ベイリア平野決戦Ⅱー首刈り戦術ー
前衛の押し合いの只中で、ブレーメン公の旗が大きく振られた。
「今だ、囲め!」
青と銀の軍旗が高くしなり、その合図を合図として待っていたように、両翼の地面が動いた。
右から、クローディア率いる近衛騎兵。
左から、シャイロック伯の軽騎兵隊。
「右翼、前へ!包め!」
クローディアが剣を掲げる。
銀の鎧と青いマントが、一斉に平野の右側を駆け抜ける。蹄が土を蹴り、槍の穂先が陽を裂く。
「ついて来い!囲む!」
シャイロックの号令に、騎兵たちが弓なりに走る。
直参兵一万余は、前衛に殺到した勢いのまま、横に薄く伸びていた。
その両端に、二つの蹄の波がぶつかる。
「横からだと!?」「くそ、列を詰めろ!」
直参兵たちが慌てて向きを変えようとするが、前にはブレーメンの重装歩兵、左右からは騎兵の奔流。
叫びと怒号が絡み合い、隊列はじわじわと動きを失っていく。
本陣との間に、騎兵による「壁」ができた。
クロプシュトックの天幕とその護衛隊は、いつの間にか切り離されていた。
その瞬間を、クローディアは見逃さなかった。
「――重装騎兵、前へ!」
彼女の右後方、温存されていた黒い塊が一つ、静かに動き出す。
帝都から選りすぐられた重装騎兵二千。
鉄と革に包まれた騎士たちが、低い唸りをあげながら列を整える。
クローディアは振り返りもせず、片手を高く挙げた。
「目標はひとつ!本陣、クロプシュトック公ただ一人!逃げる民兵を追うな!背を見せた敵は見逃せ!――狙うのは、“首魁の首”ただひとつ!」
号令が風を裂く。
「本陣へ!」
彼女は馬腹を蹴った。
先頭の一騎が、槍を低く構え、戦場の奥へまっすぐな線を引く。
「クロプシュトックを逃がすな!!」
重装騎兵二千の咆哮が、ベイリア平野に轟いた。
その進路上で、散りかけた直参兵たちが、黒い波の迫力に気圧されて道を割る。
鋼鉄の楔が、一度きりの突撃で、敵の心臓そのものを貫きに行く。
◇◇◇
クロプシュトック公が異変に気づいたのは、本陣の近くで怒号が増えたときだった。
「……何だ、あの土煙は」
天幕の外縁から見えたのは、横合いから大きく弧を描いて走る騎兵の一団。
最初は自軍のものだと思った。
だが、次の瞬間、風に翻る旗の色が目に入る。
青と銀。帝国の鷲。
「なっ……!」
喉が鳴った。言葉にならない音。
その刹那にも、重装騎兵の黒い塊は、まっすぐこちらに向かって進路を取っている。
「こっちへくるだと……?」
声が震えたのを、自分でも感じた。
クロプシュトックは慌てて側近の直参将校に怒鳴る。
「本陣前面を死守せよ!陣形を立て直せ!奴らをここへ寄せるな!」
「はっ!」
将校たちは、命令どおり兵をかき集めて前へ出る。
クロプシュトックはそれを見届けるふりをしながら、じりじりと天幕のほうへと後ずさった。
「甲冑の留め金を外せ、動きづらい」
従者が慌てて金の鎧の留め具を緩める。
豪奢な胸甲が、かちゃりと音を立てて外れた。
その下に現れたのは、戦よりも饗宴に慣れた、柔らかい腹だった。
「馬だ。すぐに馬を引け!」
怒鳴りながら、天幕の後ろへと回り込む。
前面では「死守せよ」と叫び、裏側では「退路」を探す。
それは、彼にとって矛盾ではなかった。
生き延びる者こそが、正しき秩序を語る資格があると信じているからだ。
迎えの馬が引かれてくる。
銀で飾られた馬鎧。先ほどまで「勝利の入城」のために温存しておいた馬だ。
「わしはこれより転進する、時間を稼げ!」
腹が揺れ、足がもつれかける。従者が慌てて肩を支えた。
「丘陵地帯へ転進し、兵力をひとまとめにする!」
言葉だけ並べれば、もっともらしい戦術にも聞こえる。
