

 こちらが戦線を開きたくなくとも、あちらは口実を探している」


「承知いたしました。

 こちらとしても、今は『日鴉たちを連れて逃げること』が第一。

 山は彼らの庭ですが、向こうは数で押してきますゆえ」


 辺境伯の苦み走った顔に、老獪な現実感が浮かぶ。


「生存者の数と状況は、逐一報告せよ。

 補給物資と医師を、西へ回す。

 内務卿と医務院にも、すぐに話を通す」


「はっ。

 それと……陛下」


「何だ」


「この件について、神聖国側から何らかの説明が届くやもしれませんが――」


 グライフェンタールは、唇をわずかに歪めた。


「どうか、あの連中の言葉を真に受けすぎませぬよう」


「心配無用だ」


 ディートリヒは静かに答える。


「彼らが何を神と呼び、何を異端と呼ぶかは、

 帝国の法にとって重要ではない」


「……左様にございますな」


 辺境伯が、ほんの少しだけ安堵したように頭を下げた。


「では、私はこれにて。

 私は山へ向かいます。

 明日の友を、一人でも助けて参ります」


 幻像がふっと薄れ、やがて青い光は消えた。


 執務室に、静寂が戻る。


 ディートリヒは、しばし黙って西の窓を見た。


 灰色の雲。その向こうの山々。

 そこに、火と血と黒い煙が立っている光景が、脳裏に浮かぶ。


「……どう思う、リヒャルト」


 問いかけると、弟は肩をすくめた。


「神聖国がいよいよこちらの顔色を窺わなくなった、ということでしょう。

 『国境の上でやっているのだから文句はあるまい』とでも言いたげです」


「いずれ、何らかの形で問い正す必要がある」


「その時期については、こちらで慎重に見極めます。

 今はまず、日鴉族の保護と収容を優先すべきでしょう」


「そうだな」


 ディートリヒは椅子から立ち上がった。


 窓辺まで歩き、遠い西の空に目を向ける。


(ツチダは今、東で瘴気と土に向き合っている。

 クローディアは彼を護り、イースタシアと理を交わしている)


 東は、理と理の対話。


 西は、信仰と暴力の火。


 それらが、いつか必ずどこかでぶつかる。


「西の山に火がついた、とは、ツチダたちにはまだ知らせるな」


「了解しました」


 リヒャルトは深く頷いた。


「彼らには、きちんと東の仕事に集中してもらわねばなりませんからな」


 窓の外で、帝都の塔の上を、一羽の鳥が横切った。


 黒ではなく、灰色の小鳥だったが――

 その飛ぶ軌跡は、どこか西の山へと続いていく線に見えた。

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