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北の森へ

 ロアを迎え入れてからの健太の日常は、以前にも増して色彩豊かになっていた。北の森での過酷な経験から少しずつ解放され、ロアの表情に屈託のない笑顔が戻るたび、健太の心にも温かい光が灯る。


ロアは健太に、この世界の様々なことを教えてくれた。森の奥深くに咲く珍しい花のこと、獣人族に伝わる古くからの物語、そして、この世界に生きる人々の喜怒哀楽。健太もまた、日本での生活や、現代の知識をロアに語って聞かせた。


ある日の午後、ロアは健太の書斎で、地球の図鑑を食い入るように見ていた。ページの端々には、健太が説明のために書き込んだ小さなメモがびっしりと並んでいる。


「ケンタ様、この『パンダ』って動物、すごく可愛いね!モフモフしてる!」


ロアの無邪気な声に、健太は目を細める。


「ああ、パンダはな、日本でも人気のある動物なんだ。笹を食べるんだぞ」

「笹!?美味しいの?」


ロアの問いに、健太は笑って答えた。


「人間は食べないな」


そんな他愛のない会話が、健太にとっては何よりも安らぎの時間だった。ロアの純粋な疑問に答えるたび、健太自身も改めて日本の文化や知識を見つめ直す機会を得た。


ロアが健太の家で暮らし始めて数ヶ月が経った頃、ロアはすっかり元気になり、時折、健太の家の庭で駆け回るほどになっていた。「家の庭」といっても魔物が蔓延る森の中なので、ロアが庭で遊ぶ時はルミナに頼み、彼にだけ影響しない範囲で特殊な結界を張ってもらっていた。この結界は、周囲の魔物からロアの存在を隠し、同時に、魔物が結界内に侵入するのを防ぐ優れものだった。


少し前までの結界は自分一人を30分しか守ることができなかったが、あれから数ヶ月経ち家の能力も進化したらしく今では持続時間が2時間にまで延び、さらには認識阻害という外敵に自分たちの存在を隠す効果までオマケとして付いてきたようだ。


また、ロアの健康はルミナが綿密に管理してくれており、健太にロアの適切な食事メニューや運動プログラムを提案してくれるので、ロアはすっかり元気になり少し背も伸びたようだ。


その成長は、健太にとって何よりの喜びだった。ロアの健やかな成長を見るたび、健太は自分に子供がいたらこんな気持ちなのかとしみじみ考えたりするようになっていた。



 ある日の夕食後、健太が書斎で読書をしていると、ロアがそっと健太の部屋のドアを開けた。普段は元気いっぱいのロアだが、その日はどこか緊張した面持ちだった。


「ケンタ様、あのね…」


ロアは少し迷うように話し始めた。健太は優しくロアを見つめ、続きを促した。


「ボク、ケンタ様みたいになりたいって言ったでしょ?だから…」


ロアは意を決したように、健太の目を見て続けた。その瞳には、恐怖と決意が入り混じっていた。


「困っている人がいたら、ボクも助けに行きたい。だからね、あのねあのね、北の森の、ボクの仲間たちが、まだ奴隷狩りに捕まっているかもしれないから助けに行きたいんだ…」


健太はロアの言葉に、一瞬言葉を失った。北の森にあるロアの故郷は、アストリア王国からかなり離れており、魔物の活動も活発な危険地帯だ。奴隷狩りという非道な集団が跋扈する場所でもある。


ロアがどんなに強く願っても、その小さな体ではあまりにも無謀な旅だ。しかし、ロアの瞳に宿る強い意志と、仲間を思う優しい心に、健太は深く胸を打たれた。


「ロア…危険な場所だぞ。一人で行かせるわけにはいかない」


健太がそう言うと、ロアは首を横に振った。その小さな体からは想像もできないほどの、強い意志が感じられた。


「一人じゃないよ。ケンタ様が、一緒に来てくれるんでしょ?」


ロアの真っ直ぐな視線に、健太は苦笑するしかなかった。確かに、ロアの言葉は正しかった。健太は、ロアを一人で行かせるつもりなど毛頭ない。そして、もしロアの仲間が本当に困っているのであれば、助けるのが健太の使命だと感じていた。


『大きな力を持った人間ってのは2種類に分かれるもんなのよ』────健太の祖母の言葉だ。


健太の祖母は昔、大きな力を持った人間というのは「その力を振るわずにはいられないタイプの人間」と「その力を世のため人のために使おうとする人間」の2種類に分かれるのだと健太は耳にタコができるほど聞かされたものだった。


その話を聞かされる度に健太は「自分は後者になる」と祖母に言っては褒められお駄賃やお菓子を貰ったものだった。


そんな祖母との約束もあり、この世界で得た力は、困っている人々を救うために使うと健太は決めたのだ。


「わかった。ルミナ、準備をしてくれるか?北の森へ向かう」


健太の言葉に、ルミナはすぐに反応した。


『認識しました。北の森の地理情報、魔物、そして奴隷狩りに関する情報を収集します。同時に、最適な転移ポイントと、主とロア様の身を守るための装備を準備します』


健太の心には、新たな冒険への予感と、小さな獣人族の子供が勇気ある一歩を踏み出した感動が入り混じっていた。ロアの成長が、健太自身の行動を促す。それは、まさしくルミナが言っていた「希望の連鎖」そのものだった。




