最前線への恩赦
帝国史上初の内乱は終わった。
その証として、帝都の裁判所には、もはや鎧ではなく鎖の音が満ちていた。
帝国宮廷特別法廷。
壇上には、新帝ディートリヒ。
隣に宰相リヒャルト。
その下、列席する判事たちと、帝国法務官。
傍聴席には、軍と文官の代表。クローディアも、ツチダも、黙って成り行きを見ている。
被告席に並ぶのは、内乱に立った諸侯たちだった。
ある者は泣き叫び、ある者は怒鳴り、ある者は「騙された」と繰り返す。
「偽りの遺言に惑わされた」「貴族としての責務だった」「家を守るため」――
言い訳と弁解が、陳述台の前で同じ形を変えては流れていく。
その列のなかで、ひとりだけ、空気の違う男がいた。
グライフェンタール伯。
伯は、わずかにうつむき、それから顔を上げた。
片目に黒い眼帯。頬の古傷。
丘陵で見たときと同じように、背筋は真っ直ぐだった。
順番が来ると、彼は音もなく立ち上がり、陳述台の前に進む。
鎖はつけられていない。代わりに、両脇に近衛が二人つくだけだ。
「グライフェンタール伯」
ディートリヒの声は、法廷の天井まで届くように抑えられていた。
「そなたもまた、帝国に刃を向けた反逆者として、この場に立っている。弁明はあるか」
伯は、少しだけうつむき、それから顔を上げた。
「ございません」
ざわ、と傍聴席が揺れた。
多くの貴族は、まずこの言葉を口にすることを避け続けてきた。
リヒャルトが小さく目を細める。
「……では、反乱に加担した理由を述べよ」
グライフェンタールは、あらかじめ用意していたかのように一息吐いた。
「私は、帝国の伝統を守るためだと、信じておりました」
法廷が静かになる。
「貴族と、それがもたらす秩序。
それらこそが“帝国”だと、若い頃から叩き込まれてきました。
皇帝陛下が病に伏されたとき。諸侯は口を揃えて『伝統を守る』と言った。
私は、その言葉を疑わなかった」
彼は視線を上げ、ディートリヒを正面から見た。
「ディートリヒ陛下。
私は、陛下が掲げる改革が、帝国を“別の国”にすると恐れていました。
税の上限、度量衡の統一、私兵の制限。
耳に入るたび、我々の時代が終わる音に聞こえた」
ディートリヒは何も言わない。
グライフェンタールは、言葉を続ける。
「だから私は、クロプシュトック公の呼びかけに応じた。
帝国の伝統を守る戦だと信じて」
そこで、彼は一度、言葉を切った。
「しかし、ベイリアでの報せを聞きました。
貴族は民兵を盾にし、一方で帝国軍は民兵に降伏を呼びかけ、降った者には耕す土地と芋を与えたと」
ツチダが、思わず背筋を伸ばした。
「丘陵ではオイゲン子爵と戦いました。
あの若い子爵は、決して追い討ちをかけなかった。
勝てるときでさえ、深追いしなかった。
私は、そこでようやく気づいたのです」
グライフェンタールは、手をゆっくりと握りしめる。
「“帝国の伝統”という言葉を、私は誤っていたと。
守るべきは、貴族の座ではなく、帝国の民と、その暮らしであったと」
法廷の空気が、少しだけ変わった。
「では、問う」
リヒャルトが口を開いた。
「そなたは、そのことに気づきながら、なぜすぐに兵を退かなかった。
なぜ、丘陵で抗戦を続けた」
グライフェンタールは、苦笑に似た表情を浮かべた。
「……簡単に言えば、意地です」
ざわ、と一部で笑いが漏れ、それをすぐに判事の木槌が静める。
「己の判断が誤りだったと認めるには、時間が必要だった。
私の騎士たちは、私が『立て』と言えば立ち、『退け』と言えば退く。
その命を預かる者として、間違いました、と一言で済ませるには──
あまりにも、多くの血を流してしまっていた」
彼は、ゆっくりと頭を垂れた。
「だから私は、せめて、最後に責任を取る形を探した。
クロプシュトック公を斬ったのは、そのためです」
ディートリヒの視線が、鋭くなる。
「詳しく述べよ」
「クロプシュトック公は、ベイリアから逃げ込んだ際。
敗戦の理由を『援軍が遅れたからだ』と我々を責め立てました。
そして、自らを代表にして帝都と講和をせよと命じました。
もはや民のことも兵のことも考えず、ただただ自らの権利のだけを守ろうとした」
グライフェンタールは、そこで初めて、わずかに声を荒げた。
「私は、その瞬間に理解したのです。
“義”は、もはや無いと。
このままでは、民兵も農民も講和の駒として捨てられると」
静まり返る法廷で、その言葉だけがよく響いた。
「だから、斬った。
盟主としての責任を取らせるため……だけではなく
反乱軍の“首”を一つにまとめ、帝都に差し出すために」
リヒャルトが、眉をわずかに上げる。
「自らの首も、そこに含めるつもりであったか」
