不信・不満・不平等
――平民の功績を、皇族が利用しているらしい。
成果が出れば出るほど、宮廷の廊下はざわつきを増した。
言葉は逆立ちし、体面は真顔で嘘をつく。
名もなき台所から上がった湯気が謁見の間まで届いたとき、誰かの食卓が貧しくなるのが、この都の常であった。
「顔を上げるな、功績は影で数えよ」――貴族の古い作法は、理よりも古い。
ツチダ式の畝が帝国各地で整い始めた頃、噂は歩幅を広げ、やがて理そのものを“皇女の寵愛”に言い換えた。
「下賤の策士」「取り入る農民」「言葉を武器にする男」
呼び名が増えたところで、ツチダのやることは一つしかない。
土に膝をつき、次の播種を仕込むことだ。
彼が黙っているぶんだけ、噂はよく育つ。
止められないのではない。
体面は、足音を隠さない。
戦は金になる。穀も金になる。
ゆえに、穀を持つ者は戦の席で椅子を奪われる。
クロプシュトック伯爵は、報告書の角を揃えながら考える。
戦局は停滞、補給は改善、兵站の主導は宮廷の新顔――コウヘイ・ツチダ。
名もなき農民の理が、皇女の口から語られ、皇帝の裁可を得た。
「ならば、止める。もしくは、汚す」
伯爵は戦況説明の場で言葉を選ぶ。
補給の改善は確かだ。認めざるを得ない。
だが、それは“皇女の私兵的顧問”による私案ではないのか――と、あくまで疑問の形で差し込む。
「法務卿として、確認せねばなりますまいな。ツチダ殿の権限が、陛下のご意思とどこまで一致しているのかを」
彼は直接、泥を投げない。
代わりに水をまく。床が滑れば、人は勝手に転ぶ。
報告会の終わり、数通の書簡が鳥のように飛び立った。
宛先は同じ派閥の伯爵家、侯爵家。文言は丁重。中身は冷たい。
――次の戦役を提案する。補給はクロプシュトック家が一手に引き受ける。民の畑は国境に近すぎて危険であり、徴発はやむなしと考える――。
書簡を受け取った老侯爵は、封蝋を見て眉を上げ、文面を読み終えてから口元だけで笑った。
別の若い伯爵は、机の上に広げた地図の上で指を滑らせながら、「危険」という言葉の便利さを噛みしめる。
「民のため」と書けば、奪い取ることも守ることも、どちらも正義になる。
やがて、同じ趣旨の返書がいくつもクロプシュトック邸へ戻ってくるだろう。
賛同、留保、条件付きの協力。
どれも一様に、「改革を急ぎすぎている」という一文を含んで。
宮廷の廊下のざわめきは、まだ紙と舌だけのものだ。
だが、それが剣の音に変わるまでに、そう長い時間はいらない。




