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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
帝国内乱編
35/46

黒い葬列、白い巻物

黒い列は、止まらずに続いた。

帝都の大通りいっぱいに、喪服の軍列と官吏の隊が伸びている。

馬の蹄は布で巻かれ、車輪には革が張られていた。きしみも鉱石のきらめきも隠され、代わりに、鈍い太鼓の音だけが石畳を叩く。


ツチダは沿道の貴賓席――といっても末席だ――から、その列を見下ろしていた。

黒旗に縁取られた帝国旗が風にたなびき、その中央には、薄い布で覆われた棺が乗っている。

香の煙が流れ、花びらが舞い、道端の市民たちは膝をつき、顔を伏せていた。


(悲しんでるのは、たぶん、こっち側の人たちなんだろうな)

列の近くで泣く声がする。

遠くの屋根からは、子どもたちがこっそり覗いている。


誰もが「皇帝が死んだ」と知っている。

だが、それが具体的にどんな明日を連れてくるのかまでは、まだ分かっていない顔だ。


棺が城門の内へ消えていくと、喪の列は自然に二つに割れた。

内側へ進む者と、外へ散っていく者。

ツチダも案内の兵に促され、内へ向かう列に加わる。


皇帝が崩御したというのに、悲しみに暮れている貴族の方が少ないのではないか――

城の中庭に足を踏み入れたとたん、ツチダはそう思わずにはいられなかった。

黒衣は着ている。喪章もつけている。

だが、伏せた睫毛の下で視線が忙しく行き交い、袖口の影で指が数を数えているのが見える。

誰がどの列に並び、どの距離で棺を見送ったか。

弔意より先に、次の椅子の位置を測っている目つきだ。

(……皇帝、もういないんだよな)

帝国直轄領の改革に手を入れさせてくれたのは、あの老人だった。

「土の話はよくわからぬが、お前の言葉は腹に落ちる」と笑い、批判の矢が飛んできたときには、短い一言で弾いてくれた。

その影が消えれば、矢は真っ直ぐこちらに飛んでくる。


ツチダは、謁見の間の隅に控えながら、壇上の机に目を向けた。

赤い布の上に、封蝋を押された二通の文書が置かれている。

一通は侍従長の前に、一通は宰相――リヒャルトの前に。

皇帝は死の床に伏す前、同じ遺言を書き写させたという話をツチダも耳にしていた。

 一、次期皇帝は第一皇子ディートリヒとすること。

 一、民の糧を守り、国に根を張ること。

 一、才幹あれば身分に関係なく用いること。


簡潔で、ツチダにはありがたく、門閥貴族には面白くない文句だった。

侍従長が咳払いをし、儀礼に従って口上を述べる。

「先帝陛下は御病床にて、この二通の遺詔をお認めあそばされた。一通は中宮に、一通は宰相殿下にお預けあそばされたものである」


ざわ、と小さな波が広がる。

前列の貴族たちが、ちらりとリヒャルトを見る。

「宰相殿下は陛下の直系にあらせられる。 その御身に遺詔を預けるは、あまりにも……」

誰かがわざとらしく言葉を濁した。続けなくても意味は通じる。

(“息子に都合のいい文書を書いたんじゃないか”ってとこか)


ツチダは自分なりにざっくり訳し、口の中で苦く笑う。

遺言を疑う、というより、遺言に書かれた「身分を問わず」という一文をどうにかして潰したいのだと分かる。


侍従長が巻物に手をかけた、そのときだった。

「お待ちくだされ」

柔らかく通る声が、謁見の間の天井に届いた。

ツチダも名前だけはよく知っている男――法務卿グナイスト・フォン・クロプシュトック伯爵が、列の間から一歩進み出る。


白手袋に包まれた手には、別の封筒が握られていた。

金の蝋、皇帝の印章。見慣れた紋章が、そこにも押されている。

「侍従長殿、宰相殿下。 異を唱えるつもりはございませぬが――」

そう言って、伯爵はほんの少しだけ視線を巡らせた。

周囲の貴族たちの息が、わずかに深くなる。期待と好奇心の混ざった空気が、ツチダの立つ場所にまで流れてきた。


「陛下は御病床に伏す前、この私を信頼あそばされ、もう一通の御遺言を、密かにお託しあそばされたのでございます」

芝居の台詞のようだ、とツチダは思う。

声の抑揚も、間の取り方も、聞く者の耳をくすぐるように整っている。

(そんな大事な話、なんで今まで一度も出てこなかったんですかね)


喉まで出かかった言葉を、ツチダは噛み殺した。

ここは畑ではない。冗談で土をほぐせる場所でもない。

クロプシュトックは、ゆっくりと封蝋に小刀を入れた。

鋭い刃が蝋を割る小さな音が、妙にはっきりと響く。

「先帝陛下はおおせられた。“国は血筋の秩序によって保たれる。伝統を軽んじてはならぬ”と――」

開かれた羊皮紙の上を、伯爵の目が滑っていく。


文字まではここからでは読めない。

だが、会釈するように頷きながら聞き入る貴族たちの背中を見れば、どんな文句が並んでいるか、おおよその想像はついた。

(“才幹より血筋”、ってところか。ついでに俺みたいなのは、なかったことにされる)

ツチダは黙っている。

ここで口を挟めば、「身分を超えて口を出す平民」という物語を、彼らの手で完成させてしまうだけだ。


皇帝の遺言は二通。

そのことが、帝都では改革の「保険」だと受け止められていた。

だが今、目の前で三通目が生えたことにされようとしている。

(畑なら簡単なんだけどな。余計な芽は、抜けばいいって話で)

宮廷では、抜こうとしたほうが抜かれるのだろう。

ツチダは、自分の足元に根があるかどうかを初めて真剣に確かめながら、静かに息を吐いた。

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