獣人族の子供
アストリア王国での環境再生が順調に進み、健太の心は満たされていた。しかし、彼の安穏とした日々は、ある予期せぬ出会いによって、新たな局面を迎えることになる。
ある日、健太は自宅のテレビに映し出されていたアストリア王国の国境付近の様子をボーッと見ていると、画面には痩せこけた体で森の中を彷徨っている幼い獣人族の子供を発見した。
その子の瞳には、恐怖が深く刻まれており何かから逃げるように後ろを警戒しながらアストリアの王都へと向かっているようだった。
ルミナが静かに、しかしハッキリとした声で告げる。
『主、あの子供は国境を越えて逃げてきたようです。周辺の魔物の活動が活発化しており、このままでは命の危険があります』
健太は慌ててルミナに問いかける。
「ルミナ、あの子供を助けることはできないのか?家の転移能力で、この場所に連れてくるなんてことは…」
『可能です。ただし、転移には対象の明確な認識と、主の強い意志が必要です。対象の生命活動が危険な状態にある場合、転移の成功率は低下します』
健太は迷うことなく頷いた。
「助けるぞ。やってくれルミナ!」
健太がそう強く念じると、テレビ画面に「生命転移」という文字と、その下に複雑かつ美しい幾何学模様が浮かび上がった。ルミナの声が健太の心に直接響く。
『認識しました。生命転移を開始します』
光が健太の足元から広がり、瞬く間にテレビ画面の中にいる子供を包み込んだ。すると次の瞬間、子供の姿が画面から消え、健太の目の前にはさきほどの小さな獣人族の子供が倒れていた。子供は意識を失っており、その体は傷つき服もボロボロで汚れきっていた。
「ルミナ、この子を助けてやってくれ」
健太は慌ててルミナに命じた。彼の慌てた様子を察したかのように、ルミナがすぐに返答する。
『認識しました。医療品を展開します。同時に、家屋内の環境を生命の回復に適した状態に調整します』
健太の目の前に、清潔なタオルや消毒液、そして栄養剤などが瞬時に現れた。健太は震える手で子供の傷の手当てをし、汚れた体を拭いてやった。ルミナが指示するままに栄養剤を飲ませると、子供の呼吸が少しずつ安定してきた。
『主の献身的な処置により、生命活動は安定しました。ですが、しばらくは安静が必要です』
ルミナの声に健太は安堵する。彼は子供を抱き上げ、寝室へと運ぶと小さな体をベッドに寝かせる。
「無事でよかった」
翌朝、健太が目を覚ますと、リビングから物音が聞こえた。急いでリビングに向かうと、獣人の子供が目を覚ましたようで、きょろきょろと部屋を見回している。健太の姿を見ると、子供は怯えたように体を震わせた。
「大丈夫だよ。もう安全だから。お腹、空いてないかな?」
健太は優しく語りかけた。ルミナの翻訳機能を通して、健太の言葉は子供にも理解できるようだった。子供は警戒しながらも、ゆっくりと健太の方に顔を向ける。その瞳は、まだ怯えに満ちていたが、かすかな希望の光が宿っていた。
まずは何か食べさせなければと思い、健太は温かいスープと焼きたてのパンを獣人の子に差し出す。子供は最初は戸惑っていたが、差し出されたパンを一口食べると夢中で食べ始めた。その姿を見て健太も安心する。
食事を終えると、子供は少しだけ表情を和らげた。満腹になり恐怖や緊張も和らいできたのだろうと思った健太はゆっくりと子供に話しかけた。
「君はどこから来たの?名前は?」
突然話しかけられ驚いたのか、獣人の子供は少し沈黙したがすぐに震える声で健太の質問に答えた。
「…ロア。北の森…から、逃げてきた…」
ロアは北の森に住む獣人族で、住んでいた村が奴隷狩りと呼ばれる連中に襲われ、家族も仲間も皆、散り散りになってしまったようだ。それから数日間、食べ物も水もほとんど口にせず、奴隷狩りから隠れながらアストリア王国へと逃げてきたのだという。
健太はロアの過酷な経験に心を痛めた。彼はロアの頭を優しく撫でながら言った。
「もう大丈夫だロア。ここは安全な場所だから。君はここにいていいんだ」
ロアは健太の言葉に、大きく目を見開いた。そして、その瞳から大粒の涙が溢れ出した。ロアは健太の胸に顔を埋め、声を上げて泣き始めた。健太は何も言わず、ただ優しくロアを抱きしめた。
────この世界は本当に過酷だ。
ロアを家に迎え入れてから、健太の異世界での日々は、さらに賑やかになった。ロアは最初こそ怯えていたが、健太の優しさに触れ、徐々に心を開いていった。
ルミナもまた、ロアの健康状態を常に管理し適切な栄養や環境調整を行ってくれた。
健太はロアに、この家のことや、自分が異世界から来たこと、そして「家」の持つ能力について、ゆっくりと説明した。ロアは健太の言葉に驚きながらも、彼の言葉を信じた。健太がアストリア王国を救った「救済者様」であることも、ロアはすぐに理解した。
そんなロアが健太の家で暮らし始めて数週間が経った頃、ロアの体はすっかり回復し、その表情には笑顔が戻っていた。健太もロアと共に過ごす時間が、かけがえのないものになっていた。
ある日の夕食時、ロアが健太に尋ねた。
「ケンタ様は、どうして私を助けてくれたの?」
健太はロアの問いに、少し考えた後、穏やかな笑顔で答えた。
「理由なんてないよ。助けたかったから助けただけだよ。ロアだって目の前に困っている人がいたら助けたいって思うだろ?」
ロアは健太の言葉に、真っ直ぐな瞳で健太を見つめコクリと頷く。
「ボクも…いつか、ケンタ様みたいに、困っている人を助けられるようになりたい」
ロアにそう言われ健太は少し照れると同時に申し訳ない気持ちにもなった。助けたいと思ったのはたしかだが、実際ロアを助けることができたのはこの家の能力とルミナのサポートがあってこそだ。
『主の行動は、新たな生命に希望を与え、その希望はまた、新たな生命へと伝播していくでしょう。それは、この世界の調和と発展に不可欠な連鎖です』
そんなことを考えていると、突然ルミナの声が健太の頭の中に響いた。どうやらルミナには健太が何を考えていたのかお見通しでルミナなりに健太を励ましたかったのかもしれない。
もし、自分がこの異世界で果たすべき役割があり、その役割を果たすために呼ばれたのであれば、それは単に物資を供給したり環境を再生するだけでなく、ルミナが言ったように、こうして希望を繋いでいくことなのではないかと健太は思った。
働いて帰って来て寝るだけの生活を送っていた日本とは違い、危険はあれどこの世界での生活に健太は充実感を覚えていた。