夜の囲炉裏と、土の話
その晩、ツチダは村長の家に呼ばれた。
石を積んだ囲炉裏に火がくべられ、乾いた薪がぱちぱちと音を立てている。
湯気の立つ茶碗を手渡され、村長は笑った。
「もう体は大丈夫かね、ツチダ殿」
「ええ、だいぶ。助かりました、本当に」
この村では今、次の作付けの準備が始まっている。
村長によれば、今は〈ネーベルグラウ節〉――霧灰季と呼ばれる時期の終わりだという。
気温が下がり、雨が多くなる季節。
「冬に備えて、今のうちに種を播くんじゃ。春に芽を出させるためにな」
なるほど、冬播きか。日本の農家でも同じ理屈だ。ツチダは頷いた。
火の明かりの中で、村長の顔がちらちらと揺れる。
彼は白髪まじりで、穏やかながらも鋭い目をしていた。
「ところで……ツチダ殿。昼間、畑を見回っていたそうじゃな。あの畑を、どう見る?」
ツチダは少し迷った。
だが、隠すよりも正直に話した方がいいと思った。
「正直に言うと――土が、少し痩せています」
「痩せておる?」
「はい。見た目にもそうですが……その、ちょっと変な話をしてもいいですか」
村長が首をかしげる。
ツチダは意を決して口を開いた。
「俺には、土の中が“見える”んです。地面の下を流れる栄養とか、水の道みたいなものが……色で見えるんです」
囲炉裏の火がはぜた。
しばらくの沈黙のあと、村長は眉をひそめる。
「……色を見る、だと?」
「はい。自分でも意味はわかりません。けど、たぶん普通の人には見えないものが見えてる。俺は――もともと、別の土地で“農”を生業にしていました」
「農、か」
村長は茶碗を置き、ゆっくりと組んだ手をほどく。
「嘘をついている目ではないな」
ツチダは頷き、持っていた木の棒で土間をなぞった。
「このあたりは風が強いのに、畑に防風林が少ない。それに、同じ麦ばかりを何年も作っているせいで、土地が疲れている。雑草の生え方も偏っています。麦を休ませて、豆や根菜を間に入れれば――土が息を吹き返します」
村長は口を閉ざしたまま、長いこと火を見つめていた。
その表情は、信じたいような、恐れているような。
やがて彼は低く呟いた。
「……それは、“聖者の目”というやつかもしれんな。神の光を借りて、土の理を見る者が、昔いたと聞く。だが、そんな話は伝承の中だけのものだ」
「俺は神様でもなんでもありません。ただの百姓です」
その言葉に、村長は小さく笑った。
「ならば、明日ひとつ試してみよう。この村の北の畑――十年、実りが悪い土地がある。おぬしの“目”で、そこを見てくれんか」
ツチダは、静かに頷いた。
囲炉裏の火が揺れ、煙が屋根の隙間から夜空へと昇っていく。
外では、冬を告げる冷たい風が吹いていた。
――ここから、すべてが始まるのだ。




