第一次ベイリア平野会戦―盾となれ―
大軍は離反が続いても、なお大軍だった。
貴族連合軍は、ベイリアの街が肉眼で捉えられるところまで進軍してきた。
彼我の距離、約三キロ。
小麦と雑穀の畑を踏み荒らしながら、およそ二万の軍勢が土煙を上げる。
「ゆけぇ! もみつぶせ!」
アルベルスベルク伯爵の号令一下、先に押し出されたのは民兵だった。
粗末な槍、刃こぼれした鎌、木の盾――いや、盾と呼ぶには薄い板。
顔色は土のようにくすみ、足取りは疲れ切っている。
それでも「進め」と命じられたら、一万五千余の男たちは進むしかない。
盾と剣をぶつけ、弱々しく鳴らしながら。
――その後ろには、貴族の直参私兵と騎馬が控えていた。逃げる者を許さぬために。
ベイリア側の先頭に立つシャイロック伯爵は、平野のうねりを一瞥した。
「前に騎兵なし。盾にもならん板。戦意も薄い。……弱兵だな」
畝と畝の間、農道がわずかに狭まる箇所がある。
シャイロックは前夜、そこを“喉”にした。
左右の畦を崩して水を含ませ、踏めば沈むぬかるみにする。
その外側には短い柵を打ち、道を外れる気持ちを折った。
畑の水と同じだ。道を作れば、流れは勝手にそこへ集まる。
彼はそこへ自軍の重装歩兵を配置した。
「大盾、前へ。長槍、二列。……よし、ここだ」
麦畑を削って作られた細い“喉”に、分厚い盾と長槍が並ぶ。
鎧の継ぎ目は鍛えられ、剣帯には本物の刃。
だが、シャイロックは彼らに厳命していた。
「民兵は、なるべく殺すな。
突撃を受け止めたら、落とし、転ばせ、押さえ込め。
派手にやれ。土煙があれば、後ろの馬鹿貴族どもには中身までは見えん」
やがて、民兵の列が“喉”にぶつかってくる。
疲れた足が泥を蹴り、弱い怒号が盾の壁に叩きつけられる。
「構え!――受けろ!」
シャイロックの号令に、騎士たちが大盾を斜めに傾ける。
衝撃が、土の中の石を伝わるように列全体を揺らす。
槍の穂先は胸元ではなく、肩や腕を狙って突き出され、力だけを削ぎ落とした。
「武器を捨てろ! 安全と食料を保証する!」
「貴族どものために死ぬな! 家に帰れ!」
盾の後ろから、騎士たちが喉が裂けるほど叫ぶ。
繰り返し、繰り返し。
やせ細った民兵たちは、その言葉に顔を上げた。
さっきまで敵に向けていた目が、盾の向こうの「帰れる」という一言を探す。
一人、また一人と、槍が地面に落ちた。
木の柄が土に刺さる音は剣戟より静かだが、戦況を動かす音だった。
「武器を捨てた者は、こちらへ!」
「走るな、転ぶ! 順番だ、順番に来い!」
降伏した民兵たちは、手早く盾の後方へ回される。
待機していたエッシェンベルスベルク侯爵家の私兵が引き取り、近くの直轄領や皇帝派貴族の領地へと、道案内していく。
「右列、押し込むな! 押さえろ! 殺すな!」
シャイロックは声を枯らしながら、なお笑っていた。
数の上では不利でも、減るのは敵の“数”だ。こちらは削られない。
ようやく、異変に気づいた者がいた。
後方、指揮台にいたマクシミリアン=エルンスト・フォン・アルベルスベルク伯爵である。
最初は“数で押している”と思っていた。
だが、いつまで経っても敵の陣形は下がりも上がりもしない。
落ちているのは味方の槍ばかりで、死体は目立って少ない。
それなのに、民兵は前へ前へ進んでいる――いや、前へ行っている“だけ”だ。
「……逃げている……?」
伯爵の顔が怒りで歪んだ。
「臆病者どもめ! 賤しき裏切り者め! 処罰する! 粛清だ!」
彼は手勢の騎兵を引き連れ、自ら馬腹を蹴って前へ出た。
粛清という名の突撃が、砂煙を上げて民兵の背中へ迫る。
その瞬間、シャイロックの騎士たちが一気に前へ出た。
「前進! 陣、詰め!」
今度は盾だけではない。
剣が一斉に抜かれ、陽光を反射する。
重装騎士の列が、アルベルスベルクの騎馬隊と民兵のあいだに、厚い壁を作った。
「退けぇぇいッ!!」
貴族たちの怒号とともに、騎馬の先頭が突っ込んでくる。
槍と槍が交錯し、金属の悲鳴が平野に散った。
「民を守ることこそ!」
シャイロックの声が、喉を焼くような響きで戦場に飛ぶ。
「帝国騎士の誇りと心得よ!!」
叫びが前線の騎士たちの耳に刺さる。
「盾となれ!」
「盾となれ!」
「――盾となれ!!!!」
騎士たちの声が一斉に空気を震わせ、盾が一斉に上がる。
打ちつける蹄鉄、振り下ろされる刃。
だが、その向こうで、武器を捨てた民兵たちは次々と盾の陰へ押し出され、
エッシェンベルクの私兵が、黙々と彼らを安全な道へと誘導していく。
剣は、ようやく抜かれた。
だが、その切っ先が守ろうとしているのは、敵味方を問わぬ「民」の命だった。




