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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
28/46

御前の一言

宮廷・評議の間。(デア・レーギス)

金と青の垂幕の下で、いつもより空気がざらついていた。

列の先頭で、クロプシュトック伯爵が白手袋をきしませながら卓を叩く。


「恐れ多くも――皇女殿下に泥を踏ませ、膝を汚させるとは!何たる不敬、何たる背信!平民ごときと同じ畝に立たせるなど、帝室に対する辱めに他ならぬ!」


声が石壁に跳ね返り、左右に並んだ門閥貴族たちが一斉にうなずいた。


「まこと、聞き捨てならぬことにございますな」

「殿下の御身を泥にまみれさすとは、身のほど知らずにも程がある」

「ツチダとやら、即刻縛めて獄に下すべきでありましょう!」

「帝室を惑わす君側の奸、まさしくそれに相違ありませぬな」

「下賤の者が殿下の御名を利用し、権勢を得んとする……由々しき事態にござる」

「門の内に置いてはなりませぬ。外へ、外へ追い出すべきだ!」


リヒャルトは内心でだけため息をつき、表情は変えずに報告書を指で揃えた。

ディートリヒは眉一つ動かさず、地図棒を静かに握ったまま。

ナイトハルトは扇で口元を隠し、目だけで成り行きを追っている。


クロプシュトックはさらに身を乗り出した。

「加うるに!専売を侵す油搾り、家畜の芋を人の口に運ぶなど、悪しき前例にございますぞ。税の根を揺るがし、秩序を乱し、戦の気勢を削ぐ――帝国を蝕む毒麦であると申せましょう!」


別の伯爵がすかさず声を重ねる。

「左様、左様。農政改善室とやら、聞こえはよろしいが、実のところは皇女殿下を惑わす算段にございましょう」

「殿下の御権威を笠に着て、我ら貴族領に口出しをいたすなど、決して許されてはなりませぬ!」


ざわざわと、波のような同調のうなりが広間を満たしていく。

「皇女殿下はお優しすぎる。情にほだされ、奸臣に利用されておられるのだ」

「まこと。帝国を真にお守りできるのは、由緒ある貴族たる我らのみでありまする」


言葉が積み上がってゆく。

軽い言葉だが積み上がればそこそこの量になる。

そこへ、皇弟アウグストがわざとらしく咳払いをした。

椅子の肘掛けに身を預け、涼しい笑みを浮かべる。


「諸卿、静まられよ」

一拍置いて、よく通る声で続ける。


「余とて、姪の身を案じぬわけではない。土に膝をつくなど、皇女にふさわしからぬ姿――諸侯のその嘆き、しかと受け取った」

貴族たちの視線が、一斉にアウグストへ集まる。


「ゆえにこそ。帝室は、いたずらに民と“交わりすぎて”はなりますまい。距離こそ威であり、威こそ秩序の芯。もし、その芯を揺るがす平民がいるとすれば――早めに抜き取らねばなりますまいな?」


柔らかい口調のまま、言葉だけは鋭く締める。

クロプシュトックが満足げにうなずいた。


「さすがは皇弟殿下。お言葉の通りにございます。ツチダなる者、これ以上殿下の側に置けば、いずれ帝室の尊厳にも傷がつきましょう」


「平民が“帝国農政顧問”とは片腹痛い。顧問とは本来、由緒ある家柄の者が任ぜられる席でございます」

「そうですとも。剣も学も持たぬ農夫が、帝国の条に口を出すなど、聞いたこともありませぬ!」


言葉が重なり、音が高くなる。

リヒャルトは、胸の内でだけ短く数を数えた。

――一、二、三。

杖音がひとつ。

石の床に乾いた音が走り、広間の空気がぴたりと止まる。


上段から、皇帝エルンスト・フォン・アーネンエルベがゆっくりと口を開いた。

声は低く、怒号でも叱責でもなく、ただ秤に重りを置くような響きだった。


「……ツチダなる者を、呼べ」


ざわめきが、一瞬、戸惑いに変わる。

皇帝は淡々と続けた。


「実際に聞けばよい。余は知らぬ者に、知らぬまま判を押すつもりはない。能力があろうとも、帝国に害をなすならば、排除せねばならぬ。しかし――帝国に益をなすならば、尊重せねばならぬ」


静かな視線が、列を左右になぞっていく。


「余は、帝国の繁栄を望んでいる。“血筋”も“格式”も分かる。だがそれらは、帝国を養う”実”(じつ)の上にこそ立つものだ」

その一言で、広間の空気が変わった。

貴族たちの顔から血の気が引き、官僚たちの筆先が一斉に走り出す。

書記が、ツチダ招致の手続き条文を読み上げ始めた。


クロプシュトックが、なお食い下がろうと口を開く。

「し、しかし陛下、秩序というものには前例が――」


皇帝は首を横にも振らず、ただ一語だけを足した。

「帝国の秩序は法だ。前例ではない。前例は目安に過ぎぬ」


それ以上の飾りはなかった。

けれど、その一言が、先ほどまでの貴族たちの言葉をすべて軽くしてしまうほどには、重かった。


リヒャルトが静かに頭を垂れる。

「拝命。直ちに南西直轄領より、コウヘイ・ツチダを招集いたします」


ディートリヒは、地図棒を置いて短く付け加えた。

「護衛と道中の糧は軍務にて手当ていたします。畑を荒らさぬ手順で」


ナイトハルトは扇を閉じ、隣の若い官僚に小声で囁く。

「秤が置かれたね。今度は重さで決まる番だよ」


評議は散じ、金青の垂幕が静かに揺れた。

帝都から南西へ向けて、一枚の呼び札が飛ぶ。


“誰が読んでも同じ意味”を畑に刻んできた男に、今度は帝国の言葉が向けられる。

血が騒ぐ都で、ようやく秤が目を開いた。

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