「もちろんです」
グライフェンタールは、あっさりと言った。
「クロプシュトック公を討った時点で、私はもう“戻れないほう”に立った。
だからこそ、降伏の条件に『徴募農民の命と土地の保証』を唯一のものとして掲げた。
それが通らぬなら、私はオイゲン子爵の陣で首を差し出すつもりでした」
ディートリヒが、初めて口を開く。
「そなたは、自らの命で、民の命を買おうとしたと言うのか」
「買えるなら、安いものです」
グライフェンタールは、淡々と答えた。
「私は、この内乱に加担した。その罪は消えない。
ただ、この内乱の終わりを少しでも“ましな形”に変えることはできると思った」
短い沈黙のあと、彼は深々と頭を下げた。
「以上が、反乱に加わった理由と、盟主を斬った理由です。弁明ではなく、事実として」
「命乞いは、しないのだな」
ディートリヒの問いに、グライフェンタールは顔を上げる。
「帝国騎士たる者が、己の理を曲げてまで生きる理由は……持ち合わせておりませぬ」
その言葉に、傍聴席のどこかで、騎士の一人が小さく拳を握った。
オイゲンは目を閉じ、シャイロックはふっと鼻で笑い、ブレーメンは無言で顎を引いた。
ツチダは、グライフェンタールの横顔を見つめながら思う。
(この人も、本当は“畑を踏み荒らしたくない側”だったんだろうな)
裁きは、まだ下されていない。
だが、少なくともこの場で、グライフェンタールは、何も隠さなかった。
それだけは、誰の目にも明らかだった。
◇◇◇
沈黙ののち、ディートリヒ新帝は椅子から立ち上がった。
法廷にいる全員が、その動きだけで息を詰める。
「判を下す」
短く言ってから、あえて一拍置いた。
グライフェンタールも、傍聴席も、その一拍に固唾を飲む。
「グライフェンタール伯。そなたは帝国に刃を向け、反乱軍の一角を担った。その罪、重い」
それは誰もが予想していた言葉だった。
「また、そなたは自ら盟主と仰いだクロプシュトック公を、その手で斬った。
たとえ理由があろうとも、主を討った騎士に、安き終わりは許されぬ」
ここまでは、「当然の糾弾」に聞こえる。
ディートリヒは、そこでわずかに声の調子を変えた。
「……ゆえに、その命で罪を贖ってもらう」
一瞬、「今ここで処刑を命じる」という言葉が続くと誰もが思った。
「西方山岳、国境地帯――神聖黄金国との最前線。国境防衛のための指揮官の席が、しばらく空く」
ざわ、と空気が揺れる。
神聖国と睨み合う最前線。
いつ戦火が再燃してもおかしくない地。帝国で一番“帰ってこれない”任地。
「グライフェンタール伯」
ディートリヒは、まっすぐ彼を見た。
「そなたに、その任を命ずる」
傍聴席から、抑えきれない息が漏れた。
処刑ではない。だが、甘くもない。
リヒャルトが静かに補う。
「勅命により申し渡す。
グライフェンタール伯は、爵位・所領は没収、家門は一代限り。
名のみ存続を許される“辺境伯”として、西方国境の防衛の任につくことを命ず。
任地からの離脱は皇帝の許可なきかぎり認められず。
戦死した場合、罪は完全に赦免される」
つまり、“死刑”の形を、対神聖国の最前線に移したということだった。
「私兵の保有は禁ずる。
ただし、帝国から編入される兵は、そなたの指揮下に入る。
国境を守り、帝国と民を守る限りにおいて、そなたは帝国騎士であり続ける」
グライフェンタールは、しばらく何も言わなかった。
やがて、ふっと笑う。
「……それは、“どこで死ぬか”ではなく、“どう死ぬか”を選べ、という御沙汰と受け取ってよろしいか」
「死ね、とは言わぬ」
ディートリヒの声は、意外なほど穏やかだった。
「生きて守れればそれはそれで良い。
神聖国との国境は帝国にとって要だ。愚かではない敵と戦う、その経験を私は買っている」
傍聴席で、シャイロックが鼻を鳴らし、ブレーメンが小さく頷く。
オイゲンは目をぱちりと瞬かせ、「そう来たか」とでも言いたげな顔をした。
ツチダは、思わず呟く。
「……現場、いちばんヤバいとこに、いちばん面倒くさい仕事押し付けましたね……」
クローディアが小声で返す。
「でも、一番“ふさわしい”場所でもありますわ」
グライフェンタールは、深く膝をついた。
「勅命、謹んで拝受いたします。
帝国西方にて――せめて最後くらいは、“初めからそうあるべきだった帝国騎士”として、剣を振るいましょう」
こうして、処刑台に送られるはずだった一人の反逆者は
神聖黄金国と向き合う最前線防衛線の、新たな“番犬”として任につくこととなった。
その任が恩赦となるか、ただの長い死刑執行となるかは、これから先の季節と戦で決まる。
帝国の内乱は、こうして一つずつ終わりへ向かっていた。




