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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
穢れ火戦争編

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盾と矛

 アジール防衛線(アジール平野)・帝国西部方面軍前衛陣地


 その数字を、最初に耳にしたとき――

 正直、耳を疑った。


「日鴉猟兵隊、五百名中――」


 十日目の夕暮れ。

 丘に設けられた整列場で、伝令士官が羊皮紙を広げた。


 土塁の上にも、壕の脇にも、作業を終えた兵たちが腰かけている。

 服も手も泥だらけだ。

 腕には、まだツルハシとスコップの重さが残っている。


「――現時点で把握できた限り、戦死、四十九。」


 ざわ、と小さな波が走った。


 もっと多いと思っていた。

 山から降りてきた日鴉たちの姿を見たあとなら、なおさらだ。

 あの血の量で、この数字か――と。


「負傷、二百六十四。

 うち重傷者七十六。

 ……以上の損耗をもって、十日間にわたり神聖国軍を山中に釘付け」


 静寂。


 伝令士官は一度息を吸い込んでから、次の行を読んだ。


「推定される敵の損害――

 贖罪兵団、少なくとも五千以上行動不能。

 騎士および正規兵、およそ千。

 糧秣と荷馬車、多数焼失」


 誰かが、低く口笛を吹いた。


「……五百で、か」


 隣で聞いていた戦友が、呆れたように、でもどこか嬉しそうに呟く。


「たった五百で、すげえ数の軍を十日も止めて、

 それだけの被害を与えて……しかも、生きて帰ってきた数の方が多い」


「普通なら、跡形も残ってねぇよな」


 俺も思わず同意した。


 さっき、山から戻ってきた“黒い翼”たちの行列を見た。

 羽は裂け、血は乾き、包帯だらけで――それでも足取りは乱れていなかった。


 隣を通る帝国兵に、ほんの少し顎を上げて会釈する余裕すらあった。

 あれで、まだ「やれる」と言い出しそうな顔をしていた。


「知っての通り――」


 伝令士官が声を張る。


「日鴉族は、神聖国に弾圧されていた民だ。

 山を焼かれ、家を失い、家族を殺され、

 帝国に逃れてきた者たちもいる」


 皆、知ってはいた。


 避難所で見た黒い翼。

 子どもを抱えて、慣れない畑を耕していた女たち。

 井戸端で、帝国の言葉を覚えようとしていた少年たち。


 だが、今日ここで聞かされると、胸にくる重さが違った。


「その彼らが」


 伝令士官は羊皮紙から目を離し、土塁の上に座る俺たちを見回す。


「十日、帝国のために山に立ち続けた。

 それも、ただ逃げるためではない」


 声が、ほんの少しだけ熱を帯びる。


「ここにいる我々が、

 この丘で構える時間を稼ぐためだ」


 山から吹いてくる風が、一瞬だけ止まった気がした。

 誰かが、土の上に置いた拳を握りしめる音が聞こえた。


「弾圧された民で構成された猟兵部隊が、

 何百倍の敵を十日も留め続け、

 なお立って帰ってきた」


 伝令士官は、最後の一文を少しだけ大きな声で読み上げた。


「――彼らこそ、帝国の盾である」


 その言葉が落ちた瞬間、どこからともなく声が上がった。


「そうだ!」

「盾だとも!」


 前列の兵士が立ち上がり、土塁の上で叫ぶ。


「だったら、俺たちは何だ!」


 一拍。


 返ってきたのは、笑い混じりの怒鳴り声だった。


「――矛だろうが!!」


 笑いが起きる。

 それでも、目の奥は笑っていない。


「盾に守らせて、矛が折られちゃ話にならねぇ!」

「山であいつらが時間を稼いだんだ!」

「今度は、俺たちの番だ!」


 ばらばらだった声が、次第に一つの方向を向き始めた。


「帝国万歳!」

 誰かが吠える。


「日鴉猟兵隊に栄光あれ!」

 すぐに、それが重なる。


 気づけば、胸の中の何かが熱くなっていた。


 正直言えば、怖い。

 山の向こうから来る軍勢は五万だと聞いた。

 さらに贖罪兵団、浄化師団――そういう、よくわからない言葉まで混じっている。


 数字だけ聞けば、背筋が冷える。


 でも、その大軍を、たった五百で十日も止めたと聞いてしまったら――


(……負けたくねぇよな)


 自然に、そんな言葉が浮かぶ。

 日鴉は、帝国人じゃない。


 でも今あいつらは「帝国のために」傷だらけで戻ってきた。

 だったら、ここで逃げたら、この丘を明け渡したら、

 その傷の意味が、全部消える。


 遠く、丘の背後に、さっき見送った“救急車”の列が小さく見えた。

 翼を畳んだ黒い影たちが、その中でようやく目を閉じる番を得たのだと思うと――


「……続くか」


 俺は、隣の戦友と目を合わせて笑った。


「盾が折れないうちに、

 矛のほうで片をつけてやろうぜ」


「おうよ」


 彼も笑った。


「日鴉のガキどもに、

 帝国軍は大したことない、なんて言われちゃかなわん」


 夕陽が、土塁と槍の穂先を赤く染めていた。

 山で燃えた火の色とも、神聖国の金とも違う、鈍い赤だ。


 その赤の中で、帝国兵たちは武具を握り直し、

 胸の中に灯った火の正体を確かめるように、深く息を吸い込んだ。

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