後方の喧騒、叫ぶ農家
日鴉族仮設住宅所兼・野戦病院兼・兵站拠点
夕方になっても、拠点はまったく静まる気配がなかった。
思い返せばつい一昨日。軍務卿の書記官がやってきて、木札を一枚押しつけていった。
『西部後方拠点 兵站・衛生・収容 統括 ツチダ・コウヘイ』
……ちょっと待て。誰が決めた。
返事を待たずに伝令が続ける。
「辺境伯閣下より。後方はツチダ殿に一本化。各部は調整役を出して従え――以上」
隣のクローディアは、驚きもしない。
ただ、当たり前みたいに頷いてから、少しだけ眉を下げた。
「……仕事、増えましたわね」
同情してるのに、結論は変えない声だった。
“ツチダなら回せる”。そう信じ切っているやつの顔。
……やめろ。信頼が重い。
救急馬車――帝国兵たちがいつの間にか「救急車」という名称で定着させたアレ――が、ひっきりなしに出入りしている。
血と泥にまみれた兵士を降ろしては、空になった担架を積んで前線へ戻っていく。
「こっちは出血多量!
縫合最優先、感染対策は後回しでもいいから圧迫続行!」
「こっちは意識あり、骨折。
日鴉区画の一番奥の棟へ。あそこベッド幅広いから!」
俺は、入口近くの木箱を即席の机代わりにして、運ばれてくる負傷者を次々と振り分けていた。
農業高校で習った、応急手当の知識を頑張ってフル稼働させている。
衛生という概念が希薄なこの世界だと、付け焼き刃の知識ですら革命的だ。
重症は野戦病院棟へ。中等症は日鴉棟の二階。軽症は兵站棟の一角で寝かせて明日の作業要員に回す――など。
医療でも軍務でもないラインを、農政顧問が勝手に引いている。
その背後では、大釜がいくつも火にかけられていた。
「肉は細かく刻んで!
包丁がなきゃ斧でもいいから薄く!
塩はこの袋の、これくらい……いや、もうちょい。今日はみんな汗かいてるから多めだ!」
日鴉の女たちと帝国兵の炊事班が、俺の指示に従って器用に大釜を回していく。
前線から戻ったばかりの兵には豆と肉を多めに。
まだ食欲のない負傷者には薄いスープと柔らかいパンを。
避難民の子どもたちには焦げの少ないところを。
相手によって献立の濃度を変えるのは、家畜の体調管理と同じ理屈だ。
外に出れば、仮設住宅と畑が夕焼けに染まっていた。
日鴉の男たちが、慣れない鍬を振り下ろして畝を整えている。
その間を縫うように、帝国工部尚書の技術者たちが井戸を測り、下水の溝を掘る。
(……街づくりだよな、もうこれ)
本来、戦争が終わってからやるべき仕事を、戦争の真っ最中にやらされている気がする。
負傷者の振り分け。
炊事場の献立。
畑の設計。
住宅区画の区割り。
日鴉族との折衝。
ついでに、帝都宰相府への日報作成。
「ツチダ様、こちらに署名を!」
「ツチダ殿、食糧の在庫計算が――!」
「ツチダさん、畑の水はどこから引けばいい?」
書簡と木札と鍬が、同時に俺を求めてくる。
「ちょ、待って待って!
順番!せめて順番に来て!」
片手にペン、片手に鍬、肩にメモ板、腰に木札束。
どう見ても官僚でも軍人でもなく、ただの「現場監督」だ。
日が沈みかけるころ、ようやく「西部後方拠点・現況」と書き出した報告書に取りかかる。
負傷者数、収容可能人数、食糧見込み、新規開墾地の面積。
「……戦争の報告書というか、避難・営農計画だなこれ」
そのとき、野戦病院棟から看護兵が走ってきた。
「ツチダ殿、新しい救急車が十五分ごとに到着します!
ベッドをあと七、増やせますか!?」
「七……!
日鴉の棟から板を持ってくればなんとか!
大工を三人そっちに回せ!」
また立ち上がって、段取りを組み直す。
気がつくと、空は茜から群青に変わっていた。
豆の煮える匂い、薬草の匂い、血と汗と土の匂い。
その全部が混ざり合った空気の中で、俺はとうとう頭を抱えた。
「……あーもう」
またどこからか「ツチダ様!」と声が飛んでくる。
俺は空を仰いで、肺いっぱいに息を吸い込んだ。
「だから俺、農家なんだよなあ!!!」
今や帝国西部戦線の“裏の心臓部”となった場所に、農政顧問の情けない叫び声が響き渡った。
◇◇◇
帝都アーネンエルベ 皇帝執務室
分厚い扉の向こうから、革靴の音が近づいてきた。
「戦況報告、到着しております」
近衛の声。
ディートリヒが短く「入れ」と告げる。
運び込まれたのは、グライフェンタールと、農政顧問連名の二通の封書。
「まずは山岳戦の総括だな」
リヒャルトは兄の前で封を切り、要点を口にする。
「日鴉族猟兵隊五百、十日間にわたり神聖国軍を山中に拘束。
贖罪兵団五千以上行動不能、騎士・浄化師団に一千前後の損害」
隣で老将ブレーメンが「ふむ」と喉を鳴らした。
「こちらの損害は?」
「戦死四十九、負傷二百六十四。
内訳を見るに、あの激戦で“よく済んだ”ほうでしょう」
「日鴉の猟兵は、やるな」
ディートリヒの声には、山の冷気と彼らの献身を想像している響きがあった。
「次。アジール平野第一次会戦。速報のため正確性には欠けるかもしれませんが──」
リヒャルトは別の紙束へ視線を移した。
「帝国側、中央は重装歩兵が受け、左右から騎兵で包囲。
魔力砲も予定通り効力射を発揮。
結果、神聖国第一陣は半数以上が壊滅。
騎士団と贖罪兵団の死体が平野を埋めたとのことです」
「上々どころではないな」
ブレーメンが言う。
「兵站は?」
「それが……」
リヒャルトは、ツチダからの報告書を持ち上げた。
「後方拠点に仮設住宅と野戦病院を整備。
井戸と下水も完了し、日鴉族向けの畑を開墾。
豆と大麦の播種も進行中。今後十日分の糧食、現状で不足なし」
ディートリヒが目を瞬かせる。
「……畑、だと?」
「ええ、畑です」
リヒャルトは、こらえきれずに笑った。
「この国に来たときも、内乱のときも……あいつはどこへ行っても、まず畑を作る」
ブレーメンががははと笑う。
「戦場を畑に変える男か。悪くない諡号だな」
「やめてください。本人に聞かれたら全力で嫌がりますよ」
リヒャルトは肩をすくめたが、心の底では確かな安堵を覚えていた。
畑がある場所は、人が住む場所だ。
すぐに捨てる陣ではなく、守るべき土地として扱うという宣言でもある。
帝国はこの戦いを一時しのぎで終わらせない――そういう意志表示だ。
「兵站に問題なし。前線の士気も高く、避難民の収容も進んでいる。
現時点で言えるのは一つです。
帝国は、“理の国”として望んだ通りの戦いをできている」
ディートリヒがゆっくりと椅子の背にもたれた。
「戦う者に剣を。守る者に畑を。
……ツチダには、好きなだけ畑を作らせてやれ」
「承知しました」
帝国の“理”は、まだ折れていない。
むしろ、山と平野で研ぎ澄まされつつある。
リヒャルトは確信とともに、報告書を静かに閉じた。




