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農家の異世界奮闘記~理の目と鍬一本で、国を救い、神に挑む~  作者: 今無ヅイ
穢れ火戦争編

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聖樹は語らず

 聖都アウルム・カテドラ――聖断の間。


 出陣から五日が経っていた。


 聖都から国境の山麓までは、急げば一日、遅くとも二日。

 残りの三日で――国境を破り、山を抜け、帝国の平野に橋頭堡を築く。


 本来の筋書きは、そこまでだった。


 第一陣――外征のための正規兵三万と、贖罪兵団二万。

 道を確保し、陣地を組み、補給路を固定するための軍勢。


 そして橋頭堡が立った瞬間に、山麓の聖務都市から第二陣が動く。

 神聖騎士団一万。浄化師団一万。司令部と輜重を含めて、合計三万。

 聖都の護衛と異端排除の刃が、最後の仕上げとして帝国を焼く――はずだった。


 だが。


「――山岳地帯、未だ突破ならず」


 報告を読み上げた修道士の声が震える。

 手元の聖紋板――神託通信の刻印が、まだ微かに熱を持っていた。

 今朝、前線から届いた“神の声”だ。


 聖断の間に、ざわり、と嫌な波が走った。


「未だ、だと?」


 誰かが椅子をきしませる。


「五日だぞ。たったの山なみ一つ越えるのに、五日?」


「相手は辺境伯の軍と、日鴉どもの残党に過ぎぬはずだ」


「帝国の正規軍本隊は、まだ平野で布陣中と報告されている。

 その前段で足止めとは、どういうことだ」


 黄金と白で彩られた枢機卿たちの椅子が、苛立たしげに軋む。


 剣の枢機卿ベリアル聖が、手にしていた報告書をばさりと投げ出した。


「日鴉どもの妨害工作、とのことだ」


「また奴らか」


「荷馬車を焼き、谷に落とし、人足の足を射抜いていると」


「贖罪兵団は何をしている!」


「人足を押し出すのが仕事だ。戦うのは前にいる“兵”の役目だろう」


 言葉が言葉を煽り、責任のなすりつけ合いが始まりかける。


 それを断ち切るように、鎖の枢機卿エングメント聖が、机を指で軽く叩いた。


「些事だ」


 彼の声は、妙に乾いていた。


「山岳戦に手こずるなど、よくあることだ。重要なのは――

 光の楔(橋頭堡)が、まだ打ち込めていないという事実だけ」


「それが問題だ、と言っているのだが」


「ならば――力を増やせばよい」


 視線が一斉にエングメントへ向く。


 彼は少しも動じない。

 指先で鎖飾りを弄びながら、淡々と続けた。


「今、山に出ているのは五万。

 正規兵が道を作り、陣を組み、贖罪兵団が運ぶ。

 本来なら、その上に第二陣を落とす段取りだった」


「第二陣?」


「山麓の聖務都市に集結させてある」


 エングメントは、唇の端を吊り上げた。


「神聖騎士団一万。そして浄化師団一万。異端を潰すための刃だ。

 司令部含め、合計三万。――予定を繰り上げて叩き込め」


「聖都の護衛を削るのか」


「浄化師団を全部動かすだと?」


「国内の異端排除はどうする」


 反発が混じり始めた空気を、エングメントは一言でねじ伏せた。


「帝国が“暗き者”を庇うからだ」


 彼の瞳が薄い狂気に光る。


「日鴉。イースタシア。ノースタン。

 光を拒む者には、光を増やせばよい。

 影が薄れるまで、焼き尽くせばよい」


 その言葉に、何人かの枢機卿が頷いた。

 理屈ではない。合言葉だ。


「賛同を」


「賛同!」


「賛同!」


 聖断の間の空気が、少しずつ熱を帯びていく。

 冷静さではない。狂信の熱だ。


 その中で、一人だけ冷えたままの視線があった。


 クロエ・ベネディクト。

 眼鏡の奥で、彼女は唇を固く結んでいた。


(一万……浄化師団を全部)


 心の中で数える。


(本来は、橋頭堡が立ってから。

 安全な足場の上で、“異端”を摘出するための刃だ)


 それを、山の中へ投げ込む。

 それは戦術じゃない。焦りだ。


 山岳地帯は、ただの地形じゃない。

 風の通り道、魔素の巡り、土の呼吸。

 微妙な均衡の上に、ぎりぎりで成り立っている。


 そこへ浄化師団が入れば、“祈り”は技ではなく儀式になる。

 燃やされるのは木や岩だけじゃない。

 恐怖と痛みが煙になって、どこへ流れる。


(……また、淀む)


 喉の奥に、嫌な記憶が蘇る。

 古い文献にあった言葉――「瘴気」。

 感情が積もり、風が運び、海や谷に溜まる“濁り”。


 だが、彼女が口を開く前に、別の声が割り込んだ。


「さらに」


 剣の枢機卿ベリアルが、低く笑った。


「補給線の問題だな」


「日鴉どもが荷を焼き、人足の足を射抜いているとのこと」


「ならば、背中を増やせ」


 あまりにも簡単に言う。


「贖罪兵団を追加で出せ。

 国内に残っている分を――三万、前線へ」


 聖断の間が、ざわめきを増す。


「三万……それだけを一度に?」


「管理はどうする」


「護衛と監督は」


「管理はいらぬ」


 ベリアルの声が、冷たく切り捨てた。


「ただ歩かせ、運ばせればよい。奴らは罪人だ。

 神の罰として、荷を背負い、斜面を登り、倒れればその場で土に還るだけ」


 彼は両手を広げた。


「荷を焼かれようが、人足の足を射抜かれようが、

 背中そのものを増やせばいい」


 その言い草に、クロエは思わず指先に力を込めた。


(人ではなく、“背中”……)


 だが、聖断の間の大勢は、その感覚に何の疑問も抱いていないようだった。


「賛同を」


「賛同!」


「賛同!」


 決定が、紙と印璽のこすれる音で固まっていく。


 神聖騎士団一万。

 浄化師団一万。

 司令部と輜重を含む第二陣、合計三万。


 そして贖罪兵団、追加三万。


 数字が積み上がるたびに、誰かが叫ぶ。

 いつもの決まり文句が、それを飾り立てる。


「神の御心のままに!」

「神の御業を地上に知らしめん!」


 その声の渦の中で、若い女性枢機卿の顔だけが、静かに青ざめていた。


 彼女の耳には、本来なら――

 黄金樹の根から流れる魔素の“音”が聴こえているはずだった。


 だが今、この聖断の間で響いているのは、ただ、人の叫びだけだ。


(……本当に、これは“御心”なのですか)


 心の中だけで問いかける。


 答えは、いつものように返ってこない。


 代わりに響くのは、

 紙が重なり、印璽が押され、命令が走る音。

 そして――聖都の上空に、見えない風がうねる気配だけだった。

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