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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
月の国編

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国境の街、月兎族の護衛隊長

 帝都を発ってから、およそ二週間。


 東へ東へと進んできた街道は、霧灰季(ネーベルグラウ)の名の通り、朝も昼も薄い霧に包まれていたが――その霧がふっと薄くなるところに、その街はあった。


 帝国とイースタシアの国境の街。

 石造りの門と、帝国青の旗。


 ただ、その足元には、見慣れない形の荷車や、月兎族だろう旅人たちの姿もちらほら混じっている。


「ここが国境の街か」

 ツチダは馬車の窓から身を乗り出して、門の上を見上げた。


 武装した兵士はいる。槍も弓も、ちゃんと並んでいる。

 だが、その表情には殺伐としたものはなく、むしろ退屈そうで、通行人と軽口を交わす余裕さえあった。


 内乱の頃は閉ざされていた交易路としての国境は、久々に“ただの門”として機能しているらしい。


「身分証のご提示をお願いします」


 馬車が止まると、兵士が一人近づいてきた。


 口調は丁寧だが、目の奥に警戒は残っている。職務としてのそれだ。


 クローディアが先頭の騎馬から身を乗り出し、皇女の紋章入りの証紙を見せた。


「帝国よりイースタシアへ向かう調査隊ですわ。書類は事前に通してあるはずです」


 兵士はそれを見るなり、目を丸くして慌てて敬礼した。


「こ、これは失礼いたしました!

 クローディア殿下ご一行であれば、簡単な確認のみで結構との通達が来ております!

 非礼をお許しいただければ!」


「お勤めご苦労さま。街の宿まで案内してもらえると助かるのですが」


「はっ!」


 検問はそれで終わった。


 荷を全部降ろしてひっくり返されるようなこともなく、馬車の中身についても「危険物は?」と形だけ聞かれた程度だ。


 ツチダは、門をくぐりながら左右を見回した。


 通りを行き交う人々の服装は、帝国風のチュニックや外套に混じって、袖が広く軽やかな衣や、薄布を重ねたような見慣れない意匠も多い。


 言葉も、帝国語と、柔らかい響きの異国の言葉が半々といったところだ。


 露店の並ぶ一角から、香ばしい匂いが流れてきた。


「……あれ、干物か?」


 無意識にそちらへ視線が吸い寄せられる。


 屋台には、腹を割って干された魚や、細く刻んだ海草らしきものが吊るされていた。

 内陸国である帝国とは色々違いそうだ


(帝国の海産物は東と南から、と聞いてたけど。

 期待しちゃうな、これは……)


 そんなことを考えているうちに、一行は街の中央に近い宿屋の前で止まった。


 ◇


 宿の前には、すでに一人、彼らを待つ影があった。

 背が、高い。


 帝国の騎士たちの中に立っても、ひときわ、頭ひとつ分――いや、ふたつ分は高い。


 身長は200cm以上ありそうで、しなやかにたくましいが、女性らしい体つき。


 銀がかった淡い髪を高く結い上げ、背には身の丈ほどもある双刃の剣。


 そして何より目を引くのは、頭の上からすっと伸びた長い耳と、静かな月光のような瞳だった。


 月兎族――イースタシアの主種族だ。


 彼女は一行を見ると、まっすぐクローディアの前まで歩み寄り、胸に手のひらを当てて礼をした。


「お初にお目にかかる。私はイースタシア月王国女王護衛戦士団長、リベラゴール・エリュシオン。

 遠路はるばるの来訪、月の母に代わり感謝を述べる」


 よく通る声。

 礼の所作は武人らしく簡潔で、無駄がない。


 クローディアも、馬から降りて同じように胸に拳を当てた。


「帝国近衛騎士団長、クローディア・フォン・アーネンエルベですわ。平和な時にお会いできて光栄です」


 二人が視線を交わす。

 剣を握る者同士の、いわば“値踏み”の時間。


 その空気を、ツチダは少し離れたところから眺めていた。


(仲良くなれそうだなあ)