 数日後、健太とロアは北の森の入り口付近に転移した。ルミナが選んだ転移地点は、転移できるギリギリの範囲で周囲の魔物の活動が比較的穏やかな場所だったが、それでも森の奥からは不気味な鳴き声が聞こえてきていた。


空気は湿り気を帯び、森の独特な匂いが鼻腔をくすぐる。健太はロアの手をしっかりと握り、ルミナが生成した簡易的な地図を頼りに森の奥へと足を踏み入れた。


ルミナは、健太とロアのために、結界以外にも周囲の環境に溶け込むような特殊な服を用意していた。それは、森の木々や影に紛れて、敵から見つかりにくくする効果があった。おそらく、何らかのアクシデントが起き結界の持続時間が切れた時の対策だろう。健太は、以前にも増して緻密になったルミナのサポートに感心する。


 森の中は、昼間でも薄暗く、背の高い木々が日光を遮っていた。足元には落ち葉が積もり、歩くたびにカサカサと音がする。健太は周囲を警戒しながら進んだ。ロアは最初は怯えていたが、健太の隣で、故郷へと続く道を必死に思い出そうとしていた。その小さな手が、健太の服の裾をぎゅっと握りしめ自分自身を奮い立たせていた。


「ケンタ様、こっちだよ!この道は、村に繋がってるはず!」


ロアの案内で、二人はさらに森の奥へと進んでいく。しばらく歩くと、廃墟となった村の入り口が見えてきた。そこは、ロアが奴隷狩りに襲われたという獣人族の村だった。村は荒れ果て、多くの家屋が破壊され、生活の痕跡が生々しく残されていた。倒れた木材、散乱した日用品、そして、所々に残る焦げ跡が、襲撃の惨劇を物語っていた。


「…ひどい」


健太は思わず呟いた。ロアの瞳には、再び恐怖と悲しみがよぎる。健太はロアの頭を優しく撫で、その小さな体を抱き寄せた。ロアの震える体が、健太の腕の中で小さく揺れた。


その時、ルミナの声が健太の心に響いた。


『主、村の奥に微弱な生命反応を複数感知しました。奴隷狩りの残党が潜伏している可能性が高いです。また、感知した生命反応のうち、一部は獣人族の子供のものです。注意してください』


健太はロアを背中に隠し、慎重に村の奥へと進んだ。廃墟となった集会所の近くで、健太は複数の人影を見つけた。彼らは奴隷狩りの人間たちで、粗暴な顔つきをしており、腰には剣や棍棒をぶら下げていた。そして、その足元には、数人の獣人族の子供たちが捕らえられ、鎖で繋がれている。


子供たちの目は虚ろで、希望を失っていた。彼らの体は痩せこけ、服もボロボロで、ひどく汚れていた。奴隷狩りの男たちは、粗暴な言葉で子供たちを罵り、時には蹴飛ばすような仕草も見せた。その光景は、健太の怒りを一気に燃え上がらせた。


「くそっ…!」


健太は怒りに震えた。彼はルミナに命じた。


「ルミナ、彼らを無力化できないか?」


『認識しました。麻痺ガスを展開します。同時に、子供たちを保護するためのシールドを生成します。奴隷狩りの武器は、一時的に機能を停止させます』


ルミナの声と共に、健太の足元から淡い光が広がり、瞬く間に奴隷狩りの男たちを包み込んだ。男たちは光に触れると、まるで糸が切れたかのように、その場に崩れ落ち、動かなくなった。同時に、彼らが手にしていた剣や棍棒なども、まるで溶けるようにその形を失った。


子供たちの周りには透明なシールドが展開され、麻痺ガスの影響を受けずに済んだ。健太は、ルミナの能力の進化と、その的確な状況判断に驚きを隠せないが今は驚いている場合ではない。


健太はすぐに駆け寄り、鎖に繋がれた子供たちを解放した。子供たちは最初は怯えながらも、健太の優しい眼差しと、解放されたことへの安堵から、少しずつ警戒を解いていった。健太は、ルミナが生成した温かいスープと、栄養ゼリーを子供たちに与えると、子供たちは最初こそ戸惑っていたが、一口食べると夢中で食べ始めた。その姿は、まるで飢えた子猫のようだった。


「ロア…!」


俺の横にいるロアの姿を見つけた一人の獣人族の子供が、ロアの名前を呼んだ。ロアもまた、その子供の顔を見て、大粒の涙を流しながら駆け寄った。


「ユーリ!生きてたんだね!」


ロアとユーリは抱き合い、再会を喜び合った。ユーリは、ロアと同じ歳で村ではロアの親友だったらしい。ユーリは、奴隷狩りに捕まってから、毎日ロアのことを思っていたと健太に話した。健太は、その光景を温かい眼差しで見守っていた。


