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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
帝国内乱編
34/42

国の病床

最初の咳は、誰も気に留めなかった。

二度目の咳で、侍医が眉をひそめる。

三度目の咳で、謁見は一日延びた。


帝都の空が低くなる。

宮廷の階段が長くなる。

人々の声がよく響く。


笑い声だけが、上階へ届かなくなった。

皇帝の寝所は、昼でも薄暗かった。

分厚い帳が光を拒み、空気は薬草と蝋燭と、ゆっくり冷えていく人間の匂いで満たされる。

侍医たちは匙と薬瓶を運び、静かに頷き合い、静かに首を振る。


陛下の胸は浅く上下する。

枕元に積まれた報告書は、いつの間にか読む者を主を変えていた。


かつては皇帝の指がめくっていた紙を、今は長男ディートリヒが、代わりに一枚一枚追っている。

「本日の軍報を」

かすれた声に、ディートリヒは膝をつき、短くまとめた言葉だけを選んで伝える。

勝ちも負けも、数字に変えてから渡す。余計な心配をさせないため――それは息子としてではなく、将軍としての配慮だった。


枕元の反対側では、リヒャルトが静かに書類を束ねている。

法務官たちから上がる文書は山になるが、そのどれもが「判」は押されず宙に浮いたままだ。

皇帝の右手は痩せ、印章を握るには力が要りすぎた。


ナイトハルトは物語を読んで聞かせ、脈を測る。

手首に触れ、腕の上にそっと耳を当て、帝国の心臓の鼓動を数える。

数は日ごとに弱くなり、そのたびに彼の目は、兵站表よりも重い現実から目をそらしたくなる。


クローディアは水差しを持ち、唇を湿らせる役目を引き受けた。

まだ若いその手は震えない。震えないように、指先に力を込めている。

皇帝が目を開けるたび、彼女は昔と同じように笑顔を作る。

幼い頃と違うのは、笑いながら、部屋に満ちる「終わりの匂い」をはっきりと嗅ぎ分けてしまうことだけだった。


寝所の外では、別の名が囁かれている。

皇帝派――ディートリヒ、リヒャルト、ナイトハルト、クローディア。

新しく開かれた秩序たち。

そして門閥派――皇弟アウグスト、クロプシュトックをはじめとする「古き秩序」の守り手たち。

名で分けられた列は、まだ剣を抜かない。だが視線が交わるたび、見えない刃がこすれ合う。


アウグストは病室に長く留まれない。

薬草と蝋燭と老いの匂いが、絵画と葡萄酒の部屋よりも重く、息苦しいからだ。

彼は廊下で留まり、何度も胸元の紋章を握りしめる。

兄の代わりになる覚悟はない。だが、そう求める声があることも、はっきりと知っていた。


クロプシュトック伯爵は、寝所には滅多に近づかない。

彼の仕事は病床ではなく、その外側――印章と文書と、後世に残る「形」のほうにある。


今日の脈拍よりも、明日の継承文書。

今日の咳よりも、明後日の謁見順。


彼にとって死の匂いとは、肉の腐臭ではなく、空席になる椅子の数と同義だった。

水面下の拮抗は、まだ水の音しかしない。声は静かだ。

だが静けさは、嵐の訓練である。


ツチダは帝都の外れで、畑の端に腰を下ろした。麦の先はまだ柔らかい。

遠くで鐘が鳴り、街へ向かう鳥の群れが空を横切る。

「理が、風に揺れている」


誰にともなくそう言って、彼は立ち上がる。

揺れるなら、倒れないように根を増やせばいい。

畝の間を歩く足音は、まだ土のことしか考えていない。

夜空のどこかで、旗が小さく鳴った。

誰の旗かは、まだ風しか知らない。

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