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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
10/42

芽吹きの理(タウブルッフ)

長く閉ざされていた冬が、ゆっくりと息を吐いた。

凍裂季アイスビンドゥングが過ぎ、タウブルッフ――解氷季が訪れる。

雪解け水が、山の斜面から細い筋となって谷へ流れ込む。

朝になると村は一面の霧に包まれ、その合間から、黒い土と水面がところどころ顔を覗かせていた。


ツチダは、いつものように夜明け前に起きた。

囲炉裏の火をかき立て、薄い粥を流し込むと、まだ冷たい長靴を引っかけて外へ出る。

風はまだ冷たい。だが、鼻をくすぐる匂いが違った。

凍った空気の下に、わずかに土と水草の匂いが混じっている。


(……溶けてきたな)


霧の中を歩き、柵を開けて畑へ向かう。

足もとの泥は、冬のあいだ石のように固まっていたのが嘘のように、じわりと沈んだ。


畝の間から、淡い緑が顔を出していた。

――発芽だ。


雪を割るようにして、小さな芽が規則正しく並んでいる。

ひとつひとつの葉が風に震えるたび、薄い陽光を受けてきらりと光を返した。


ツチダには、その光の中にもうひとつ別の“輝き”が見えていた。

土の中を、細い川のように流れる緑と青の帯――

冬のあいだ眠っていた生命の理が、静かに動き始めていた。


「出た……」


胸の奥から、自然に言葉が漏れた。

完璧な発芽率ではない。ところどころ芽が途切れ、まだ顔を出していない区画もある。

それでも、この土地の冷たさと痩せ具合を考えれば、驚くべき成果だった。


(よく頑張ったな……)


思わず、芽に向かってそう声をかけたくなる。

それは自分に対してでもあり、冬を越えた村人たちに対してでもあった。


そこへ、後ろから足音が近づいてきた。


「ツチダ殿!見ろ、芽が!」

「ほんとうに出た……去年は、ひと握りも生えなんだのに!」


村人たちが、寝巻きの上に上着をひっかけたような格好で駆け寄ってくる。

老人も子どもも、一斉に畝の間にしゃがみ込み、冷たい土に手をついて覗き込んだ。


「これが……麦の芽か」

「こんなに揃って出とる……」


冷たい風が吹いているのに、その場だけ、春が切り取られたようなぬくもりがあった。


ツチダはしゃがみ込み、そっと葉を撫でる。

葉の付け根から伝わる張りと、土の中へ伸びた根の力強さ。


「……うん、悪くない。根も強い。

乾きにも冷えにも、そこそこ耐えられそうな構造をしてる」


彼の頭の中では、自然と計算が走っていた。

現代日本の改良品種に比べれば、発芽率も生育速度も劣る。

化学肥料も農薬もないこの世界では、理想的な環境を整えること自体が難しい。


けれど――それでも、この土は確かに息を吹き返していた。


「ツチダさん、これ、全部あなたが?」

若い農夫が、半ば畏れを含んだ目で問いかけてくる。


ツチダは、苦笑して首を横に振った。


「違いますよ。みんなでやった畑です。

俺はちょっと“手助け”をしただけです」


「けど、こんなに芽が揃うのは初めてだ!」

「やっぱりツチダ殿の理だ!」


あちこちから声が上がる。

冬の間、彼が書き続けたノートや、堆肥小屋作りや、雪の中での講釈を、村人たちは見ていたのだ。


“理”という言葉が、いつの間にか村の口癖になっていた。

誰かが何かを上手くやると、「それが理だ」と言う。

畑の溝が上手く水を流せば、「理が通った」。

子どもが新しい字を覚えれば、「理を一つ増やした」。


それは、神でも奇跡でもなく、“正しい流れ”を見つけていくこと。

ツチダにとって、それが一番うれしい変化だった。


「理、ね……」


彼は照れくさそうに笑い、それから一歩下がって畑全体を見渡した。

朝日を浴びた麦の芽が、等間隔の列となって並び、まだ頼りないながらも“畑らしい顔”を見せている。

午後、彼は一人で畑を歩いた。

陽が高くなるにつれ、霧は晴れ、雪解け水が畝の脇をちろちろと流れている。

柔らかくなった土の上に、春の光が斜めに差し込んでいた。


耳を澄ますと、地中の水の音が聴こえる気がする。

土の奥で、緑と青の帯がめぐり、細い根っこに絡みついていく。


理の流れが、確かにそこにあった。


――これが、今の俺にできる“最善”だ。


ツチダは空を仰いだ。

遠い故郷の、雲ひとつない真っ青な空とは違う。

薄く雲がかかり、どこか柔らかい色をしている。だが、それが悪くないと思えた。


「いつか、この大地にも――笑って暮らせる理を根づかせたいな」


誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。

その言葉に応えるように、畑の奥で風が吹いた。

若い麦の葉が一斉にそよぎ、光の粒が空中に舞い上がる。


その光景はまるで、

“理が芽吹いた瞬間”を祝福しているかのようだった。

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