『主の行動が、また一つ新たな希望を紡ぎました』


健太はロアとユーリ、そして他の子供たちを連れて、その場を離れた。奴隷狩りの男たちは、ルミナが再び麻痺ガスを噴射して完全に無力化し、意識が戻るまで時間がかかるように調整しておいた。彼らが再び悪事を働けないように健太は子供たちと協力し奴隷狩りの男たちを木に縛り付けた。



彼らはアストリア王国の健太の家へ向かう道中、互いの無事を喜び合い、未来への希望を語り合った。子供たちは、健太の転移能力に驚き、目を輝かせた。



 健太の家に保護された獣人族の子供たちは、最初は少し緊張していたが、健太に懐いたロアの存在、そして健太の温かい心遣いに触れ、少しずつ心を開いていった。


ルミナは、子供たち一人ひとりの健康状態を把握し、それぞれに合わせた食事やケアを健太に提案した。子供たちは、健太とルミナが用意した温かい食べ物や清潔な寝床に感激し、次第に笑顔を見せるようになった。


その中には、健太の手を握り、「ありがとう」と小さな声で呟く子もいた。


健太は、子供たちが安心して暮らせるように、家の間取りを広げ、新たな部屋をいくつか増築できないかとルミナに提案してみた。『可能です』という答え言うより早くルミナはそれをあっという間に完了してしまった。


子供たちは、自分の部屋ができたことに大喜びし、それぞれの部屋を自分たちなりに飾り付け始めた。


部屋の壁には、健太が持っていた日本の絵本から写し取った動物の絵や、ルミナが投影したこの世界の美しい風景が飾られた。


健太の家は、以前にも増して賑やかになった。朝は、子供たちの元気な声が響き渡り、食卓には笑顔が溢れた。


昼間は、健太が子供たちに日本の文化や知識を教えたり、一緒に庭で遊んだりした。ロアは、すっかりお兄さんらしくなり、ユーリと共に小さい子供たちの面倒をよく見ていた。ユーリはユーリで、健太が教えてくれる日本の食べ物や動物に夢中になり、さらには暇さえあれば子供向けの絵本を読んでいる。


こうして彼らの笑い声が、健太の家を温かく包み込み賑やかな日々が始まった。


ある日の夕方、健太がリビングでくつろいでいると、子供たちが健太の周りに集まってきた。


「ケンタ様、今日の夕食は何?」

「ケンタ様、明日も一緒に遊んでくれる?」


子供たちの問いかけに、健太は満面の笑みで答えた。


「もちろん」


健太は、日本での平凡な生活を送っていた頃には想像もできなかった充実感を、この異世界で感じている。それは、アストリア王国の環境再生という大きな役割だけでなく、目の前の小さな命に希望を与え、その笑顔を見守る喜びだった。




 ある日の夜、健太はルミナに尋ねた。窓の外は満月が輝き、無数の星々が瞬いている。


「ルミナ、俺はいつまでこの世界にいられるんだろう?」


ルミナは静かに答えた。


『主の滞在期間は、この世界の調和と、主の意志によって決まります。この世界の再生が完了し、主が自身の役割を全うしたと判断すれば、元の世界へ戻ることも可能です』


健太は遠い故郷、日本のことを思った。家族や友人たちの顔が、健太の脳裏に鮮明に浮かんだ。彼らは今、どうしているだろうか。健太は、彼らのことを思うと、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。


あの頃の自分は、ただ毎日をこなし、目の前のことだけに追われていた。しかし、今、この世界で、健太は確かに生きている実感があった。


しかし、健太の視線はすぐに、隣の部屋から聞こえる子供たちの寝息に向けられた。彼らの存在は、健太の心に強い責任感と愛情を抱かせた。この子たちを、この過酷な世界で一人にしておくわけにはいかない。まだ、この世界には、彼らと同じように苦しんでいる人々が大勢いるはずだ。


「ルミナ、この世界には、まだ困っている人がたくさんいるんだよな?」


『はい、主。この世界は広大であり、未だ多くの地域が、魔物の脅威や、奴隷狩りのような非道な行いに苦しめられています。また、環境破壊も、一部地域では深刻な問題として残っています』


健太は深く息を吸い込み、決意を新たにした。


「そうか…なら、俺はまだこの世界にいるべきだな。ルミナ、俺は、この世界の全ての子供たちが、ロアみたいに安心して暮らせるような世界にしたい……なんて無茶を言うつもりはない」


それから健太は大きく息を吐く。ルミナはそんな健太の次の言葉を持つように無言を貫いている。


「俺は、せめて俺の手の届く範囲にいる人たちが安心して暮らせるよう尽力することにするよ」


健太の言葉を聞いたルミナは淡い光を放ちながら、健太の決意を祝福するかのように優しく輝き言葉を発した。


『認識しました。主の強い意志は、この世界の調和に、さらなる力を与えるでしょう。私は、主の望みを叶えるため、全力を尽くします』


健太は、新たな決意を胸に、静かに目を閉じた。彼は、かつて単調だった日本での生活とは全く異なる、生きた喜びと充実感をこの異世界で感じていた。


今、彼の心には遥か遠い故郷への郷愁とともに、目の前の大切な存在を守り抜くという揺るぎない決意が共存している。

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