倉の声、鐘の音
季節はゆっくりと巡り、見本の畑は一つ、また一つと増えていった。
南西の黒土だけでなく、北の寒い台地には風よけと浅い畝、東の霧の谷には等高線にそった溝と遅まき、南の丘には石ひろいと薄い堆肥。
どの土地でも、黒板の一行目から三行目までは同じで、四行目だけがその土地の事情で書き足されていく。そこにはたいてい「この土地の息を聞くこと」といった言葉が入った。
四旬ごとに上がってくる報せは、飾り気がなく、まじめだった。
出芽は少し早くなり、茎だけがひょろひょろと伸びる畑は減っていく。
雨のあと、水たまりは前より早く消え、立ち枯れも目に見えて少なくなった。
働き手の寝こみは減り、市場では塩を少し余分に買う家が増え、酒場では閉店ぎりぎりまで歌が続く日が増えた。
倉の戸板に二度目のかんぬきを打てる村も出はじめ、倉という箱が、ゆっくりと「声」を持ち始めていた。
一方で、帝都の廊下に流れる声は、日ごとに濃くなる。
「平民に皇族がまじわるべきではない」「家門の面目が」といった不満が、絹の袖の内側で何度もくり返された。
数字の上では結果を認めざるを得ない。だが、序列としては認めたくない。
そのわがままが、しみのように積もって、宮廷の壁の見えないところにたまっていく。
ツチダは相変わらず、板札の角を丸く削り、文字の線を太くしていた。
「誰が読んでも同じ意味で」とつぶやきながら、黒板の粉を指で払う。
クローディアは相変わらず、泥の上に膝をついて、畝のあいだで人の話を聞き、必要なところだけをそっとほぐしていった。
ディートリヒは峠を越えない前提で地図に赤線を重ね、リヒャルトは室の文書を少しずつ公開の棚に移し、ナイトハルトは学舎で子どもと大人に、黒板の三行を半分笑い話にしながら読み聞かせた。
南西直轄の果樹の町。
風が軽く、葉の裏がきらきら光る日、青銀の双鷲の封ろうをつけた早馬が、土けむりを引いて門をくぐった。
「至急、殿下へ!」
門番の声が走り、侍女が駆け寄る。
封を割る音が、なぜかやけに大きく聞こえた。
紙を広げた瞬間、墨の匂いがふっと強く立ちのぼる。
クローディアは目を走らせ、そのまま息を止めた。
ツチダのほうを見やる。
ツチダは、いつものように軽口を出そうとして、やめた。
侍女の手が細かくふるえ、紙の角がかさりと鳴る。
書かれていたのは、短い一行だった。
――皇帝不予。
音が、少し遅れて戻ってくる。
遠くで子どもが黒板を読む声。
風にゆれる麦の穂がこすれる音。
果樹の枝が、きい、と小さく鳴る。
クローディアは紙をていねいに折りたたみ、まっすぐ立った。
顔色は変わっているのに、声は静かだった。
「……帰ります」
ツチダはただ、深くうなずいた。
倉がようやく息をしはじめたこの国で、帝都の鐘の音は、これから変わる。
畝は整い、黒板の文字は増え、甘い匂いの堆肥も育っている。
だが都では、秤の目盛りが別のやり方で動き出す。
次の季節へ。
理と名が、あらためて試されることになる。




