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後編 センチメンタルアンドロイド

 驚きはした。しかしもう、二度目だ。


 アンドロイドボディは、早野はやのの実家の主要な製品。

 そして、ずっと懸案だったお母さんの研究。人間大の容積で人間と同等以上のスペックを持つ電子頭脳の創造が、実現したのなら。


 早野浩二はやのこうじ三上貴子みかみたかこと同じように帰ってきても、不思議はない。

 貴子の死を嘆いて首を吊った浩二がここにいても、おかしくはなかった。


「浩二くんっ! 会いたかった……っ」

 喜び溢れる顔をして、貴子が早野の胸の中で背伸びをした。

 あえかな唇が、愛をせがむように恋人の顔に寄せられる。

 ひととき、男と女の口唇が重なり合った。

 鳴海なるみの顔が歪む。嫉妬なのか。それとも、愛し合うアンドロイドの恋人同士を目の当たりにした、生身の持つ嫌悪だろうか。

 でも私には、二人がただ純粋に愛を交わす高校生にしか、見えなかった。

 二人は涙までをも見せている。私の顔は、どうしているだろう――


「また、あとでね」

 愛し気に囁く早野は、少女のうなじを手に抱いた。

 小さく貴子が頷くのと同時に、聞き慣れない低い音が彼女の身体から短く響いた。

 

 力の抜けた貴子の身体を、早野は支えた。

 貴子の首筋に、小さなプラグが刺さっていた。長さ一センチ程度のそれは、アンドロイドの強制停止に使う、ドングルだろう。


「貴子に何をしたの!?」

 鳴海が浩二に詰め寄る。

 実家がお金持ちというだけのお嬢様は、技術については無知に等しい。


「これを貴子だと思ってくれるんだね、うれしいよ。なら俺のことも――」


「あなたも、あなたもそうなの?! あなたも、そうなってしまったの!?」

 取り乱したように鳴海はわめく。声の底には、確信が込められているように聞こえた。彼女はうれしいのだろうか? 浩二が帰ってきて。

 どちらにしろ、彼の気持ちはもう、貴子にしか向いていないのに。

 生身でも造物でも、変わらないものは、ある。


「これから君たちにすることを、貴子には、見せたくなくてね」

 そっと静かに、早野は貴子の身体を芝生の上に横たえた。

 愛し気に、恋人の額でほつれた前髪をはらってから。

 立ち上がり、私たちを見据えた。


葛城かつらぎ家による巨額の資金援助」

 早野浩二は葛城鳴海の瞳を覗いた。


「亡くなった君の母親、周防奈津美すおうなつみ博士の頭脳」

 男の指先が、私――周防茉奈すおうまなに向けられる。

 鳴海と私を見る彼の眼差しには、ある種の感謝のようなものが宿って見えた。


「君らの家のおかげもあって、俺たちはこうして帰ってこれた。でも――」


 愛し気に早野は、横たわる貴子に視線を落とした。

 再び私たちに顔を向けた早野の瞳からは謝意が失せ、代りに憎しみが宿っていた。


「君たちは貴子にしたことを償うべきだと、俺は思う」

 早野は制服の上着を脱いで、貴子の身体に静かに被せた。


 秋風が吹き抜ける。

 早野はワイシャツの袖をめくった。右と、左と。

 冬の気配が、早野から人の温かさを連れ去ったようだった。

 親指を手のひらに向けて折り曲げている。

 四本の指を揃えた。手刀を作って。

 右と左。両手を肩口に挙げた。


「何を、するつもり……なの」

 後退あとじさるのは、鳴海の本能ゆえだったろう。


「だいじょうぶ。()()()()さ。でも、帰ってこれる。俺と、貴子のように」


 人工頭脳にも本能は、あるのかな……?

