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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
穢れ火戦争編

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撤収命令

 アジール平野・西部方面軍本陣。


 山での戦いが始まって九日目。


 山から届く報告は、いつも血と煙の匂いを連れてきた。


「三番道、荷馬車十二両焼却」

「贖罪兵団、少なくとも数千名を行動不能」

「浄化騎士、数十名を矢にて戦線離脱」


 そして――


「猟兵隊、負傷者増加」

「岩棚一箇所、浄化魔法により消失」

「飛行不能者、累計で五十四名」


 グライフェンタールは、机の上に並んだ報告の束を指で叩いた。


 外では、アジールの丘を削る音がしている。


 土塁。

 堀。

 逆茂木。

 魔導砲陣地。


 九日間、昼夜を問わず、兵と技師と農民とが汗を流して造り続けた“牙”だ。


「グライフェンタール殿」


 幕舎に入ってきたオイゲンが、敬礼とともに一枚の新しい報告書を差し出した。


「山岳戦、八日までの情勢です」


「読み上げろ」


「はい」


 オイゲンは紙に目を落とし、淡々と告げた。


「崩落させた狭隘部――一番道、二番道、五番道の要所。

 贖罪兵団による人海と、浄化師団の神聖魔法により、

 徐々に啓開されつつあります」


「……そうか」


「日鴉猟兵隊は、山頂を維持しつつ狩場を縮小して遅滞行動を継続。

 しかし負傷者と飛行不能者が増加しており、

 じりじりと山頂へ下がっていってます」


 そこで、オイゲンは一瞬言葉を切った。


「――『このまま山岳戦を継続すれば、全滅の可能性あり』。フレイヤ隊長より」


 幕舎の中に、一拍の静寂が落ちた。


 グライフェンタールは、机の上の地図に目を落としたまま動かない。


 山脈。

 五本の山道。

 その先に広がるアジール平野と丘陵。


 地図の上では、線と面と数字にすぎない。


 だが、その向こう側には、黒い翼の子どもたちの顔がある。


(ここで猟兵隊をすり潰せば、帝国は楽だろう)

(だがそれは、共に生きるために、共に戦うという理に反する)


 彼は深く息を吸い、吐いた。


 決断は、もうとっくに頭の中で出ている。

 ただ、それを口にするのに、ほんの少しだけ時間が必要だった。


「――猟兵隊を、全員山から撤収させる」


 その言葉は、思っていたよりも静かに出た。


 オイゲンが、確認するように顔を上げる。


「完全撤収、で?」


「そうだ」


 グライフェンタールは頷いた。


「ここで猟兵隊をすべて失うわけにはいかん」


 彼は指で地図の山脈をなぞり、アジールの丘へと線を滑らせた。


「フレイヤたちは、もう充分すぎるほど時間を稼いだ。

 荷駄を焼き、足を折り、神聖国軍を九日間も山に貼り付けた」


 声に、かすかな誇りが滲む。


「その間に、ここでは何ができた?」


 オイゲンは、すぐに答えた。


「第一防衛線――土塁と壕の構築完了。

 第二防衛線の逆茂木も半分以上設置済み。

 第三防衛線では、塹壕を掘り終えて補強中。

 試作魔導砲十二門、試射と測量完了。

 予備歩兵は丘陵背面に待機済み」


「そうだ」


 グライフェンタールは地図から顔を上げた。


「山で削り、丘で折る――その準備は整った」


 彼は伝令を呼び、短く命じた。


「記録せよ。

 『本日をもって、日鴉猟兵隊に山岳戦の終了と撤収を命ず』」


「はっ!」


「フレイヤ隊長には、こう伝えろ」


 言葉を区切りながら、ゆっくりと選んでいく。


「『お前たちが稼いだ時間で、防衛線は万全になった。

 山を降りて、アジールの丘からこの戦を見届けろ』」


 伝令が飛び出していく。


 幕舎の中に、再び土と鉄の匂いだけが残った。


 オイゲンが、少し表情を緩める。


「猟兵たちが下りてくれば、こちらの士気も上がるでしょうな」


「そうだな」


 グライフェンタールは、短く笑った。


「殺され、焼かれ、それでもなお『あの山はアタシらの庭だ』なんて言い切る連中だ。

 庭を奪われたまま黙ってるたまじゃない」


「山を奪い返すのは、戦の後――ですか」


「帝国が残っていればな」


 あっさりと言って、彼は立ち上がった。


 幕舎の外では、夕陽が丘陵を赤く染めている。

 土塁の上を歩く兵たちの影が、長く伸びていた。


「いよいよだな、オイゲン」


「はい」


「山は、もう充分血を吸った。次は、この丘だ」


 グライフェンタールは、アジールの丘の先――

 山から伸びてくるはずの敵軍の進路をじっと見つめた。


「ここまで引き込んで、ようやく“会戦”の形になる」


 低く呟く。


「帝国と神聖国、最初の真正面のぶつかり合いだ」


 その戦いを迎えるために、山からは黒い翼が降りてくる。


 九日間、山の上で時間を削り続けた猟兵たちと、

 九日間、丘の上で牙を研ぎ続けた帝国軍。


 その両方が揃ったとき――

 ようやく、この戦争は“始まる”のだと、

 グライフェンタールは理解していた。

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