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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
12/46

芋と油と、腹の理

収穫季(エルントゴルト)――


空は高く、陽は傾きながらもまだ力強い。

麦の海は風にゆれ、鎌が鳴り、束ねた穂が畦に積まれていく。


ツチダは列の端で、汗をぬぐいながら声をかけた。


「株元は深く刈らないで。もっと上、そうそう。根は残して、納税しない草や根は畑に戻す。人の腹に入らないぶんは、土のごはんに戻すんだ」


村人たちは最初こそきょとんとしていたが、すぐに頷き、刈り方を調整していく。

刈り株と雑草を別の山に集め、戻す人、運ぶ人――作業の流れが、少しずつ“理に沿った形”に変わっていった。


収穫の合間、ツチダは堆肥場へ向かう。


「藁はこっち。家畜の糞はその上。灰と落ち葉も重ねて……はい、水を少しだけ」


藁 → 家畜の糞 → 灰 → 落ち葉 → 少しの水。

層を重ねるたび、足でぐっと踏み固める。

山の真ん中に棒を一本突き刺すと、子どもたちが目を丸くした。


「おじさん、それ、何してるの?」

「明日の朝、この棒を抜いたときに教えるよ。

棒があったかかったら、“発酵は生きてる”って合図だ」


「生きてるの?」

「そう。目に見えない小さいやつらが、ここでごはん食べて、働いてるんだ」


その日の夕方、畑には黄金色の束が並び、堆肥場には新しい山ができていた。


「焦って畑に入れない。しっかり発酵させてから戻す。匂いが甘くなったら合格です」


ツチダがそう言うと、周りの大人たちも真剣な顔で頷いた。


納める穀は納める。

それは、この国の“数字の理”だ。


だが、土の回復は待ってくれない。

ツチダは、暮れなずむ畑の真ん中で、次の一手を考えていた。

小麦も雑穀も課税対象。

豆も六公四民。家畜の飼料に回す分ですら、軍馬の餌として数えられる。


(ならば――税のかからない“腹の分”を探すしかない)


頭の中で、前の世界の作物が次々と浮かんでは消えていく。

米はこの寒さではつらい。サツマイモは土と気候が合わなそうだ。


(いも類はどうだ?この世界の芋は……あれ?)


ツチダは、ここに来てから一度も「ジャガイモ」を食べていないことに気づいた。


その夜、村長の家。

収穫のささやかな打ち上げの席で、ツチダはさりげなく尋ねた。


「そういえば、この村では“芋”って、どんな種類を育ててるんです?」

「芋か。山芋と、すこしばかりの根菜くらいじゃな。あとは……家畜の餌にする“ジャガイモ”くらいかのう」


村長ハンスの眉が、わずかに寄る。


「ジャガイモは毒がある。食うのは家畜だけじゃ」


(やっぱり、そういう認識か)