 妙に確信があった。


 ◇


 ひととおり挨拶が済んだあと、宿の二階の一室に場を移して改めて顔合わせとなった。


 簡単な茶と、街で焼かれた素朴なビスケットが卓に置かれる。


 ツチダは自己紹介を終え、農学者たちも順番に名乗りを上げる。


 魔術研究者たちは、緊張と興奮で耳が赤くなっていた。月兎族の生の魔術を見るチャンスなのだから当然だ。


 リベラゴールは一通りこちらの顔ぶれを確認すると、軽く頷いた。


「女王陛下より状況の説明を任されている。

 ……本当なら、月の下の田で迎えたいところだが、先に少し、話を聞いてほしい」


「瘴気と病害の件ですわね」


 クローディアが促すと、リベラゴールは真剣な表情になった。


「そうだ。

 今年の解氷季(タウブルッフ)の終わり頃から、東の海が“息をするように”黒く煙を吐き始めたと、漁師たちが言い出した」


「黒い……?」


 ツチダが思わず声を挟む。


「霧ではない。潮でもない。

 海面から立ち上る薄い煙のようなものが、夜になると淡く光り、風に乗って沿岸と谷を這う。

 我らはそれを瘴気と呼んでいる」


 リベラゴールは指で東の方向を指し示した。


「最初にやられたのは、海沿いの水田だ。

 稲の葉に黒い斑が浮かび、やがて株ごと腐る。

 その後、海からの霧が川を遡るようにして内陸へ入っていくにつれ、大麦にも同じような黒斑が出た」


「稲、次に大麦……」


 ツチダの頭の中で、作物の耐性や土壌条件の図がざっと並ぶ。


「豆はどうなっていますか?」


「豆は少し遅れてだ。

 葉を食い荒らす見慣れぬ虫が、いきなり増えた。

 これまで見たことのない殻と脚を持つ虫で、火を焚いても、薬草を撒いてもなかなか減らない」


 病害と、害虫。


 瘴気がただの“悪い空気”ではなく、生態系そのものに影響を与えている証拠だ。


 リベラゴールは続ける。


「我が国の治療師や祈祷士たちも、浄化の儀を試みた。

 月の光で水田を照らし、風を呼んで霧を払おうとしたが……効果は限定的だ。

 翌日には別の谷で、また同じ症状が現れる」


「発生範囲は?」


 ツチダの声に、リベラゴールは卓に広げられた簡単な地図の上に指を置いた。


「東の海岸線から、南北におよそ百リーグ。

 そこから内陸に向かって、川沿いに瘴気が遡っている。

 発生の順番を見ると、まるで海からゆっくりと陸へ侵攻しているように見える」


 ツチダは、顎に手を当てた。


(海からの霧。夜に淡く光る瘴気。

 水田が真っ先にやられて、そのあと大麦。

 豆には新種の害虫――)


 病原性の菌か、カビか。


 あるいは、魔素の流れそのものが変質して、元々いた微生物や虫の生態を変えてしまっているのか。


 この世界では、「見えない敵」はたいてい魔素のせいにされる。

 だが農家の感覚からすれば、魔素もまた“肥料”や“水”の一種だ。


(海の魔素が濃くなって、それが霧と一緒に内陸に入って来てる?

 だとしたら、土の中の菌や虫がそっちに引っ張られて、バランスが壊れてる……?)


 脳裏に、帝国の地図と、イースタシアの地形が重なった。


 東西の山脈。海。風向き。川の流れ。


 クローディアが、ツチダの横顔をちらりと見る。


「ツチダ、何か見えてきましたか?」


「まだ“かもしれない”ばっかりですけどね。

 ただ――少なくとも分かるのは、これは“田んぼだけの問題”じゃないってことです。

 海から来る瘴気。川沿いに広がる症状。

 土と水と風、全部ひっくるめて見ないと、多分どうにもならない」


 リベラゴールが静かに頷く。


「だからこそ、女王陛下は貴国に頼った。

 我らは月の光と感応の理には長けているが、土と作物の“理”には疎い。

 帝国は、土を理で読む国だと聞いた」


「……ハードル上げるの、やめてもらえます?」


 苦笑しながらも、ツチダの胸の奥には、じわりと火がつき始めていた。


 イースタシアの飯が楽しみ、という個人的な理由は――まあ、確かにある。


 だがそれとは別に、こんなにも分かりやすく「助けを求められている畑」があるなら、行かない理由はない。


「分かりました。話の続きは、現場を見てからにしましょう。

 紙の上だけじゃ、土の匂いも、風の癖も分かりませんから」


 そう言うと、リベラゴールは初めて、口元だけで笑った。


「頼もしい言葉だ。

 明朝、国境の関を越える。そこから先は私が案内しよう」


「よろしく頼みます、リベラゴール殿」


 ツチダは手を差し出した。


 月兎の女戦士は、ためらいなくその手を握り返す。大きく、優しい手だった。


 窓の外には、霧に滲む街灯の明かり。


 東の空の向こう側で、海が静かに“息”をしている。


 その呼気が、田んぼと畑と、人の暮らしを揺らしている。

(待ってろよ、イースタシア。

 瘴気も病も、ちゃんと理で殴り返してやる。

 ついでに、米と魚と味噌汁も絶対味見させてもらうからな)


 ツチダは胸の内でそう呟きながら、地図と資料をもう一度広げた。

両刃剣を振るう強くて色々でかい女性は好きですか?

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