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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
帝国内乱編

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決戦前夜ーなにゆえの剣ー

ベイリアの街の一角、城砦の最上階に設けられた防衛本部は、夜になっても灯が消えなかった。

地図台の上には、ベイリア平野とその西に連なる道筋が描かれている。

赤い駒が、西からじわじわと近づいていた。


「敵本隊、ここから五日の距離」


ブレーメン公が低く告げる。

厚い指で、赤い駒の列をとん、と叩いた。

「偵察の報せでは、略奪は激しいが、十分な備蓄をしている様子はない。向こうは“今ある飯”で、ベイリアを抜かねばならん」


「こちらは違う」

ディートリヒが応じる。


「開墾特区も、倉もある。補給線も整った。我々がすべきは、勝ち急ぐことではなく――時間を稼ぐことだ」


クローディアが地図に視線を落とす。

ベイリアの東縁から、半円を描くように青い駒が並んでいた。


「包囲陣形は、この半円を基準に」

彼女は指先で線をなぞる。


「中央で受けるのは、ブレーメン公の主力三万。両翼に、私の近衛とシャイロック伯の騎兵。敵が正面を押そうとすれば押すほど、左右から“袋”を絞る形になります」


シャイロックが口角を上げた。

「殲滅戦、というわけではないんですな?」


「違う」

先に答えたのはディートリヒだった。

「包囲は、敵を皆殺しにするためではない。士気を挫くためだ」


地図の上で、彼は赤い駒を指で摘まみ、中央から一つ抜き取ってみせる。

「喉を握るのではなく、肺を締める。前に出れば出るほど、周りが見えなくなって、息が続かなくなる。降伏の布告は、包囲の内側にも、外側にも撒いておく。“降りれば命がある”と知れば、早く鈍る」


ブレーメンが頷く。

「士気が折れれば、兵は散る。散った兵を殺す必要はない。逃がせばいい。問題は――折れてもなお、前に踏み出してくる“核”のほうですな」


部屋の空気が、僅かに張りつめた。


「そこで、虎の子だ」

クローディアが新しい駒を二つ、地図の少し離れた位置に置いた。

黒い騎兵駒。その横に「重装騎兵二千」と小さな札。


「帝都から選りすぐった重装騎兵二千。包囲網の外縁に配置し、決定の瞬間まで動かさない」


シャイロックが怪訝そうに眉を上げた。

「外縁に、ですか?」


「ええ」


クローディアは静かに笑う。

「包囲に“加わる”のではなく“動く”ためです。包囲が締まり、敵の隊列が乱れた瞬間――」


彼女は黒い駒を、ぐ、と大きく滑らせた。

それは半円の外から一気に内側へ、そしてさらにその奥へ。


「狙うは敵軍本陣。標的は、クロプシュトック公ただ一人」


室内が静かになる。


シャイロックが低く口笛を鳴らした。


「大胆ですな……しかし、理には適っている。兵を縛っているのは、あの男の恐怖だ。あれさえ消えれば崩れやすくなる」


ブレーメンも頷いた。


「敵の旗が折れれば、民兵は散る。あとは降伏を受け入れるだけだ」


ディートリヒは、黒い駒の先に小さな×印をつけた。


「ただし、条件がある」

「条件?」


クローディアが問い返す。

ディートリヒは、一人ひとりの顔を見渡してから言った。


「重装騎兵が狙うは本陣ただ一つ。途中で隊列を乱した敵兵を追うな。背を見せて逃げる者は、見逃せ」


ブレーメンが口を引き結ぶ。

「……首を狩るための突撃、ですな」


「ああ」

ディートリヒは短く応じた。

「この内乱を終わらせるための突撃だ。英雄を作るためでも、戦果を誇るためでもない」


窓の外から、夜の風が微かに吹き込んだ。

ベイリアの街は、静かに灯を減らしつつある。それは怯えではなく、明日へ備える眠りだ。


シャイロックが、地図から視線を上げた。

「陛下。ひとつだけ確認しておきたい」

「何だ」

「万一、包囲が予定通りに締まらず、民兵の一部が市街へなだれ込んだ場合――」


ディートリヒは遮った。

「市街は、近衛が守る。民が巻き込まれそうになったときだけ、剣を抜け。街の中に入った兵にも、まず降伏の声をかけよ」


クローディアが、剣帯に手を添えて小さくうなずく。


「承知しました。ベイリアは戦場ではなく、守られるべき“倉”ですもの」


ブレーメンは深く一礼した。


「中央は、必ず押し止めましょう。士気を折るための包囲、そのための盾として」


シャイロックは口の端を釣り上げる。


「側面は任されました。 逃げたい兵には、存分に逃げ道を開けてやりますよ。――その代わり、親玉は騎兵に任せる」


重装騎兵二千。その突撃が成功するかどうかで、この内乱の終わり方が決まる。


ディートリヒは、地図の上から手を離した。

「では、それぞれ準備に入れ」


短く、それだけ告げる。


内乱最後の決戦は近い。

だが、その夜のベイリア防衛本部には、「勝ちたい」という焦燥よりも、「終わらせたい」という静かな決意のほうが強く漂っていた。

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