黒い葬列、白い巻物
黒い列は、止まらずに続いた。
帝都の大通りいっぱいに、喪服の軍列と官吏の隊が伸びている。
馬の蹄は布で巻かれ、車輪には革が張られていた。きしみも鉱石のきらめきも隠され、代わりに、鈍い太鼓の音だけが石畳を叩く。
ツチダは沿道の貴賓席――といっても末席だ――から、その列を見下ろしていた。
黒旗に縁取られた帝国旗が風にたなびき、その中央には、薄い布で覆われた棺が乗っている。
香の煙が流れ、花びらが舞い、道端の市民たちは膝をつき、顔を伏せていた。
(悲しんでるのは、たぶん、こっち側の人たちなんだろうな)
列の近くで泣く声がする。
遠くの屋根からは、子どもたちがこっそり覗いている。
誰もが「皇帝が死んだ」と知っている。
だが、それが具体的にどんな明日を連れてくるのかまでは、まだ分かっていない顔だ。
棺が城門の内へ消えていくと、喪の列は自然に二つに割れた。
内側へ進む者と、外へ散っていく者。
ツチダも案内の兵に促され、内へ向かう列に加わる。
皇帝が崩御したというのに、悲しみに暮れている貴族の方が少ないのではないか――
城の中庭に足を踏み入れたとたん、ツチダはそう思わずにはいられなかった。
黒衣は着ている。喪章もつけている。
だが、伏せた睫毛の下で視線が忙しく行き交い、袖口の影で指が数を数えているのが見える。
誰がどの列に並び、どの距離で棺を見送ったか。
弔意より先に、次の椅子の位置を測っている目つきだ。
(……皇帝、もういないんだよな)
帝国直轄領の改革に手を入れさせてくれたのは、あの老人だった。
「土の話はよくわからぬが、お前の言葉は腹に落ちる」と笑い、批判の矢が飛んできたときには、短い一言で弾いてくれた。
その影が消えれば、矢は真っ直ぐこちらに飛んでくる。
ツチダは、謁見の間の隅に控えながら、壇上の机に目を向けた。
赤い布の上に、封蝋を押された二通の文書が置かれている。
一通は侍従長の前に、一通は宰相――リヒャルトの前に。
皇帝は死の床に伏す前、同じ遺言を書き写させたという話をツチダも耳にしていた。
一、次期皇帝は第一皇子ディートリヒとすること。
一、民の糧を守り、国に根を張ること。
一、才幹あれば身分に関係なく用いること。
簡潔で、ツチダにはありがたく、門閥貴族には面白くない文句だった。
侍従長が咳払いをし、儀礼に従って口上を述べる。
「先帝陛下は御病床にて、この二通の遺詔をお認めあそばされた。一通は中宮に、一通は宰相殿下にお預けあそばされたものである」
ざわ、と小さな波が広がる。
前列の貴族たちが、ちらりとリヒャルトを見る。
「宰相殿下は陛下の直系にあらせられる。 その御身に遺詔を預けるは、あまりにも……」
誰かがわざとらしく言葉を濁した。続けなくても意味は通じる。
(“息子に都合のいい文書を書いたんじゃないか”ってとこか)
ツチダは自分なりにざっくり訳し、口の中で苦く笑う。
遺言を疑う、というより、遺言に書かれた「身分を問わず」という一文をどうにかして潰したいのだと分かる。
侍従長が巻物に手をかけた、そのときだった。
「お待ちくだされ」
柔らかく通る声が、謁見の間の天井に届いた。
ツチダも名前だけはよく知っている男――法務卿グナイスト・フォン・クロプシュトック伯爵が、列の間から一歩進み出る。
白手袋に包まれた手には、別の封筒が握られていた。
金の蝋、皇帝の印章。見慣れた紋章が、そこにも押されている。
「侍従長殿、宰相殿下。 異を唱えるつもりはございませぬが――」
そう言って、伯爵はほんの少しだけ視線を巡らせた。
周囲の貴族たちの息が、わずかに深くなる。期待と好奇心の混ざった空気が、ツチダの立つ場所にまで流れてきた。
「陛下は御病床に伏す前、この私を信頼あそばされ、もう一通の御遺言を、密かにお託しあそばされたのでございます」
芝居の台詞のようだ、とツチダは思う。
声の抑揚も、間の取り方も、聞く者の耳をくすぐるように整っている。
(そんな大事な話、なんで今まで一度も出てこなかったんですかね)
喉まで出かかった言葉を、ツチダは噛み殺した。
ここは畑ではない。冗談で土をほぐせる場所でもない。
クロプシュトックは、ゆっくりと封蝋に小刀を入れた。
鋭い刃が蝋を割る小さな音が、妙にはっきりと響く。
「先帝陛下はおおせられた。“国は血筋の秩序によって保たれる。伝統を軽んじてはならぬ”と――」
開かれた羊皮紙の上を、伯爵の目が滑っていく。
文字まではここからでは読めない。
だが、会釈するように頷きながら聞き入る貴族たちの背中を見れば、どんな文句が並んでいるか、おおよその想像はついた。
(“才幹より血筋”、ってところか。ついでに俺みたいなのは、なかったことにされる)
ツチダは黙っている。
ここで口を挟めば、「身分を超えて口を出す平民」という物語を、彼らの手で完成させてしまうだけだ。
皇帝の遺言は二通。
そのことが、帝都では改革の「保険」だと受け止められていた。
だが今、目の前で三通目が生えたことにされようとしている。
(畑なら簡単なんだけどな。余計な芽は、抜けばいいって話で)
宮廷では、抜こうとしたほうが抜かれるのだろう。
ツチダは、自分の足元に根があるかどうかを初めて真剣に確かめながら、静かに息を吐いた。




