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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
18/40

石の広間、青銀の裁き前夜

石の扉が開くと、先に立っていた伯爵が平身低頭で進み出た。

「皇女殿下、ようこそ……巡検の栄、痛み入ります」


クローディアは小さくうなずくだけで受け、視線を広間に滑らせた。

「拘束中の者を。ここで話を聞きます」


俺は兵に伴われて広間へ出る。青銀の外套の人物が、こちらを振り向いた。


(……皇女?おえらいさんだな)

その瞬間、胸の奥で小さなざわめきが立った。

彼女の周囲で、魔素が静かに循環している。川みたいに騒がず、風みたいに途切れず、一定のリズムで青と銀が行き来している。


(……きれいだ)

だが今は、見るより言うほうが先だ。俺は一歩前へ出た。

「ツチダです。畑の話しかできませんが」


伯爵が咳払いを挟む。

「その者は――」

クローディアが手を上げて制した。

「まず当人の三行から。あなたは何をし、なぜしたのです?」


俺はうなずき、順番で置く。

「一つ。油――家の灯の補助と香り付けに、家の中だけで使いました。売り買いはしていません。

二つ。芋――三つの掟(緑は捨てる・暗い所・少量・慎重・記録)を守って、試験区画だけで。これも売り買いはなし。

三つ。紙――来年の数字を守るための段取りです。堆肥・排水・輪作の手順を、誰でも読める言葉に直して配りました」


クローディアの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。

「面白い。畑の理を、手順と言葉に変えたのですね」


ハルトマンが割って入る。

「しかし法は――」


クローディアは首を傾げた。

「法は『なぜ』の器です。伯爵、いくつか由来を確認しましょう」


彼女は石机の上に、指先で三つの点を打つ。

「一点目。芋が家畜飼料になったのは、人が安全に食べられなかったから。毒の扱いと選抜の知が足りなかった。ならば、安全側の手順が確立され、量が制御されるなら、条の読み替えは可能か。

二点目。油が専売なのは、大きな畑と設備が要り、品質と流通を統制するため。ならば、家の中だけの小さな搾りが流通を乱さず、灯と食の最低限を支えるだけなら、専売の核心には触れないのではないか。

三点目。文書の配布。『理は独占しない』は秩序を壊す言葉かしら?危険を避け、量を抑え、記録を残す――やめ方まで書いてある。これはむしろ、秩序の言葉です」


伯爵は額の汗を袖でそっと拭い、「も、もちろん殿下のご高説は……」と歯切れ悪く言葉を濁す。

クローディアは視線だけで追い詰めはしない。落ち着いた声で続けた。

「法の目的は三つ。安全・統制・財政。この男の手順は、安全に資する。家内使用の限定は、統制を乱さない。腹を痩せさせない工夫は、長い目で見れば財政を助ける。――この法も、宰相判断が必要ですわね、伯爵?」


伯爵は背筋を伸ばし、さらに低く頭を垂れた。

「……宰相府のご裁可に従いましょう。暫定の取り扱いは、殿下のご判断で」


クローディアはうなずき、今度は俺のほうへ向き直る。

「いま言った三行に、『なぜ今できるのか』を、もう一行ずつ足してください」


俺は短く息を吸った。

「芋――『食べられなかったから飼料』だった。でも今は、三つの掟で危険を前で止める手順が村に根づいた。だから、少量・慎重で腹を補える。

油――『専売だから遠いもの』だった。でも今は、水車でゆっくり、家の範囲で搾る術がある。売らない。灯と香りで冬を越すだけ。

紙――『難しい言葉で書くもの』だった。でも今は、子どもが読める言葉に直した。だから誰がやっても、同じ意味で動く」


クローディアは満足そうに目を細めた。

「よろしい。誰が読んでも同じ意味――法にとって、いちばんの栄養です」


伯爵が最後の抵抗を試みる。

「しかし、殿下。人夫の供出が滞れば、我が……」

「人は腹で歩きます」クローディアは穏やかに遮った。

「腹が先、税はそのあと。来年の数字が欲しいのでしょう、伯爵。ならば、痩せさせない冬を、今年だけでも許すこと。宰相府へ上申します。件のツチダは暫定保全として、巡検隊が身柄を引き受け、帝都で正式聴取とする」


