第九十話 「弾劾のソルシエール」
ナイトフォールだけが持つ、意のままに人を操ることができる神の魔法。その名は《堕月夜》。
その魔法はナイトフォールであれば発動することは事実上可能であるが、発動条件は極めて厳しい。
現在、世界を掌握している最強の魔法使いのモーゼ・ナイトフォールですら、《堕月夜》の発動には未だ至っていない。いや、そもそも現代で発動されていたら、今頃世界は終末である。
この神の魔法《堕月夜》を500年前に発動させたのは、コレット・ナイトフォールというセレシアの先祖にあたる人物であるが、この事実をセレシアは知らない。知っているのはモーゼとレンドルート、それから少数の操魔族だけである。
モーゼは《堕月夜》の存在を知ってから、レンドルートと共に野望を抱いた。天敵である操魔族を絶滅させ、同じように《堕月夜》を退けられる同血のナイトフォールも殺していった。
レンドルートという名に変えて操魔族に接近したのは、自身がナイトフォールであることを隠すため。操魔族を利用して同血殺しを遂行していくため。あらゆる面で、レンドルートの思惑通りに事が運ばれていったのだ。
レンドルートは外敵の排除、モーゼは《堕月夜》の発動準備。二人三脚で歩み続けてきた彼らの野望は、今まさに王手を打とうとしていた。操魔族の里を突き止める寸前まで、レンドルートは迫っているのだ。
かつて人類を救い、今でも共存を願っている操魔族は、レンドルートの策略によって崩壊しかけている。そしてそれは、人類も欺かれていた。操魔族に対し、魔物を操って人を襲うという恐怖のレッテルを貼らせることにも、レンドルートは成功していたからだ。
「やっぱりあの日、操魔族を殺したのは間違いだったってこと…?」
地の精霊から操魔族の真実を聞かされた私は、ひどく戸惑っていた。震える声が、余計に私の心を揺さぶってくる。幾度となく押し寄せてくる葛藤。私はもうこの迷宮に閉じ込められて、一生出てくることができない気がしてきた。
「大丈夫。クレアは絶対に間違っていない。あの日僕たちはクレアに助けられたんだ。」
カイルからそう言われても、私は何も答えられなかった。本心から言ってくれていることは、もちろん分かっている。でも、あの日の私の覚悟は間違いなく、悪を制裁するという信念そのものだったのだ。それが実は悪ではなく、むしろ私たち人類にとっての敵を滅ぼそうという善意だったとしたら?
ただ、すれ違いはあった。カイルがナイトフォールだとしても、カイルがその洗脳魔法を行使して、人類を脅かそうとするとは到底思えない。私たちはカイルという人間がどれほどの優しさで出来上がっているかを知っているからそう言えるのだが、操魔族にとっては1人のナイトフォールに過ぎない。私が操魔族を一緒くたに考えていたのと同じように、操魔族にとってはカイルもセレシアもレイナも、同じナイトフォールとして見えてしまうのは正直、今の私なら理解できる。
「カイルはそんな魔法の存在も知らなかったのよね?」
「うん。」
「ねえ地の精霊。地の精霊の目から見て、カイルは500年前のナイトフォールに見える?」
「見えるわけがない。カイルからはナイトフォールの誇りというものを微塵も感じられん。むしろこの話を聞いて、自分がナイトフォールであることを後ろめたく思い始めたじゃろ?」
何かを見透かしたかのように、地の精霊がカイルを問い詰めた。
「全くそのとおりだよ。僕のせいでクレアやエリス、ポコポコ村のみんなに迷惑をかけた。それに、アースさんが火の精霊を失ったのも、辿ってしまえば僕がいたからだ。」
カイルからは見たこともない辛そうな表情が漂っていた。責任を感じているというよりも、自分が悪であることを認め始めているような、暗くて、重い表情だった。それでもカイルは、そのまま語を繋いだ。
「僕はもう、クレアたちとは行動できない。セティア村でアースさんと合流したら、今度こそ本当にお別れだ。」
「は?何言ってんの?」
「話は聞いていただろ?地の精霊が嘘を言うわけがない。僕がいなければ魔物に襲われる機会は減るんだ。力になれるどころか、足を引っ張るだけの疫病神なんだよ、僕は。」
「だから何?魔物は全部やっつければいいじゃない。私はもう、カイルにずっと守られていた頃の私じゃないのよ。それに、カイルは何も悪いことしてない。」
