東の友誼
遠く、東の空に砂煙が上がっていた。
アギール平野の向こう――帝国側の後背。丘陵の稜線の向こうに、細長い塵の帯がたなびいている。
「……敵じゃないわね。あの向きから来るなら」
呟いたクローディアの隣で、望遠鏡を覗いていたオイゲンが目を細めた。
「旗があります。白地に、青い環と、細い月。――イースタシアの紋ですね」
「戻ってきたのね」
声は小さかったが、表情は隠しきれない。
後方の避難所で地図を覗き込み、子どもたちの輪の近くで、焚き火の匂いを嗅いでいた。
だが、戦場を見た彼女は決心したように単身イースタシアへ戻っていた。
『女王に話を通して、剣を連れて戻る』
そう言い残して。
女王ルナリアと交わした約束が、今、現実の形になって近づいてくる。
――イースタシアは、借りを作らない国です。
理と静寂を分かち合った者の背は、必ず守ります。
やがて、丘の影からその姿が現れた。
耳の長い騎兵たちが白と青の軽鎧をまとい、低い姿勢で馬を走らせている。
月兎族の騎兵団――千五百。
その背後に、徒歩の剣士団三千。
行軍速度は決して速くない。だが列が乱れない。揃った足運びは、規律の高さそのものだった。
さらに後方には、荷車列と白い天幕を積んだ馬車。
薬師と医療部隊、そして後方支援部隊の印が見える。
「――帝国の歴史で、初めてかもしれませんね」
オイゲンがぽつりと言った。
「我が国を守るために、他国の戦士団が戦列に加わるのは」
「そうね」
クローディアは短く頷いた。
帝国は今や単独で戦っているわけではない。東の月の国が、「理」を信じる者として肩を並べに来ている。
「来るぞ」
先頭の騎兵隊から一騎が速度を上げた。
耳の長い女が白い外套を翻し、まっすぐこちらへ向かってくる。
リベラゴール・エリュシオン。
イースタシア月王国・女王護衛戦士団長。
「クローディアー!」
馬上から手を上げる声は、以前と変わらぬ朗らかさだった。
クローディアも短く手を上げて応える。
「ようこそ、アギール平野へ。歓迎するわ、リベラゴール」
やがて、出迎えの陣幕の前。
彼女は下馬し、右拳を胸に当てて簡潔な礼をした。
「月の都より、イースタシア月王国戦士団、到着した。
女王ルナリア・イースタシア百二世の命により、理と法を重んじる帝国に――剣と耳と薬を貸す」
出迎えの陣幕の前にいたグライフェンタールが、同じだけ短く頷く。
「西部方面軍総司令、グライフェンタール辺境伯だ。
貴国の援軍に感謝する。以後この戦域では、貴軍を共同戦線として迎える」
「預かろう」
返事は簡潔で、迷いがない。
「騎兵千五百は――左翼に展開させたい」
グライフェンタールは地図の縁を指でなぞった。
平野の外周。主戦線の横だ。
「右翼は皇女殿下の近衛騎兵が押さえる。
左翼は、貴軍の足が最も生きる。敵の外へ回り込み、包囲の口を閉じる蓋になってほしい」
リベラゴールは、にやりと笑った。
「了解。月兎の騎兵は、“回り込む足”が売りだ。
前線に出て、敵の腹を撫でて――逃げ道だけ、残さない」
「それが一番ありがたい」
「剣士団三千は、どこに?」
問いに、グライフェンタールは地図の一点を指差す。
「中央の少し後ろ、“穴”になっているここだ。
帝国の重装歩兵より前には出すな。
だが、抜かれたとき――そこを塞ぐ壁になってほしい」
「了解した。
その穴は、月の剣で埋める」
「薬師と医療部隊は?」
今度はクローディアが口を挟んだ。
「後方の日鴉避難所……いまは仮設住宅兼野戦病院になってるところがあるわ。
そこへ合流してもらうのが一番いいと思う」
「ツチダのところ、だな?」
リベラゴールがくつくつと喉で笑う。
「噂はもう聞いた。
戦場で畑を作っているそうだな」
「ええ。どこへ行っても畑を作るのよ、あの人」
クローディアも笑い返した。
ひととおり配置の話が終わったところで、リベラゴールが少し真面目な顔になる。
「……一つ、女王からの言葉を預かっている」
周囲の空気が、ほんのわずか張り詰めた。
「イースタシアは、“穢れ火”を恐れない」
声は静かだった。
「瘴気も、悲しみも、怒りも――すべては“心の理”の形だと考えている。
もし、それが帝国の理にとって危ういなら」
彼女はクローディアとグライフェンタールを交互に見た。
「月は、横で見ている。
そう伝えてくれ、と」
クローディアは一瞬言葉を失い、それから小さく頷いた。
ツチダが今、後方で守ろうとしているもの。
ミドラーシュやロザリーの中で揺れている“黄色い理”。
それらはきっと――この戦いのあとにも続いていく問題だ。
「伝えるわ。
終わったあと、きっとあの人、泣くほど喜ぶと思う」
「なら、早く終わらせよう」
リベラゴールは、にかっと笑った。
白と青の旗が、アギール平野の帝国軍陣地で翻る。
西の理の国に、東の月の国の戦士団が加わった瞬間だった。
帝国とイースタシア。
法と、静寂。
それぞれの「理」が、同じ戦場に並び立とうとしていた。




