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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
帝国内乱編

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帝都軍議―丘陵地帯―

 丘陵地帯からの報告書は、ベイリアのそれとは色の違う紙のように見えた。


 損害、軽微。

 戦果、なし。

 敵軍、撃退できず。

「勝つこともできず、負けないために全力を尽くしている」と、最後の一文にだけ疲労がにじんでいる。


 ――泣き言を言うな、若造め。

 ディートリヒは一瞬そう思った。

 しかしすぐに行を指でなぞり直す。

(グライフェンタール相手に“負けていない”なら、それで上々だ)


 丘陵の敵軍総指揮――ヴィルヘルム・フォン・グライフェンタール侯爵。

 その名だけは、皇太子時代から何度も報告書で見てきた。


「国境紛争の折、三度の防衛戦を僅少の損害で凌ぐ」

「兵站を重視し、戦わずして敵を退かせること多数」

「兵を粗末に扱わず、信頼厚し」


 そう書かれていた男が、今は敵の旗の下にいる。

「丘陵は――踏みとどまっているようですね」


 リヒャルトが報告書を閉じる。

 声に責める調子はない。

「オイゲンは“これ以上この調子なら兵が持たない。だが前に出れば森で殺される”と書いています。自分の限界を先に申告するあたり、よい将です」


 ディートリヒは鼻を鳴らした。

「泣き言半分、状況報告半分か」

「泣き言を言えるだけ、まだ余裕がある証拠です」


 リヒャルトは淡々と言って、地図上の丘陵地帯を指でなぞる。

「むしろ問題は、グライフェンタール侯のほうです」

「というと?」


「このまま丘で“負けない戦い”を続けられると、向こうは時間を稼げます。しかしあの男に西部全体での自由な指揮を振るわれるのは厄介です」


 宰相の指が、地図上でクロプシュトック家の領地へ移る。

「したがって、グライフェンタール侯とクロプシュトック公との離間を図るべきでしょう。あの二人は戦と政治の理が違いすぎます」


 ディートリヒは眉を上げた。

「離間……具体的には?」

「ベイリアの敗戦とヴァルトシュタインの最期を、できるだけ“正確に”届けることです」

 リヒャルトの目が細くなる。


「グライフェンタール侯は兵を捨て駒にしない将。その前で、“民兵が降ろうとしたら殺せ”と命じたヴァルトシュタインと、それを黙認したクロプシュトック公の話を、静かに置いてやればよい」


 クローディアが腕を組み、短く息を吐く。

「……彼は好きそうではありませんわね、その類いの話」

「ええ。ですから、そこを突きます。

『帝国は降伏した兵を赦し、民を守った』

『反乱軍は民を殺し、己の面目を守ろうとした』

 ――この対比を、文で、噂で、兵の口からで」


 ツチダが、そこでおずおずと手を挙げた。

「あの、グライフェンタールさんって……そんなにすごいんですか」


 名前だけは何度か聞いた。しかし、顔も声も知らない。

 ツチダにとって「将軍」というものは、ナイトハルトやブレーメンのような身近な人物でしかなかった。


 クローディアが目を向ける。少しだけ真面目な表情で考え込む。


「そうですね……ツチダ殿にも分かるように言うなら」

 彼女は机の端に指で円を描いた。


「グライフェンタール侯は、ツチダ殿みたいな人ですわ」

「えっ、俺ですか?」

「畑ではなく、戦場で、ですけれど」


 クローディアは続ける。

「神聖国との小競り合いで、他の貴族が『一勝を拾うために十の兵を捨てる』戦を好んだのに対して、グライフェンタール侯は『一人も捨てずに十歩退かせ、さらに一勝をもぎとる』、そんな戦を続けてきた人です」


 ツチダは思わず姿勢を正した。

「一人も捨てずに」という言葉が、耳に残る。


「補給を最優先とし、兵の食事と休息を整え、無理な進軍はしない。敵が疲れていると見れば押し、元気なら境界線を守るだけで良しとする。『勝ち』ではなく『損をしない』ことを積み上げて国境を保ってきた――兵たちから見れば、“命を預けてもよい”主君、でしょう」


 ディートリヒは頷いた。

「だからこそ、クロプシュトックのような男の下にいるのが不思議なほどだ」


 リヒャルトが静かに付け加える。

「グライフェンタール侯は、『帝国のため』なら剣を振るうでしょう。ですが、『誰かの私欲のため』に兵を捨てることには、耐えられないはずです」


 ツチダは、ゆっくりと言葉を噛みしめる。


「……じゃあ、その人にちゃんと届くように、伝えないといけないんですね。こっちが何をしようとしてるか、とか。民を殺さないで勝とうとしてること、とか」

「その通りだ」

 ディートリヒは、はっきりと答えた。


「だからこそ、丘で“負けない戦い”をしてくれているオイゲン子爵には踏ん張ってもらい、こちらは言葉と噂で、グライフェンタール侯の耳をこちらに向ける」


 リヒャルトが頷く。

「内乱と言えど、剣だけで決着をつけるつもりはありません。理と情報で、敵の“理”をこちらへ引き寄せる――それもまた、戦です」


 クローディアはツチダに視線を戻した。


「ツチダ殿。あなたの“説明書き”の出番ですわ。畑の図だけでなく、戦の理も、絵と言葉で」


 ツチダは小さく息を吸い、頷いた。

「……分かりました。やってみます」


 帝都の軍議の間で交わされたその決定は、やがて西部の風に乗って、丘の上の片目の将の耳へ届くことになる。

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