ツチダは静かにうなずき、指を一本立てた。


「たしかに、芽と、緑色になった皮には毒があります。でも、白い身は“処理次第で食べられる”んです」


囲炉裏の火がぱち、と弾ける。

村人たちが、湯気越しにツチダの顔をじっと見ている。


「やるなら、こうです――

① 暗い場所で保管。光に当てない。

緑になったものは、その時点でぜんぶ捨てる。

② 厚めに皮をむいて、芽を深くえぐる。

苦かったり、変な匂いがしたら食べない。

③ まずは少量をゆでて、大人が味見。

違和感があれば、その場で全部捨てる」


ツチダは、言葉を選びながら続けた。


「水にさらしたり、火を通したりしても、“全部”は消えません。だからこそ、緑や苦みは“危険の合図”だと思ってください。そこだけ守れば、食べられる芋も増えます」


しばし沈黙。

命の話だ。誰も軽々しく頷かない。


最初に口を開いたのは、村長だった。


「家畜の餌なら税はかからぬ」

ゆっくりと言葉をかみしめる。

「……食うぶんは、“餌の味見”ということにしておこうかのう」


部屋の空気が、少しだけ和らいだ。

くすりと笑いが漏れ、しかし真剣な雰囲気は消えない。


「いきなり広く作るのはやめましょう」


ツチダは念を押した。


「まずは小さい一角を試しの畑にして、そこでだけやってみる。

“少量・慎重・記録”。これは守りましょう」


翌日、ツチダは北東の畦を切り分けた。

土を高く盛り上げ、芋に光が当たらないように土寄せ(培土)を厚くする。

これまで家畜の餌として放り出されていた芋の中から、苦味の少ない株を選び、タネ芋に回した。


「ここは“芋専用”です。……看板、立てときますか」


冗談めかして言うと、子どもたちが笑いながら板切れを持ってくる。


観察ノートには、新しいページが増えていく。

ジャガイモ:暗い場所で保管/緑になったら捨てる/芽は深くえぐる/少量ゆでて味見。

※“腹を壊した者が出たら、その場で中止”。


その隣には、来年の作付けの順番が書き込まれた。

麦 → 豆 → ジャガイモ → 麦。

豆で土を肥やし、芋で税を逃し、麦で帝国に“数字”を出す。

数字と理の両方を満たすための、細い綱渡りだ。


夜、ツチダは堆肥の山に手を差し入れた。

指先に、じんわりとした温かさが伝わる。


「……よし。生きてるな」


発酵の温度だ。

目を閉じると、土の下で緑と青の帯がゆっくり巡るのが見える。

刈り株と根、腐葉と糞がほどけ、また“土”に戻っていく光景が、頭の内側に広がった。


(来年のために、今年を食いつぶさない)

それが、ツチダの理だった。


◆◆◆


数日後。

芋専用の区画を見に行く途中で、ツチダはふと足を止めた。


「その葉、裏が白いな……」


畑のはしの防風林を見上げる。

灰色まじりの細い葉が、風で裏返るたびに白銀にきらりと光る。

枝の先には、“指先ほどの黒紫の実”がびっしりついていた。


子どもが一つ、面白半分に踏みつぶす。

足の裏がべたつき、黒い汁がじわっとにじんだ。


(このべたつきは、脂だな。葉の裏の銀色、硬い種、小さい実、強いえぐみ……)