だが、その実、彼の頭の中にあるのは一つだった。
(こんなところで死ねるか。わしは、ここを切り抜けねばならん)
背後で、直参兵たちの怒号と、騎兵の突撃を告げる蹄の地鳴りが重なる。
それでもクロプシュトックは振り返らなかった。
馬は天幕の影から抜け出し、戦場の側面へ向けて走り出す。
金糸のマントが、情けなく風にはためいた。
◇◇◇
クローディアは、馬上で深く息を吸った。
「楔陣形!」
号令ひとつ。
重装騎兵二千が、黒い塊から、鋭い三角に姿を変えていく。
先頭の一点に、彼女自身が立つ。左右に百騎ずつ、その後ろに層を重ねるように。
「目標は本陣。余計なものを見るな。ただ、まっすぐだ!」
彼女の声に、騎士たちが短く応える。
蹄が地面を叩く。
最初は小さな振動だったものが、すぐに地鳴りへと変わる。
ベイリア平野の土が、二千の鉄蹄に揺さぶられた。
目の前に、乱れた直参兵の列が迫る。
多くはすでに前衛へ押し出されており、本陣前は思ったほど厚くない。
「前を塞ぐなー!避けろ!巻き込まれるぞ!」
前線から逃げ出してきた民兵たちの悲鳴に混じり騎兵が叫ぶ。
黒い楔が近づくのを目にした兵たちが、反射的に道を割る。
直参兵の小隊が数隊、あわてて槍を構えて立ちはだかった。
「止めろ!本陣を守れ――!」
クローディアは、その槍先の高さを一瞥しただけだった。
「――貴様らの主は、どこにいる!」
弾くような言葉とともに、彼女は力なく突き出された槍を弾き飛ばす。
その隙間へ後続の騎兵が突っ込んだ。
重さと速度こそが、重装騎兵の武器だ。
楔の先端が一度敵列を破ると、その裂け目は後続の蹄と盾に拡げられ、直参兵たちは次々と左右へ弾き飛ばされていく。
「倒れた敵に構うな!進路を確保しろ!」
クローディアの声が、鉄と肉のぶつかる音の中で響く。
騎士たちは倒れた兵を踏み潰すよりも、脇へ馬体をずらし、前へ前へと進むことを優先した。
やがて、視界が開ける。
そこにあったのは、ひと目でわかるほど無駄に豪奢な天幕だった。
金糸で縫い取られた紋章、絹の垂れ幕、銀の装飾具。
クロプシュトック公の本陣だろう。
「……派手だな」
思わず、そんな言葉が漏れる。
しかし、その中は、空だった。
倒れた椅子。
床に転がった銀の杯。
慌ただしくかき集められた気配だけが残り、肝心の主の姿がない。
「殿下!報告!」
側面を回ってきた斥候騎兵が、馬上から叫んだ。
「金の鎧を脱ぎ捨てた騎馬一隊、東北の丘陵方向へ退却しました!旗印はクロプシュトック公の家紋と確認、護衛は二十騎ほど!」
クローディアは短く舌打ちした。
「逃げ足だけは速い……!」
だが、次の瞬間には、表情を切り替える。
(いや、ここで追撃に執着すべきじゃない。まずは─民だ)
彼女は馬を反転させ、重装騎兵隊を見渡した。
「本陣は、空だ!」
その一言で、騎士たちの間にざわめきが走る。
「クロプシュトックはこの場から逃げた!勝利だ!」
彼女は高く槍を掲げた。
「合図旗を!ブレーメン公とシャイロック伯に伝えろ!“敵本陣は瓦解、降伏を最優先、追撃は最小限”と!」
副官が慌てて信号旗を取り出し、平野の上で大きく振る。
青と白の組み合わせが、前衛と両翼へ伝わっていく。
クローディアは最後に、空の天幕を一度だけ振り返った。
「クロプシュトック公。あなたがここで民と共に倒れる覚悟がないのなら――あなたの理に、義はない」
そう呟くと、彼女は馬首を返し、ベイリア側の陣へ向けて駆け戻った。
ベイリア平野での戦いは、決着を迎えつつあった。
ここから先は、斬るかどうかではなく、「どれだけ斬らずに済ませるか」の段であると、帝国の将たちは理解していた。




