『ツチダ村』
仮設住宅区画――いや、最近はみんな「ツチダ村」って呼んでいるここは、今日も騒がしい。
荷馬車がひっきりなしに出入りし、帝国の兵と兎耳……じゃない、月兎族の薬師たちが、箱や樽を運んで右往左往している。
「次、これが傷薬! 日陰に置いてくれ!」
「こっちは魔素安定具だそうだ、ツチダ殿から絶対落とすなって伝言付きだ!」
まだ腕を吊ったままのフレイヤは、その喧騒の外側を、ゆっくり歩いていた。
左腕にはまだ添え木。羽にも包帯。
走るどころか、まともに飛ぶこともできない。
だけど、今はそれでいい。
自分の役目は、山じゃなくて、ここだ。
日鴉族の棟の奥。避難民の子どもたちが集められている一角。
その隅のベッドに、ミドラーシュは座っていた。
薄い毛布を膝にかけ、白い羽を小さく畳み、ぼんやりと窓の外を見ている。
瞳は、もともと黒かったはずなのに、今は黄色く染まっていた。
あの夜、空を裂いた“黄色い雷”と同じ色。
「よ。調子はどうだい」
フレイヤが声をかけると、ミドラーシュはびくっと肩を揺らし、ゆっくりと振り向いた。
まだ、声は出ない。
けれど、顔を見れば分かる。
少しだけ、表情が柔らかくなった。
フレイヤはそれを“懐いてる”と解釈してやることにしている。
まあ、悪い気はしない。
「フレイヤさん!」
ベッドの横から、小柄な少女が顔を出した。ロザリーだ。
羽を広げかけて、慌てて畳む。ここは病棟だから、羽を広げると怒られるのだ。
「来てくれたんですね。ミドラーシュ、ほら」
ロザリーがミドラーシュの肩を軽く叩く。
ミドラーシュは、こくん、と小さく頷いた。
「帝国と、月の国から薬と道具が届いたよ」
フレイヤは、彼女の目線に合わせてしゃがみ込む。
片腕しか使えないから、動きはぎこちない。
「ツチダが、また変なこと企んでるらしい。
“これでお前らまとめて生き延びろ”ってことだろうさ」
ミドラーシュの口元が、ほんの少しだけ動いた気がした。
笑ったのか、呆れたのかは分からない。
でも、反応があるのは悪くない。
「ねえ、フレイヤさん」
ロザリーが、ひそひそ声で耳打ちしてくる。
「ミドラーシュ、多分ですけど……
フレイヤさんのことをお母さんだと思ってますね」
「は?」
変な声が出た。
「だって、フレイヤさんが来ると、表情、ぜんぜん違うもん。
夜、うなされてるときも、
“フレイ……フレイ……”って、ちょっとだけ口が動いてましたし」
「それは多分“フレイム”とか“フライ”とかなんか別の……」
「日鴉語で“お母さん”に近い呼び方って、“フレイア”ですよね?」
「うっ」
昔、山で子どもたちをからかって、
『フレイアって呼んだら魚一匹』
とかやってたのを思い出して、フレイヤは頭を抱えた。
「あーもう、よしてくれよ、ロザリー。
まだこんな大きい子どもがいる歳じゃないよ、アタシ」
「でも、ミドラーシュからしたら、
“山で一番強くて、いつも戻ってきて、怒ると怖いけど優しい大人”って、
……うん、お母さんですよ?」
「褒めてるんだか貶してるんだか分からないね」
ロザリーがくすくす笑う。
ミドラーシュも、それにつられたのか、ほんの少しだけ目尻が緩んだ。
声は出ない。
でも、笑うことは、まだできる。
「……ま」
フレイヤは、ため息をひとつ吐いてから、ミドラーシュの頭にそっと手を置いた。
包帯だらけだから、触る場所を選ぶのに苦労する。
「アタシは、猟兵の隊長さ。
山を歩くのが仕事で、弓を引くのが仕事」
指先で、優しく髪を撫でる。
「けど、あんたらの“帰る山”も一緒に守るって決めたんだ。
だったら、子どもが多くなったって、今さら文句は言わないよ」
ミドラーシュが、少しだけ目を大きくした。
フレイヤは、照れ隠しに口を尖らせる。
「ただし。
アタシを“お母さん”って呼んだら、怒るからね」
ロザリーが、「あっ」と声を上げた。
「じゃあ、ママとか?」
「もっとダメだよ!」
子どもたちの一角から、くすくすと笑い声が漏れる。
日鴉の子らだけじゃない。避難してきた人間の子も混じっていた。
フレイヤは肩をすくめる。
「……ったく」
けれど心のどこかで、その呼び方が嫌いじゃない自分に気づいて、余計に居心地が悪かった。
そこへ、入口のほうから賑やかな声が響く。
「医療具の追加分、こっち! ツチダ殿の指示で――」
「こっちはイースタシア式の魔力安定具だ! 日鴉の子らを優先しろって!」
月兎族の薬師たちが、使い慣れた手つきで瓶や魔導具を並べていく。
帝国の医師たちが、その説明を必死にメモしている。
フレイヤは、その光景を横目で見ながら、小さく鼻を鳴らした。
「帝国に、日鴉の村ができて、月の国の薬を飲む。
……変な取り合わせだね」
「でも、悪くないですよね」
ロザリーが笑う。
「山が焼かれて、全部終わったと思ってたけど。
ここに来てから、“次”のことを考えられるようになりました」
ミドラーシュが、フレイヤの袖をそっとつまんだ。
黄色い瞳が、何かを訴えるように揺れている。
言葉にならない声を、フレイヤは――なんとなく“ありがとう”だと受け取っておくことにした。
「いいさ。
次があるなら、いくらでも一緒に考えよう」
フレイヤは立ち上がりかけ――左腕の添え木を見て、眉をしかめた。
「……その前に、アタシの腕をちゃんと治さないとね。
山に戻るにも、鍬を振るにも使うから」
「鍬?」
「ツチダ村の住人は、剣より先に鍬を持たされるのさ」
ロザリーが声を上げて笑う。
ツチダ村――仮設住宅兼兵站兼野戦病院。
戦場の真ん中で、畑と子どもたちと、笑い声が育ち始めている。
フレイヤは、その中心にいる農家(自称)を思い出し、苦笑しながら外の喧騒へと戻っていった。




