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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
帝国内乱編

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エッシェンベルクの避難路

ディートリヒの意を受けて、カシアン・フォン・エッシェンベルク侯爵は――珍しく、早歩きだった。


「徴発を断って報復を受けるくらいなら、先に逃げてしまえばよろしい」

侯爵は執務室でそう言い切ると、机上の地図に指を滑らせた。

クロプシュトック領からベイリアまでの道筋。

街道だけでなく、小さな村道、狭い峠道にまで視線が行き届く。


「ベイリアまで避難せよ。屋根と飯と生命を保証する。開墾作業を手伝ってくれれば賃金も出る――皇帝陛下の印付きだ、と」


その条件を記した書状が、侯爵家の印璽で次々に封じられていく。

文は短く、要点だけ。読めない者のために、ツチダが描いた絵札も添えられた。


片方には、藁を背負った家族が空の畑の前に立つ図。

もう片方には、同じ家族がベイリアの倉と芋畑の前で笑っている図。

真ん中には、皇帝の印章と「ここに来れば守る」という一文。


「手勢を総動員しますか、閣下?」

老執事の問いに、エッシェンベルクは静かに頷いた。


「ええ。兵は剣だけで戦うものではありません。今回は“口”と“足”で働いてもらいましょう」


侯爵家の私兵たちは、槍の代わりに書状と旗を持って馬を走らせた。

クロプシュトック領の村々を一軒一軒回り、広場や井戸端で声を枯らす。


「徴発を断れば、きっと殴られ、刈り取られる!ならば、食えるうちに荷物を持ってベイリアへ来い!屋根も飯もある、開墾を手伝えば賃金も出る!これは皇帝陛下の御印付きだ!」


半信半疑の顔。

それでも、荷車の前に積まれた米袋と干し肉を見て、少しずつ人が動き始める。



やがて、ベイリアへ向かう街道は、別の意味で戦場のようになった。

ツチダが設計した四輪馬車――試作型の帝国式荷車は、本来なら荷箱を積むためのものだ。

だが今、その荷台に乗っているのは、麦袋ではなく人だった。


「揺れるけど、二輪よりマシですねえ……!」

御者台で手綱を取るツチダが、苦笑しながら叫ぶ。


四輪にしたことで揺れはまだ残るが、二輪のように跳ね上がることはなくなった。

荷台の上では、老人が孫を抱きしめ、家族が鍋や布団を抱えて身を寄せ合っている。


「詰めすぎるな、転ぶぞ!荷じゃない、人だぞ!」

エッシェンベルク家の兵が、列のあちこちで声を飛ばす。

四輪馬車のほかにも、徒歩で歩く者、牛車を引く者――さながら“逆行軍”だ。


すれ違う村人たちは、最初こそ訝しげな顔をしていたが、

やがて列の最後尾に自然と混ざっていく。


「徴発が来る前に、行けるだけ行くぞ」

「どうせここに残ったら、全部持っていかれるだけだ」


そう呟きながら、空っぽになっていく集落が増えていった。



空になった村には、代わりに“言葉”が残された。


井戸の横、納屋の戸、村の入口の木柵。

あちこちに、ツチダの絵看板が打ち付けられる。


――武器を地に置く兵士の図。

――鎧を脱ぎ、シャベルを持つ姿。

――その先に描かれた、芋畑と倉と陽の丸。


文字は少ない。

『帝国は民を保護する』


ただそれだけだ。

だが、何もない村に入ってきた行軍の兵たちは、嫌でもそれを見る。


「……人が、いねえ」

「倉も、畜舎も、空だ」


クロプシュトック側の徴発隊は、次第に口を歪めていった。

「帝国軍の連中が根こそぎ連れて行きやがったな」


そう愚痴りながらも、徴発の命令は命令だ。

打ち捨てられた納屋から干し草をかき集め、まだ残っている干からびた豆を袋に入れる。

しかし、その量は到底、五万の腹を満たすには足りない。



エッシェンベルクは、街道沿いの小高い丘から、その様子を遠目に見ていた。

風に揺れる帝国の小旗。

その向こうで、クロプシュトック側の徴発隊が、空の村から何かをかき集めている。


「徴発など、させておけば良い」

隣に立つ若い将校が目を見開く。


「させておく?」

「ええ。そこに徴発するものが残っていれば、の話ですがな」


侯爵は愉快そうに目を細めた。

「米も麦も人も、こちらへ避難してしまえば、あちらがいくら命令を振りかざそうと、“奪うもの”が無い」


空腹の軍は、行軍速度を落とす。

行軍速度を落とした軍は、士気も落とす。

士気の落ちた軍は、最初の突撃こそできても、その後が続かない。


「……なんと申しましたかな、ツチダ殿は」

侯爵は少し考え込むように顎に手を当てた。


「腹が減っては――」

若い将校が思い出すように口を挟む。

「戦はできぬ、でございますか」

「そう、それです」


エッシェンベルクは笑った。

「ツチダ殿の言葉は正しい。あれは嘆きでも弱音でもない。“理”の説明です」


腹が減っては戦はできぬ。

ならば、腹を減らしてやれば良い――敵のほうを。


エッシェンベルク侯爵は、避難民を乗せて走る四輪馬車の列をもう一度見下ろし、その先に広がるベイリアの芋畑を想像した。


「さて、クロプシュトック公。民なき土地で、どれほどの軍をお動かしになれるか――見物ですな」

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