ツチダは実をいくつか拾い、紙切れで包んで川へ持っていった。

水の中でもみ込むと、紙のまわりに薄い虹の膜が広がる。


胸の中で、何かがカチリと噛み合った。


「村長さん、この木の実、食べたりします?」


呼ばれてきた村長ハンスは、木を見上げて首を振る。


「生で噛むと苦うてのう。薪や杭には使うが、実は鳥まかせじゃ」


「これ、多分――しぼれば油になります」

ツチダは、この国の油事情を簡単に聞いていた。

油と言えば、菜種のような種からとるものか、

南の国から来るヤシの油。どちらも高くて、村の口にはほとんど入らない。


それに、この帝国は内陸の国。

塩も山から運ぶ岩塩が主で、高い。

ひとつまみが、家計を揺らす。


――油も塩も、どちらも“足りない国の味”だった。


「でも、この村には川と水車があります」


川辺には粉ひき小屋の水車がある。

昼間は粉ひきで忙しいが、夕方以降は止まっている。


「粉ひき小屋に頼んで、夕方だけ石臼を借りましょう。片方の石を実つぶし用に変えて、歯車でゆっくり回るようにします」


収穫は、木の枝を棒で叩き落とさない。

下に布を広げ、枝を「なでる」ように揺らして、実だけ落とす。

葉と小枝はふるいで分け、川水でさっと洗う。


石の槽に実を入れ、水車の回転で棒が引かれ、

重たい石臼が、ゆっくりと果実をつぶしていく。


種が割れ、つぶれた果肉から、青い香りが立ちのぼる。


「ここからは、“待つ理”です」


つぶした果肉を浅い鍋に移し、囲炉裏のそばに置く。

人肌より少し温かいくらいを保ち、火を強くしすぎない。


木べらでゆっくり混ぜ、果肉同士がなじむのを待つ。

少し粘りが出てきたところで、布袋に詰めた。


袋を板の上に並べ、上から古い梁と石のおもしで押す。

さらに、水車につないだテコで、じわじわと力を足していく。


袋の口から、薄い金色の筋が、ぽたぽたと流れ落ちた。


「……出た」


桶の中で、汁と油が二つの層に分かれていく。

夕方までそっと置いてから、上の層だけをすくって、陶器の壺に移した。


香りは青く、くどすぎない。

村人たちは、信じられないものを見るような顔で壺をのぞき込んだ。


搾りかすは捨てない。

堆肥に混ぜれば土のごちそうになり、

灯り用の油に少しまぜると、芯がよく燃える。


「……これなら、村でも続けられる」


ツチダは、小さくうなずいた。


◆◆◆


さて、油が手に入った。

次は――芋だ。


「まずは、さっき話した“芋の掟”を守ります」


ツチダは、家の土間で芋を並べながら言う。


「緑になった皮と芽は、ぜんぶ深くえぐって捨てる。

白い身だけを暗い場所で置いておく。

切ったら一度ゆでて、必ず少しだけ味を見てから」


芋を棒状に切り、水気をふき取る。

銅鍋に、昨日しぼった薄金色の油を少し注ぎ、火にかける。


「塩は“祝い”の日に。

ふだんは、香草と酸っぱさで味を作りましょう」


ツチダは畦で摘んだ香りの強い草と、すっぱい草を刻み、

少しを油に入れて、香りを移した。


油が温まるころ合いを見て、芋をそっと入れる。


ぱち、ぱち――と、みずみずしい音がした。

しばらくすると泡が細かくなり、芋の端がきつね色に変わっていく。


網杓子で持ち上げて、油を切る。

岩塩は、指でひとつまみだけ。家族みんなで分け合う。

残りの芋には、刻んだ香草をもみ込む。


子どもが一本かじった。


――さく。


「……あまい!」


つられて大人も口に入れ、思わず顔がほころぶ。

外はうすくカリッと、中はほくほく。

塩が少なくても、油と芋の甘みで、ちゃんと「ごちそう」になっていた。


村長ハンスは一本かじり、しみじみと言った。


「油の欄は、徴税の帳面にない。芋は“飼料”のまま。

つまりこれは……腹のための理じゃな」


ツチダは笑ってうなずいた。


「でも、広げるときは“少量・慎重・記録”で。

どこかで危ない感じがしたら、その時点でやめます」


観察ノートのページが、また一枚埋まっていく。


芋:暗い場所で保管/皮が緑なら捨てる/芽は深くえぐる/少しだけゆでて味見。

油:防風林の木の実 → 石臼でつぶす → あたためてなじませる → 布袋でしぼる → 上の層だけ取る。


油の使い道:芋の揚げ物/野菜のあえ物(香り油)/麦がゆにひとさじ/灯り用。


数日のうちに、夕方の村には新しい合図が生まれた。

油のはねる音。芋の揚がる音。野草の泡立つ音。

それを囲む笑い声。


「菜種油もヤシ油も、町まで行かねば買えん。わしらの口には、ほとんど入らなんだ」


若い父親が、壺の薄金色を見つめながらつぶやく。


「けど、これはここで採れる」


「木がくれた力です。川と風が押してくれました。俺たちは、“つなぎ方”を少し覚えただけですよ」


ツチダは、壺の口に布をかぶせながら答えた。


水車は夜も小さく回り、石臼はゆっくり果肉を練り、

梁は静かに布袋を押し続ける。

陶器の壺にたまった油は、月の光を飲み込んで、うっすらと輝いていた。


畑の柵に立つ、拙い帝国文字の看板――〈ツチダ〉。

その下に、新しい板が打ちつけられる。


〈油は川と林のめぐみ。塩は祝いのめぐみ〉


鍬が土を変え、水車が木の実を変え、油が芋の価値を変えた。


そして、油は遠く、塩は高い――そんな帝国の当たり前だった食卓が、

少しずつほどけていく。


“足りない国の味”は、静かに、

“知恵でつないだ村の味”に変わり始めていた。

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