国の病床
最初の咳は、誰も気に留めなかった。
二度目の咳で、侍医が眉をひそめる。
三度目の咳で、謁見は一日延びた。
帝都の空が低くなる。
宮廷の階段が長くなる。
人々の声がよく響く。
笑い声だけが、上階へ届かなくなった。
皇帝の寝所は、昼でも薄暗かった。
分厚い帳が光を拒み、空気は薬草と蝋燭と、ゆっくり冷えていく人間の匂いで満たされる。
侍医たちは匙と薬瓶を運び、静かに頷き合い、静かに首を振る。
陛下の胸は浅く上下する。
枕元に積まれた報告書は、いつの間にか読む者を主を変えていた。
かつては皇帝の指がめくっていた紙を、今は長男ディートリヒが、代わりに一枚一枚追っている。
「本日の軍報を」
かすれた声に、ディートリヒは膝をつき、短くまとめた言葉だけを選んで伝える。
勝ちも負けも、数字に変えてから渡す。余計な心配をさせないため――それは息子としてではなく、将軍としての配慮だった。
枕元の反対側では、リヒャルトが静かに書類を束ねている。
法務官たちから上がる文書は山になるが、そのどれもが「判」は押されず宙に浮いたままだ。
皇帝の右手は痩せ、印章を握るには力が要りすぎた。
ナイトハルトは物語を読んで聞かせ、脈を測る。
手首に触れ、腕の上にそっと耳を当て、帝国の心臓の鼓動を数える。
数は日ごとに弱くなり、そのたびに彼の目は、兵站表よりも重い現実から目をそらしたくなる。
クローディアは水差しを持ち、唇を湿らせる役目を引き受けた。
まだ若いその手は震えない。震えないように、指先に力を込めている。
皇帝が目を開けるたび、彼女は昔と同じように笑顔を作る。
幼い頃と違うのは、笑いながら、部屋に満ちる「終わりの匂い」をはっきりと嗅ぎ分けてしまうことだけだった。
寝所の外では、別の名が囁かれている。
皇帝派――ディートリヒ、リヒャルト、ナイトハルト、クローディア。
新しく開かれた秩序たち。
そして門閥派――皇弟アウグスト、クロプシュトックをはじめとする「古き秩序」の守り手たち。
名で分けられた列は、まだ剣を抜かない。だが視線が交わるたび、見えない刃がこすれ合う。
アウグストは病室に長く留まれない。
薬草と蝋燭と老いの匂いが、絵画と葡萄酒の部屋よりも重く、息苦しいからだ。
彼は廊下で留まり、何度も胸元の紋章を握りしめる。
兄の代わりになる覚悟はない。だが、そう求める声があることも、はっきりと知っていた。
クロプシュトック伯爵は、寝所には滅多に近づかない。
彼の仕事は病床ではなく、その外側――印章と文書と、後世に残る「形」のほうにある。
今日の脈拍よりも、明日の継承文書。
今日の咳よりも、明後日の謁見順。
彼にとって死の匂いとは、肉の腐臭ではなく、空席になる椅子の数と同義だった。
水面下の拮抗は、まだ水の音しかしない。声は静かだ。
だが静けさは、嵐の訓練である。
ツチダは帝都の外れで、畑の端に腰を下ろした。麦の先はまだ柔らかい。
遠くで鐘が鳴り、街へ向かう鳥の群れが空を横切る。
「理が、風に揺れている」
誰にともなくそう言って、彼は立ち上がる。
揺れるなら、倒れないように根を増やせばいい。
畝の間を歩く足音は、まだ土のことしか考えていない。
夜空のどこかで、旗が小さく鳴った。
誰の旗かは、まだ風しか知らない。




