街道の鞍上、理と国の素性
帝都へ向かう街道は、丘を越えるたびに色を変えていく。
薄金の刈り株、霧灰の湿地、遠くには青く寝そべるアルメル山脈。
巡検隊は歩調を崩さず進み、その中央で、ツチダとクローディアは並んで馬を進めていた。
「改めて、自己紹介をいたしますね」
クローディアが口を開いた。
「私はクローディア・フォン・アーネンエルベ。現皇帝陛下の娘で、今は巡検の任にあります。好きなものは、順序の通った議論と……今日、教えていただいた白いソースです」
「最後のは、台所の条文で補足できますね」
ツチダが笑う。
「俺はツチダ。出自は――記憶が曖昧な漂着者。本職は百姓。嫌いなものは、腹を痩せさせる理と、急がせる装置です」
「筋が通っています」
クローディアが満足そうにうなずいた。
彼女は手綱を軽く引き、西へ視線をやる。山脈の尾根に雲が絡んでいた。
「西の神聖国とは、長く慢性的な戦争状態が続いています。名目は『信仰と秩序の防衛』ですけれど……実際の火種は、国境山岳地帯の銀鉱山です」
ツチダが首を傾げる。
「銀、ですか」
「貨幣と兵站の“血”です。銀は国を回す血液です。問題は、それを戦の口実に変える者たちがいることですね」
クローディアは淡々と続ける。
「強硬派の大貴族、クロプシュトック伯爵。代々の門閥で、軍と商会に深く絡んでいます。彼らは『皇帝のため』と称しながら、実際には銀脈を狙っています。さらに厄介なのは、現皇帝――父の弟にあたるアウグスト・フォン・アーネンエルベが彼らと組み、国政を牛耳ろうとしていることです。王家の名と古い家柄が互いの欠けを埋め合う形で、停戦の機会を何度も潰してきました」
隊の先頭で風見役のヴァルトが一度だけ眉を動かしたが、クローディアは言葉を選ぶように、そのまま続けた。
「結果として、国も国民も重税と戦争で疲弊しています。小麦七公三民は、まだ良い方です。人夫の供出、雑穀への新税、専売の拡張……生活の余白が削られ、民が痩せています」
ツチダが短く息を吐く。
「畑を削れば、来年の数字が削れます。今日の税は立っても、明日の税が倒れます」
クローディアは横目でツチダを見る。
「ですから兄たちは、どうにかすべきと考えて、精一杯動いています。
ディートリヒ兄上は軍の指揮官として統制を正し、無駄な出兵を抑えたい。
リヒャルト兄上は宰相として、専売と税制を目的別に切り分ける改革を進めたい。
ナイトハルト兄上は大学の学者たちを説得して、主戦論を抑えようとしています」
クローディアは小さく、はあ、とため息をついた。
「けれど……強硬派と叔父の連携は強固です。『外敵の脅威』を大きく語れば、議場はすぐに刃の言葉で満ちてしまう。理を並べる時間が、いつも足りません」
ツチダは頷き、鞍の上で体の位置を少し直した。
「畑と同じですね。声を荒げるほど、急がせる装置になります。待つ理を置いて、手順で説くしかない」
「だから、あなたを帝都にお連れいたします」
クローディアは素直に言った。
「畑の理を“条”に翻訳する仕事は、今の帝都にとって、刃よりもよく効きます。
――たとえば芋。“食べられなかったから飼料”という伝統を、“手順が整えば補助食”へ読み替える条。
――油。“流通維持の専売”を守りつつ、“家内での最低限の灯と食”を専売の侵害から除外する条。
――嘆願の言い方。難しい語ではなく、誰が読んでも同じ意味に整えた書式の普及」
ツチダは苦笑する。
「台所の条文を、そのまま会議に出す日が来るとは」
「来させてみせます」
クローディアはきっぱりと言った。
「帝国は、理と法の国です。理を言葉にし、その言葉を法にする。順序は明快です」
少し間があった。風が向きを変え、乾いた草の匂いが通り過ぎる。
「殿下」
ツチダが口を開く。
「土の“機嫌”が見えると、俺は言いました。さっきからずっと、殿下の周りの魔素が、青と銀で一定のリズムを刻んでいる。……落ち着いた畑に似ています」
クローディアは目を細め、ふっと笑った。
「褒め言葉として、ありがたく受け取ります。理の呼吸は、剣の稽古と同じです。呼吸が乱れれば、言葉も刃も濁ります」
隊の後方で荷馬が嘶き、子どもが手を振った。レイト村から見送りに走ってきたのだろう。小さな声が、風に割れて届く。
クローディアは前を向いたまま、声を少し落とす。
「帝都に着きましたら、まず兄たちに伝えてください。“兵站は腹から始まる”ということを。“専売の核心”と“家内の最低限”の線引きを。頭の硬い学者にわかるようなあなたの"言葉"を」
「それから――伯爵の処し方ですね。今日は暫定で済ませましたけれど、『恩と恐れを同じ皿に盛る』というやり方は、長期の税を腐らせます。条文で正します」
ツチダは一拍置いてから言った。
「殿下の言葉は、畝ですね。まっすぐで、どこからでも耕せます」
「あなたの言葉は、種です。小さくて、たしかに芽を出します」
二人は短く笑い合い、再び無言で並んだ。
蹄が同じ拍で石を叩く。山脈は近づき、街道は帝都の扉へとまっすぐ伸びていく。
やがて、遠くに青銀の旗がひらめいた。前哨の関門だ。
クローディアは外套を正し、最後の確認を告げる。
「帝都では、刃は抜かず、条を抜きます。あなたは順序でお話しください。私は由来を示します。安全・統制・財政――この三つの目的で、共に磨きましょう。腹を痩せさせない冬のために、春を前倒しで用意いたします」
「了解」
ツチダは短く答えた。
「理は独占しない。――帝都にも、分けに行きます」
夕光が傾き、二人の影が街道に長く延びる。
畑の理と帝都の法。
異なる出自の二つの呼吸が、同じリズムで歩きはじめていた。




