宮廷工作
まずは国葬を――と決まった。
黒布はさらに濃く垂れ、鐘は正午と黄昏に長く鳴る。
悲しみの礼を整えた宮廷は、しかし胸の内で別の算盤を弾き続けていた。
涙は儀であり、権は生である。
そのあいだに、ひとりの老人が音もなく歩いた。
カシアン・フォン・エッシェンベルク侯爵。
ディートリヒの妻、アデリーネの父親であり、帝都で最も「急がない」ことで知られる男だ。
急がない者が、最短距離を選ぶときがある。侯爵はその歩幅で、静かに包囲網を編みはじめた。
最初の一矢は、噂ではなく記録だった。
国葬から三日目、侍従院の壁に短い告示が貼られる。
――侍従長に対する買収の持ちかけ、記録済み。
――日時・場所・金額・持参者の筆蹟、すべて保存。
言葉は乾いていて、感情の余地がない。
貴族たちの顔に浮かんだのは怒りでも恐怖でもなく、困惑――「誰が漏らした?」という困惑だった。
漏れてはいない。
最初から、記録していたのだ。
次の一矢は、印璽の伝統だった。
国葬から五日目、学術院の公開講話。
「帝室文書封蝋の変遷」。
講壇に置かれたのは歴代の封蝋標本。
双頭の鷲は外交文書用、内政・家政・遺言の封は橄欖の葉――
帝位は剣で守られるが、継承は枝で繋がれる、という古い寓意の説明が添えられる。
聴衆のなかに、クロプシュトック伯爵の側近がいた。
色を失い、立ち上がりかけ、また座る。
講話は講話にすぎない。
だが、それは記録され、公示に準じる扱いを得る。
さらに一矢は、法の手続きだった。
国葬から七日目、大審院の公開質疑。
「帝国基本律では継承権は如何に定まるか」
「直系長子を本則とし、健康・能力に瑕疵なき場合、代替条項は発動せず」
「第一皇子ディートリヒ殿下のご健勝、ご明敏は帝都に周知だが――
法務卿たるクロプシュトック伯爵のご意見は?」
問いは礼を尽くしていた。逃げ道も用意されていた。
だが、法務卿の口から出る言葉は、そのまま法になる。
伯爵は微笑を作り、答えを飲み込んだ。
飲み込まれた沈黙もまた、丁寧に記録される。
――喪が開ける頃には、糸は見えないまま、結び目だけが増えていた。
誰もが手際を知っているが、誰も「誰がした」とは言えないやり口。
廊下でリヒャルトが侯爵に会釈し、ぽつりと漏らす。
「鮮やかで、老練で、老獪な手腕……味方で良かった」
侯爵は肩をすくめた。
「ほほ、急がぬ者ほど、手は早いものです」
国葬から十日。戴冠式は滞りなく進む。
青と銀が宮廷の天蓋に満ち、剣と印璽と誓詞が順に渡される。
「民の糧を守り、国に根を張り、才幹ある者を身分によらず用いる」
新帝ディートリヒは、父の言葉をそのまま口にした。
言葉は硬く、短く、重い。
広場では即位の祝祭が行われ、無料で黒パンが割られ、子どもたちの歓声が上がる。
ツチダは後列からそれを見て、深く息を吐いた。
根を張る、というのは、こういう景色のことだと静かに思う。
クロプシュトック伯爵ら大貴族派――つまりアウグスト派は、もはや何もできない。
偽の遺言は“講話と質疑”に解かれ、買収の記録は“沈黙の証言”で縫い止められた。
しかし、怒りは消えない。
――むしろ頂点に達していた。




