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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
帝国内乱編
32/41

土の顔、農の理

冬は畑を黙らせる――そう信じていた大人たちの前で、芽吹きは小さく舌を出した。

帝国の北端、国境沿いの村、ブランツ。

雪はまだ脛まであるのに、ツチダが並べさせた木枠の中では、麦の糸がうす緑に震えている。


「寒いなら、寒いなりのやり方があるんです」

そう言って彼は、火ではなく“理”で土を温める。

籾を起こし、芽を急がせ、家畜の息で囲いの中の空気を巡らせる。

猟兵たちは風除け柵を雪に噛ませ、子どもたちは指先を真っ赤にして藁を編む。

村長は手袋の上から掌を合わせた。

「冬に畑が笑う日が来るとはな」


クローディアは白息を吐き、目を細める。

「理は季節に負けません。季節のほうが、理に歩み寄るのです」


遠く、狼の遠吠え。

近く、芽の鼓動。


北の大地は無口だ。だが無口なものほど、約束をよく守る。


     ◇


南へ降りれば、土は粉をふき、風は塩のように頬を刺す。

リュステンの畑は、降らない雨を待つうちに裂け目を増やしていた。

ツチダは杭を打ち、紐を張り、子どもたちに言う。


「一本の紐が水の道になる。道が増えれば、畑は迷わない」

滴下灌漑――言葉は難しいが、しくみは簡単だ。

高低差でゆっくり落ちる水が、根の高さだけを濡らす。

バケツ一杯が、畝を一筋ずつ歩いていく。

「水は欲張らせないのがコツです」


クローディアは頷き、日差しの下で手帳を閉じた。

「帝国の法も、かくありたいものですね。一度に流さず、必要なところに、必要なだけ」

笑い声と、遠雷のような足音。

市場から戻るロバの蹄が乾いた地面を叩く。

畑の端で、初めての若葉が風に揺れたとき、誰かが小さく拍手をした。


南は乾いている。だからこそ、最初の一滴が祝祭になる。


     ◇


中央高原、アーベルの空は広い。

見渡す限り、畝は定規で引いたように揃い、風は背丈を揃えた麦の上を均等に歩く。

ここでは実験が“標準”になる。

ツチダ式の肥培表は壁にかけられ、種子の袋には播種日と土の癖が記されていた。

名もなき工夫は名を与えられ、名を得た工夫は、誰でも真似できる“理”へと降りてくる。


視察に来たナイトハルトが口笛を鳴らす。

「この整備、軍の補給路と同じだ。迷いがない」

ツチダは肩をすくめた。

「俺の故郷では、腹が減っては戦はできぬ、と言います」


風が地図をめくり、畑が応えるようにさざめいた。

ここから帝都までは一本道。

畝と畝の間に、帝国の未来が等間隔に並んでいる。


     ◇


帝都の議事堂は、大理石の冷たさを誇っている。

だが、その中央で声を発した少女――いや、もはや少女と呼ぶには責任を背負いすぎた女――クローディアの言葉は、温度を持っていた。


「民の食は、帝国の命脈です。理は誰のものでもなく、皆の明日のためにあります」


並ぶ貴族、学士、軍人。視線は重いが、彼女の背筋はそれより強い。

ツチダは列の端から見守りながら、思う。

現場で泥を踏み、子どもの背丈に膝をついて話してきた時間が、

今この場で“帝国語”になって響いているのだと。

皇帝が短く頷く。


「その理、帝国の基礎とせよ」

拍手は、最初は遠慮がちな雨。やがて天蓋を打つ驟雨になる。


豊穣の報告は、同時に前触れでもある。

収穫を狙う影は、いつだって倉と人心の近くに集まるものだ。

だが今は、まだ祝え。

理が声を得た夜に、人々は長く眠り、明日を信じる権利を取り戻したのだから。

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