ハルトマンが唇を噛み、伯爵は観念したように深く頭を下げた。

「……御意」


場がほどけ、兵が近づく。手枷は出ない。

クローディアが一歩寄って、小声で言った。

「理は試す。法も試す。――帝都で、続きの話をしましょう」


彼女の周りの魔素の循環が、少しだけ速くなったように見えた。青と銀が一拍、俺の胸の鼓動と重なる。

広間を出る直前、伯爵が再び平身低頭で見送った。

クローディアは振り返らない。ただ、石の廊下に短く告げる。


「伯爵。専売の核心を守ることと、腹の理を守ることは、敵ではありません。

条文の言葉が古びているようなら――宰相に研ぎ直してもらいましょう」


帝都へ戻る前に、とクローディアは馬の鼻先を谷へ向けた。

噂に聞いた炭の字の紙と七か条、そして腹の理――すべてを、現場で確かめておきたかったのだ。暫定保全となった俺も、護衛の列の中にいる。


レイト村に入るや、道の両側で人々が一斉にひざまずいた。年寄りも、子どもも、粉で白くなった手も。

クローディアは馬を降り、外套の裾をつまんで微笑む。


「顔を上げて。農村では、あなたたちこそが君主なのよ。畑が王冠で、労苦が勲章。今日は、私が勉強に来たの」


お茶目な言い回しに、張り詰めていた空気がふっと緩む。

村長ハンスがぎこちなく笑い、誰かが「皇女様なのに畑へ?」と呟いた。


「もちろん」クローディアはうなずく。

「理は試す。紙と口だけでは足りません」


彼女は自ら畑に入った。俺が先導し、畦の手前で立ち止まる。

「ここが試験区画です。芋の三つの掟を、壁に貼ってあります。『緑は捨てる』『暗い所で保管』『少量・慎重・記録』」


クローディアは掲げられた板をじっと読み、側にいた子どもに目線を合わせた。

「読める?」

「よ、読めます!『みずにみちをつくる。ねはこきゅうする』」

「えらい」彼女は素直に手を打った。「誰が読んでも同じ意味――法の第一条件を満たしているわ」


堆肥小屋に移る。俺が棒を抜くと、湯気のような暖かさが立ちのぼった。

「甘い匂いがします」クローディアは手袋越しに温度を確かめる。

「未熟の刺す匂いではない。三日後に切り返し、で良いわね」

俺がうなずく。彼女の横顔を見上げた村人が、そっと誇らしげにうなずき返した。


排水の溝ものぞいた。幅と深さが等間で、緩い勾配で水を誘っている。

「根は呼吸する、だから水に道を――理屈と形が一致している」

クローディアは感心したように指で溝の縁をなぞり、続いて粉挽き小屋へ。


夕刻の借用時間が黒炭の線で記され、臼は減速歯車で「ゆっくり」回るように組み直されている。

「急がない装置まで備えてあるのね」

「待つ理です」俺が応じる。「急ぐと、えぐみになります」


最後に、畝の走る麦の区画へ。輪作の札に「麦→豆→芋→麦」と炭字が踊る。

「まさに理に適う……」


クローディアは感嘆を漏らし、つい一歩、畝間に踏み込んだ――。


ずぶっ。


柔らかく起こしたばかりの土に足を取られ、青銀の外套が弧を描く。

次の瞬間、皇女は見事にダイブした。頬に土、袖に土、王家の紋章にまで土。


周囲が凍りつく。俺は慌てて手を差し出した。

沈黙のあと、クローディアが大笑いした。

「ははっ……!土は急がせない――わたしの足も、ね」


安堵の笑いが連鎖する。彼女は差し出された手を取り、泥だらけのまま立ち上がった。

「いい土。甘い匂いがする。これなら麦は応えるわ」


袖を払おうとした俺に、「そのままで」と手を振る。

「理は独占しないし、泥も独占しないの」

村人たちが一斉に吹き出し、緊張が完全に溶けた。

クローディアは外套の泥を少しだけ拭い、真顔に戻る。

「確認したいのは三点。安全・統制・財政。

芋は、安全側の手順で危険を前で止めている。

油は、家内使用に限ることで統制を乱さない。

腹を痩せさせない工夫は、来年の財政に資する。

――法の目的に、合致します」


村長が目を丸くする。

「こ、このやり方を……続けても?」

「暫定許可を出します。売買は不可、家の中だけで使うこと。油の圧搾は夕刻の水車使用で、『急がせない装置』を維持すること。芋は三つの掟を守り、記録は紙に残すこと。違反があれば即停止。……伯爵?」


いつの間にか背後に来ていた伯爵は、平身低頭で頭を垂れた。

「宰相判断に上申のうえ、殿下の暫定を遵行いたします」


クローディアは満足げにうなずき、俺のほうを向いた。

「あなたの『畑の法』は、すでに言葉と段取りになっている。帝都で条文に翻訳しましょう。理と言葉は、民と法の橋になります」


俺は短く礼をした。

「畑は待ってくれます。村には順序を置いてきました」

「ええ、見ましたわ」


彼女は泥のついた掌で畝をぽんと叩いた。

「順序は、ここにある」


帰り際、子どもが勇気を出して声を張る。

「こうじょさま!『塩は祝い』だよ!」


クローディアは振り返り、泥のついた頬でにっこり笑った。

「塩は祝い。普段は香草と酸。忘れません」


青銀の外套に土の色を残したまま、皇女は馬へ戻る。

帝都への道は長い。だが、理と法は同じ方向を向いた。

村の風下で、堆肥の甘い匂いがもう一度だけ、彼女の鼻先をくすぐる。


(よし。次は帝都で――条を…国を耕す番)

 黒い炭の字で書かれた小さな理が、のちに帝都の石畳と法の言葉を動かす“種”になることを、この日まだ、誰も知らなかった。

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