表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
31/40

倉の声、鐘の音

季節はゆっくりと巡り、見本の畑は一つ、また一つと増えていった。

南西の黒土だけでなく、北の寒い台地には風よけと浅い畝、東の霧の谷には等高線にそった溝と遅まき、南の丘には石ひろいと薄い堆肥。

どの土地でも、黒板の一行目から三行目までは同じで、四行目だけがその土地の事情で書き足されていく。そこにはたいてい「この土地の息を聞くこと」といった言葉が入った。


四旬ごとに上がってくる報せは、飾り気がなく、まじめだった。

出芽は少し早くなり、茎だけがひょろひょろと伸びる畑は減っていく。

雨のあと、水たまりは前より早く消え、立ち枯れも目に見えて少なくなった。

働き手の寝こみは減り、市場では塩を少し余分に買う家が増え、酒場では閉店ぎりぎりまで歌が続く日が増えた。

倉の戸板に二度目のかんぬきを打てる村も出はじめ、倉という箱が、ゆっくりと「声」を持ち始めていた。


一方で、帝都の廊下に流れる声は、日ごとに濃くなる。

「平民に皇族がまじわるべきではない」「家門の面目が」といった不満が、絹の袖の内側で何度もくり返された。

数字の上では結果を認めざるを得ない。だが、序列としては認めたくない。

そのわがままが、しみのように積もって、宮廷の壁の見えないところにたまっていく。


ツチダは相変わらず、板札の角を丸く削り、文字の線を太くしていた。

「誰が読んでも同じ意味で」とつぶやきながら、黒板の粉を指で払う。

クローディアは相変わらず、泥の上に膝をついて、畝のあいだで人の話を聞き、必要なところだけをそっとほぐしていった。

ディートリヒは峠を越えない前提で地図に赤線を重ね、リヒャルトは室の文書を少しずつ公開の棚に移し、ナイトハルトは学舎で子どもと大人に、黒板の三行を半分笑い話にしながら読み聞かせた。


南西直轄の果樹の町。

風が軽く、葉の裏がきらきら光る日、青銀の双鷲の封ろうをつけた早馬が、土けむりを引いて門をくぐった。


「至急、殿下へ!」


門番の声が走り、侍女が駆け寄る。

封を割る音が、なぜかやけに大きく聞こえた。

紙を広げた瞬間、墨の匂いがふっと強く立ちのぼる。


クローディアは目を走らせ、そのまま息を止めた。

ツチダのほうを見やる。

ツチダは、いつものように軽口を出そうとして、やめた。

侍女の手が細かくふるえ、紙の角がかさりと鳴る。


書かれていたのは、短い一行だった。


――皇帝不予。


音が、少し遅れて戻ってくる。

遠くで子どもが黒板を読む声。

風にゆれる麦の穂がこすれる音。

果樹の枝が、きい、と小さく鳴る。


クローディアは紙をていねいに折りたたみ、まっすぐ立った。

顔色は変わっているのに、声は静かだった。


「……帰ります」


ツチダはただ、深くうなずいた。


倉がようやく息をしはじめたこの国で、帝都の鐘の音は、これから変わる。

畝は整い、黒板の文字は増え、甘い匂いの堆肥も育っている。

だが都では、秤の目盛りが別のやり方で動き出す。


次の季節へ。

理と名が、あらためて試されることになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