 そんなことをふと思った一瞬あとには――


 早野の動きは、人を超えたものだった。

 深々と、男の左手は女の左目を貫いていた。

 後頭部からは真っ赤な指先が見えていた。無造作に引き抜く。

 どさりと、鳴海は地に崩れた。

 枯れ始めていた芝生が、朱に染まっていく。

 美しい鳴海の顔は、割れたザクロのようだった。


「あ……ごめん。手が滑った」

 復讐の愉悦が早野に滲む。わざとやってる。

 電子頭脳にも憎しみは宿ると、史上初めて証明された瞬間だったのかもしれない。


「被検体は、多いに越したことはない。父さんの会社の役に立ってよ。君のお母さんだけじゃなくてさ」

 綺麗なままの右手を、早野は私に向けてきた。

 真っ直ぐに、指先が、私の左胸を狙っているのが分かった。


「やめて……」

 死ぬのはやはり、怖いらしい。きっとこれが、生身の本能なのだろう。


「君が止めなかったから、鳴海に味方したから、貴子は死んだんだ」


「でも、でも帰ってこれたじゃない。だったらもう、いいじゃない……」

 哀願していた。河原での貴子の姿が重なる。

 泣きじゃくって……自分の頬を伝う、幾筋もの哀惜の滴りが温かい。


「ダメだよ。罰は、罰だ」

 耳元にそう囁かれたのは、早野の右手が私の心臓を貫いたあとだった。


 ――死への恐怖は一瞬と知った。

 痛みがあるのか、無いのか、感じないのか……すぐに分からなくなった。

 身体の熱が消えていく。これが命の温もりなのか。

 母親の顔が浮かんだ。〈HIT〉での実験で命を落とした、お母さん。

 どうしてだろう? 忘れていたはじめさんの顔も浮かんでいた。

 病気でってしまった、大好きだった年上の幼馴染。

 今更に、思い出すなんて……。

 会いたい……みんなに会いたい。あっちへ行ければ、会えるのかもしれない。

 でも、きっと、私は、会えないんだ。

 だって、私は、次に目覚めるとき――


 薄れる意識の向こうで遠く、銃声と早野の悲鳴の重なりを、聞いた気がした――



    §


 ひんやりと冷たい囲いの中で、私は眠りから覚めた。

 どれほど時が経ったのか。

 考えることに意味があるのかすら、私には分からなかった。


 身体が重たい――何かまとわりついて……澄んだ液体の中に、私の身体は沈んでいた。どこだろう? 不思議と恐怖は無かった。

 頭だけが水面に出て、固めのヘッドレストが後頭部を支えていた。

 首から下は液体の中。裸だ。


[被検体:No.014。周防茉奈すおうまな、女性。覚醒を確認。バイタル正常、肉体の形成に問題なし、安定液の排出を――]


 抑揚に乏しい女性の人工音声が、私の覚醒を告げていた。

 身体をおおった少しとろみのある液体は、素肌から流れ落ちてどこかへと消える。

 次第に水中とは違う重さが、私の身体を下に引きはじめた。

 目の前を覆っていた曇りガラスのようなフードがゆっくりと上がっていく。

 肌が外気に触れて乾く。やはり冷えた空気が、肺に流れ込んだ。


[被検体:No.014。周防茉奈。身体を洗浄してください]

 薄暗い部屋の片隅が、ふいに明るくなった。

 備え付けのシャワーボックスに明かりが灯る。

 その横には、白い施術着らしき着替えが置かれていた。


 きっとどこかで、私を見ている誰かがいる。

 恥ずかしさを覚えたのは、ほんの一瞬。

 身の隠しようがない。さっさと体を洗って、着替えてしまおう。


 シャワーを浴びて、ぬめりの名残を手で拭った。

 指先が左胸に触れる。ぽっかり空いたはずの、前から後ろへ真っ直ぐに突き抜けた傷口は、綺麗に塞がれていた。

 いや……それともこれは……新しい……からだ?


