会戦の後、僅かな平穏
夕日が傾くにつれ、平野は静かになっていった。
さっきまで叫びと金属音と蹄の音で満ちていた場所を、今は風だけが通り抜けている。
神聖国騎士団の黄金の鎧が、あちこちで転がっていた。
中身は、もう動かない。
その周りを埋めているのは、粗末な麻布と裸足の――贖罪兵団の死体だ。
槍で貫かれた者。
馬に踏み潰された者。
仲間に押しつぶされた者。
どれも「戦士」と呼ぶにはあまりに頼りなく、だが数だけは夥しかった。
「……見事に潰れたもんだ」
シャイロックは、馬上からため息をついた。
自分の軍の損害は、思っていたより少ない。
重装騎兵二千のうち、死傷は百にも満たないだろう。帝国中央の歩兵も、酷い消耗とは程遠い。
なのに、平野に転がる死体の数はこの有様だ。
「閣下、追撃のご命令を?」
副官が尋ねる。
神聖国第一陣の残りは、山側へ散り散りに退きつつある。半数も残っていまい。追いすがれば、もっと削れるだろう。
「いや、深入りはするな」
シャイロックは首を振った。
「今日の勝ち分は、もう十分だ。
山まで追えば、こちらが狩られる」
副官は一礼し、離れていく。
シャイロックは、血と土に塗れた平野をもう一度眺めた。
(……格下を叩く戦い方だな)
贖罪兵団を前に押し出し、その隙間を縫って騎士団を突っ込ませる。
相手の矢も魔法も、まずは貧民兵に浴びせさせてから、疲弊したところへ神聖騎士が「止めを刺す」。
そういう前提で組まれた陣形だ。
だからこそ、まともな防御陣地と魔力砲、そしてツチダの目利きに基づいた騎兵機動を備えた帝国に対し、あそこまで無造作に突っ込んでこられたのだ。
「我々を、同じ“軍”だと思っていない」
ぽつりと漏らした言葉は、風に飛ばされて消えた。
贖罪兵団は「盾」であり、「荷車」であり、「石ころ」だ。
少なくとも、神聖国の上層はそう扱っている。だからこそ、あれほどあっさり捨てられる。
そして――そういう戦い方は、格下には強いが、同格以上の相手には脆い。
(問題は、あっちも今日の“学び”をどう使うか、か)
シャイロックは馬の首を返した。
帝国は、初戦を圧勝で終えた。だが、戦争はまだ始まったばかりだ。
「右翼近衛騎兵、負傷者搬送終了、撤収完了です!」
報告を叫び終えた瞬間、自分の腹が鳴った。
クローディアは、陣幕の前で小さく苦笑する。
日が暮れるまで、ずっと馬上と担架の間を行き来していたせいで、昼食はおろか水もろくに口にしていない。
鎧は血と泥で重く、肩の筋肉がじんじんしている。
それでも、負傷者の顔を最後の一人まで確認し終えるまでは、馬を降りる気になれなかった。
「殿下、お疲れでしょう。こちらに」
副官が仮設の食卓を指さした。
粗末な木の板の上に、大皿が三つ。
一つには、香草をまぶして焼いた大きな肉。
一つには、固めの黒パン。
一つには、豆と野菜と骨付き肉の入ったスープ。
湯気と一緒に、脂と香草の匂いがふわっと上がる。
「……戦場の男の飯、って感じね」
クローディアは思わず笑った。
誰が用意したのかは知らないが、きっとツチダではない。
彼なら、皿をもう一つ増やして、何か青い野菜を添えてくるはずだ。
「文句を言う暇があったら食べろ、って顔をしてますよ。
あの辺境伯さんも」
副官が肩で笑う。
視線の先では、グライフェンタールが地図を前に軍議中だった。肉どころか冷めたパン一つ取ろうとしない。
「そうね」
クローディアは、鎧の手甲だけを外し、手づかみで肉にかぶりついた。
香草と塩だけの、荒々しい味。
血の匂いがまだ抜けていない舌には、その塩気が妙に心地よかった。
「ん……おいしい」
自分でも意外なほど甘やかな声が出た。
「殿下がそんな顔で食べているのは久しぶりに見ました」
「戦場ではこれで十分よ。
むしろ、贅沢なくらいだわ」
パンをちぎり、スープに浸して口に運ぶ。
豆の甘みと肉の脂が混じり合って、胃のあたりからじんわりと温かくなった。
(……生きて、戻ってきた)
そんな実感が、ようやく腹の中から湧いてくる。
さっきまで、背後で誰かが倒れるたびに、心臓が跳ねていた。
今は、倒れた者たちの多くが、ツチダの用意した「救急車」で後方へ運ばれている。
まだ息のある者は、ほとんど助かるだろう。
「近衛騎兵の損害は?」
「戦死十七、重傷者四十二、軽傷百五。
……覚悟していたよりは、はるかに少ない数字です」
「そう。よくやったわね、みんな」
クローディアは、肉を噛み締めながら頷いた。
第一戦――帝国の圧勝。
けれど、これで終わりではないことも分かっている。
神聖国は、この程度で折れる相手ではない。
「……ツチダにも、何か甘いものでも持って行ってあげたいところだけど」
「さすがに今は無理でしょうね。
あの人、避難所と野戦病院を文字通り走り回っているそうですから」
「そうよねぇー……」
クローディアは、パンの欠片で残りのスープを拭い取った。
戦場の男の飯は、一瞬で皿から消えた。
腹が満ちると、頭の中にまた「次の戦」の形が浮かび上がってくる。
帝国は勝った。神聖国は手痛い一撃を受けた。
――では、その次に彼らは何を出してくるのか。
クローディアは、空になった皿を見下ろし、静かに息を吐いた。
「さあ、もう一働きね」
彼女は立ち上がる。
帝国の夜は、まだ長い。




