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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
帝国内乱編

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丘陵地帯攻防戦―堅物の将―

 ベイリア平野から西北へ、なだらかな丘陵が続いている。

 森と畑と牧草地が、指を組むように入り混じる地形だった。


 その斜面に、帝国軍六千が薄く展開している。

 指揮を執るのはオイゲン・フォン・ハルデンリート子爵、三十六歳。


 派手さとは縁のない将である。武勲よりも「損耗を減らし、任務を完遂する」が売りの、堅実を絵に描いたような男だ。


 だからこそ、この戦場に回された。

 ここを突破されれば、ベイリアは二方向から咬まれる。


「前列、下がり過ぎるな。丘の肩は渡すなよ」


 子爵は馬上から声をかける。甲冑は飾り気のない鋼一色、外套は帝国青。隊旗と見紛うような派手さはないが、その分、矢の的にもなりにくい。


 眼下では、貴族連合軍一万二千が、じりじりと押し上げてきていた。

 数では、こちらの倍。


 だが向こうは、真正面からぶつかってくるだけではない。

 一部の部隊が前に出ては、こちらの斜面を小突くように押してくる。帝国兵が一歩二歩と押し返すと、前衛はあっさりと引き、左右へ割れる。


 その背後には、森へ潜り込む細い獣道が、いくつも口を開けていた――はずだった。

 だが森の縁には、伐り倒した枝を組んだ逆茂木と、膝ほどの杭が点々と打たれている。入口だけは、先に潰してある。

 追うか追わぬか以前に、入り口が狭い。


「追わせたい、という動きですな」

 副官が短く言う。オイゲンも同じことを思っていた。


 押しては引き、押しては引き――行動に統一性と、粘りがある。

 引く、の拍が揃っている。太鼓の間隔、角笛の合図、交代の規則。

 もう少し押せば勝てそうな手応えだけ、こちらに残していく。


(前に出れば、森で分断される。俺ならその先の窪地に伏兵を置く)

 子爵は舌打ちをこらえた。


「前衛、絶対に追うな!

 丘の肩から下りた者を呼び戻せ!

 押し返せればそれでいい!」


 伝令が駆ける。

 帝国兵たちは息を荒げながらも、丘の「肩」に線を引くように足を止めた。踏み外せば、ぬかるんだ裾で足を取られる――兵はそれを体で知っている。


「誘い込むつもりだろう。そうはいかん」


 オイゲンは冷や汗を指でぬぐい、前方の旗を見た。

 貴族軍の旗は雑多だ。伯・子爵家の紋章が花のように咲いている。

 だが、その中央で揺れる一つの旗だけは、動きが違った。


 茶と黒を基調に、鷲をかたどった紋。

 その周囲だけ、隊列の乱れが少ない。

 押しても引いても乱戦にならない。

 偽装退却の手口が、妙に鮮やかだ。


(あそこだな)

 オイゲンは心の中で印を付ける。


「……グライフェンタールが、出てきたな」

 小さく漏れた独り言に、副官がちらりと視線を寄越した。


「ご存じで?」

「ああ。西部の“堅物”だ。

 かつて神聖国と国境でやりあったとき、僅かな手勢で大軍を押し留めた名将。

 攻めは素早く、守りは手堅い」


 子爵は、軍務省で目を通した報告書の束を思い出す。


『無駄な前進をせず、兵站を重視し、被害を抑えつつ地歩を進める』

『敵の補給路を叩き、戦わずして退かせることを旨とする』

『兵を粗末に扱わないため、兵からの信頼が厚い』


 そして今、目の前の敵は――その文字のままだ。


「押しては引き、森へ誘い込む。兵の足を見ている。こちらの丘の高さも、ちゃんと測っている」

 オイゲンは鷲の旗の下の動きに目を凝らす。


「ベイリアに来ている連中とは、一線を画す。

 馬鹿の突撃じゃない。“軍”で動いている」


 冷たい汗が首筋を一筋伝った。

 兵を雑に扱わない指揮官だからこそ、厄介だ。

 強引な突撃を繰り返す相手なら、いくらでも“崩し方”がある。

 だが損耗を嫌い、守りと地形を重んじる相手は――自分の鏡を見るようで、やりにくい。


「子爵、どうしますか。前に出れば、森です」

「出ない」

 オイゲンは即答した。


「ここで止める。丘の肩は盾、森の手前は槍。向こうは誘っている。

 なら、誘いに乗らないのが一番だ。そもそも任務は防衛なのだからな」


 副官が小さく笑った。

「堅物には、堅物で対抗ですな」

「そういうことだ」


 短いやり取りのあと、また怒号と金属音が丘を満たす。

 貴族軍の一部が押しては引き、別の一部が森の影でじわじわと回り込もうとする。

 応じる帝国軍は、丘の形に沿って弓のようにしなり、決して“弦”を折らないように力を分散させていく。


 決定打は出ない。

 だが、それは敵にとっても同じだった。


 ――斥候が一人、戻らない。

 矢傷が増える。足を捻った兵が担がれて下がる。

 小さな損耗が、静かに積もる。


(ベイリアのほうは――うまくやってくれ)


 オイゲンは一瞬だけ南東の方角に目をやった。

 あちらにはブレーメン公とシャイロック伯爵がいる。

 自分の役目は、「こちらの本気」をここに釘付けにしておくことだ。


 グライフェンタールの旗が、森の縁でじり、と動いた。

 まるで手探りで壁を押しているような、その繰り返し。


 戦の理を知る者同士が、「ここで決着をつける気はない」と言葉なく理解し合っているような、奇妙な膠着だった。


 オイゲンはもう一度だけ額の汗をぬぐった。

(やはり厄介だな、グライフェンタール。

 だが――あんたが前に出てきたということは、西の坊ちゃんたちは、もう終わりだ)


 彼は剣ではなく、手綱を握り直した。


「防衛優先。丘を一歩も渡すな。殺すなとは言わんが……死なせ過ぎるな」


 それは自軍にだけ向けられた言葉ではなかった。

 敵の損耗も最小限で済ませるつもりでいる自分に、オイゲンは苦笑を隠せなかった。


 丘陵地帯の戦いは、まだ終わらない。

 だが、この内乱を通してここで流れた血の少なさが、後に帝国軍の戦史に「奇妙な消耗戦」として記録されることになる。

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