 さほど大きくもない胸や、少し気になっていたお腹の脂肪の付き方まで、嫌になるほど馴染みのある、周防茉奈の身体そのままだった。

 これがきっと貴子の言っていた「普通にお食事できる、ちゃんとした体」なんだ。

 少なくとも、あの茶色い離乳食を啜らなくても済みそうなのはありがたい。


 今これを考えている私の頭脳が、十七年の人生を共にしてきた有機物の塊なのか、それとも新造された電子部品なのか、私には分からない。

 痛みの記憶も、確かに感じた死への恐怖も、今は欠片も残っていない。


 ただ、私は私であると――それだけだ。


 施術着に着替えると、計ったように人工音声が次の行動を促してきた。


[早野はやの博士がお待ちです]

 博士?……いや、そんなはずない……でも、もしかして、それとも……?


 部屋の扉から電子ロックが外れ、廊下へ続く道が開いた。

 足元では、行き先を示す電子表示の案内が静かに灯っていた。



    §


 案内に従って、薄暗い廊下を歩いていく。


 ふいに明るい、ガラス張りで隔てられた中庭が見えてきた。音は聞こえない。

 若い女性と若い男性が睦み合って……貴子たかこと、浩二こうじだ。

 そしてもう一人。面影にどこか覚えのある、幼い女の子――


 私は知らず、ガラスを叩いていた。

 三人の誰一人として、私に気づくことはなかった。

 私に中庭の音が届かないように、こちらの音も届かないのだろう。きっとこのガラスも、マジックミラーの類い。私の姿も、きっと見えていない。


「――少し見ないうちに、浩二はずいぶん、やんちゃになってたんだな。まさか、みんな殺してしまうだなんて。悪かったね……茉奈まな


 思い出のなかだけに聞こえていた声に、私の涙があふれていた。


はじめさん……なの?」

 振り向いた。白衣の姿。目で確かめる。はにかむ笑顔は、あのときと変わらない。


「久しぶりだね」

 涙は止まらなかった。涙腺の機能が、壊れているのかもしれなかった。


「だって、だってそんな……肇さんは……」


早野肇はやのはじめはたしかに死んだよ。でもこうして、帰ってこれた。君のところへ」

 私が中学に上がる前に逝ってしまった年上の幼馴染が、目の前に佇んでいた。


「座って、話そうか」と、肇さんが促す。

 中庭を向こうに見るガラスの前に据えられたベンチに、二人並んで腰かけた。


 早野肇――早野家の長男。浩二の兄。〈HIT〉の研究室で、母の助手をしていた肇さんは、私の憧れの……初めて恋した人だった。治せない病に倒れて、亡くなって――でも今、私の隣りで、生きている。