「ふふ、ごめんね。クレアならそう言ってくれると思ってた。」
「何よ…!まさか私を試したの!?」
「いいや…。エリスに拒絶されるのが怖くてね。その前に心の準備っていうか…」
カイルは話の途中で気恥ずかしくなってしまったのか、最後までそれを語らなかった。カイルがエリスを恐れているだなんて…。いや、それ以上にどこか可愛げな一面を見れたことに、私はなぜか嬉しくなっていた。カイルの重い表情も、次第に綻びが生まれ始める。
このまま取り返しのつかない話に引き摺り込まれていくのかと、私は内心ずっと思っていたけれど、カイルの緩んだ口元を見て、気づけば私は声を張って意気込んでいた。
「私決めた!カイルは悪者じゃないって操魔族に言いつける!そんでもって、操魔族とはもう戦わない!今度あったらちゃんと話ししたい!戦わずに済むなら、それが一番良いに決まってるよ!」
間違った常識を、私が全部叩き直してやる。人間も操魔族も、すれ違いで憎み合うなんてあってたまるか。そうだ。そうなるように仕向けた奴がこの世界のどこかにいるはずなんだ。モーゼ?レンドルート?レイナ?誰かは知らないけど、すべてを暴いて世界に知らしめてみせる。
「地の精霊!最後に一つ教えてくれるかしら!?」
「何じゃ?おぬしの情緒は山の天気よりも映り変わりやすいの。」
「山の天気って…。まあいいや、操魔族に神の魔法が効かないっていうのは分かったわ。でも、どうやって人間を救ったの?」
「それはのう…、ナイトフォールに仙呪を流し込んだんじゃ。」
「え?そんなんで神の魔法を解除できるの?」
「結果的にはそうなったんじゃが、正確にはそれで解除ができるわけではない。」
話がややこしくなりそうだ。これがエリス先生の授業だったら、今頃耳を塞ぎ込んで別の思考を巡らせていたことだろう。
「地の精霊…、できるだけ分かりやすく教えて…!」
「安心せい、そんなに難しい話ではない。よいか?操魔族の仙呪は邪な思いに敏感なんじゃ。まあ、邪と言っても多岐に渡るがの…。特に、罪の意識が高い者にこれは反応しやすい。」
「反応したらどうなるの…?」
「因果応報の選択に委ねられる。」
「はあ?」
因果応報の選択に委ねられる?何がそんなに難しい話ではないだ!早速意味が分からない!おちょくるのも良い加減にしろと、私がプンスカ文句を言いつけてやろうと思ったその矢先だった。カイルがボソッと、独語のように実例を取り上げた。
「もしかして、500年前にナイトフォールが自害していった理由っていうのは…。」
「そのとおりじゃ。クレアと違って賢いの。」
あ、そういえばカイルが前にそんなこと言ってたっけ。ある日突然、ナイトフォールが狂ったように自殺や無理心中をしていったって。
あとなんか、今地の精霊に凄く失礼なことを言われた気がしたけど、とりあえず聞かなかったことにしておこう。
「じゃあ仮に、私にその仙呪を流し込んだらどうなるの?」
「善人に仙呪を流し込んだところで、ただ魔力が増えたと実感する程度のことしか起こり得ん。」
「ふーん。なんかそれも洗脳に近い感じがするわね。でも、最初から仙呪を持っている操魔族はその影響を受けないのは何で?これも呪核に守られてるからってこと?」
「いや、呪核が拒絶できるのは純粋な魔力から生まれた魔法のみじゃ。じゃから当然、仙呪の影響は受けておる。」
「は!?それなら何で私たちを殺せるの!?」
「それが彼奴等にとって正義だからじゃ。クレアも操魔族を殺したのは正義じゃったろ?それと同じで、仙呪はあくまでも邪な思いに反応する。」
「え、待って…、じゃあ操魔族は体の構造から生まれつき罪を犯せないってこと?」
「う〜む…、まあその理解で概ね合っておる。」
「嘘でしょ…。それってもう、人間より善良な種族なんじゃない?」
「そうじゃの。もう何千年も前の遥か昔、最初に姿を現した操魔族は全ての人類に仙呪を流し込んだと言われておる。争いが絶えぬ無法の時代に、突如として現れたんじゃ。その結果、人類は罪を知り、法を知った。知性ある生物が、あるべき姿へと生まれ変わっていったんじゃ。その最初の操魔族は罪を暴く魔法使いとして、かつて人類からはこう呼ばれておった…。」
その最後の言葉を私たちが聞き逃さないよう、地の精霊はしっかりと一拍置いてきた。
「弾劾のソルシエールとな。」