 脳死の状態で五年を過ごしたと、肇さんは話してくれた。五年の間にお母さんの研究が実って、人間大の電子頭脳の創造が実現し、新しい体を得て、戻ってこれたと。

 今は昔と同じ、〈HIT〉の研究員に復帰したと云った。


「肇さんは変わらないのに。私、大きくなっちゃった」

 彼の腕に頭を持たせかけたまま、私は貴子と浩二の姿を眼で追った。

 二人も今、こんな気持ちでいるのだろうか。

 私の視線の先に気づいたらしい。肇さんは悪かったと、繰り返した。


「浩二は、やり過ぎた。まさか、鳴海なるみさんの脳を半壊するなんて……」

 新しい身体を得られることを学んで、人の死に対するハードルが――などと肇さんは、研究者めいたことを呟き始めた。軽く袖を引いて、意識を引き戻した。


「鳴海さんの記憶はね、三分の一が失われた。記憶と人格を移し替えても――」


「まさか、あそこの女の子が――鳴海なの?」


「しばらく父さんは頭を抱えていたよ。新世代の電子頭脳開発は、葛城かつらぎ家の資金に依るところが大きいから。いったい、どう詫びたもんかってね」

 それでも結局、利害が優先されたと、肇さんは苦く笑った。大人の世界だなって思ったけど、私には――どうでもいい。


「中学以前の記憶しか保てなかった。記憶も精神の成長も、小学六年生あたりからやり直すしかない。それでも娘が還るならって、葛城さんは応じてくれたよ」


「そうなんだ……私と貴子と、知り合う前になってしまうのね」


「浩二ともね。まあそこは、そのほうが都合がいいか」

 もう何度目になるかも分からない口づけを交わす貴子と浩二を、幼い鳴海が不思議な顔で眺めていた。


「肇さんはからだ、年相応にはしなかったの?」

「そうしようかって話も、あったんだ。でも、あのときのままにした」

 すっと肇さんの腕が私の肩に伸びた。引き寄せられる。もっと大きかった気がするけど、私が育ったせいだろう。

「ほら、このほうが、釣り合いがいいだろう?」

 そう……なの? 肇さんも、そう、だったの……?

 はにかんで笑う肇さんを見て、顔が熱くなってきた。きっと真っ赤になっている。今だけ、そんな機能は無ければいいのにって、少しだけ願った。


「――肇さんが帰ってこれたのなら……お母さんも?」

 母は、研究所の事故で亡くなったと聞いていた。

 肇さんは、脳死状態で研究所に保管されていた。それなら、お母さんだって――


「研究熱心な人だからね。初期型の電子頭脳への記憶移植の被験者に、周防すおう博士は自分を選んだんだ」

 初めて聞く話だった。〈HIT〉の人は、何も教えてはくれなかった。

 てっきり死んでしまったとばかり――お葬式だって、出したのに。


「実験は成功、まだ巨大だった電子頭脳に博士の意識はすべて転送された。けれど、問題が起きた。肉体が、死んでしまった」

 身体を失ったと家族にも知らされなかったのは、企業秘密と国家安全保障のため、という理由だった。


「それなら、今ならお母さん、帰ってこれるでしょう?」

 私の言葉に、肇さんの顔がすっと曇る。苦い声をして、首を横に振った。


「周防博士は、身体を得ることを望まなかった」

「どうして……」

「――直接、訊いてみるかい?」

 私の問いに肇さんの手が、差し伸べられた。



    §


 研究所の地下深くまで、私ははじめさんに連れてこられた。

 大きなシリンダーや、大きな装置がたくさん並んだ部屋に通される。

 部屋の中央では、ホログラムディスプイが映し出した女性の像が、佇んでいた。

 周防奈津美すおうなつみ博士――白衣を羽織った、お母さんだった。


「久しぶりね、茉奈まな

 ホログラム像が話す声は、目覚めた部屋で聞いた人工音声に似ていた。

 でも、温かみがある。覚えがあった。


「本当に、お母さんなんだ……」


「そう、私はあなたの母親。周防奈津美。正確には、そうであったもの――」


「であった……て、違うの?」


「私はね、機械の中に長く居過ぎた。膨れ上がる知性と知識の容量は、人間大の電子頭脳には、収まりきらなくなったの。収まりきらない部分を機械に残して、戻ることはできる。でも研究者として、小さな器だけの自分になることは、選べなかった。私は、機械のままでいることを選んだの」


 ごめんね、戻れなくて――と、謝るけれど。

 らしくていいなって、私は思った。

 研究好きで、でもいつでも私のことを気遣ってくれて。

 肉体や姿かたちを失くしても、お母さんは、変わっていない。


「どんな姿をしていたって、お母さんは私の大事な家族だよ」

 モニターの向こうで、お母さんが微笑んだ気がした。


 私の頬に、温かいものが流れる。

 また、涙だ。


 生身の身体とは、違う仕組みなのかもしれない。

 そこまで難しいことは、私には分からない。

 でも、本物の感情が流すものだと、私には確信できた。


 それで、十分。


 私は嬉しかった。とてもとても、嬉しかった。

 貴子も、鳴海も、浩二も、私も、お母さんも――大好きな、肇さんも。

 

 センチメンタルなアンドロイドになったって、いいじゃない。

 みんなみんな、生きているんだ。

 みんなみんな、こうして、命を持って、還ってこれたのだから。


    <了>

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