第八十三話 「仙呪と呪核」
私の捕まえてきた魔物を、ポラル君は怯えながらも手を振れた。
それは【マッドグリズリー】という中型の魔物で、とても大きな熊である。鋭い赤目と、獰猛な歯と爪が特徴的だ。《希望の煌紐》で捕らえた後、私とカイルでボコボコにしたから今は気絶している。
「《仙呪・傀儡印》…!」
ポラル君が何やら唱えた。一瞬微かに、魔物に触れているポラル君の手から紫色の光が滲み出たが、儚くして消えた。そっと魔物から手を離すポラル君。その表情は、とても険しかった。
「だめなの?」
「うん…。僕の呪力は他の子たちと比べてもかなり少ないって、里の人たちがみんな言ってた。」
落ち込んだ子供の表情は、見ててとても居た堪れない気持ちにさせられる。ポラル君は私と似た境遇にいるのだろうか。
「ねえねえ、呪力って何?魔力とは違うの?」
「同じじゃよ。」
私はアースに問い掛けたつもりだったのだが、答えは私の杖から発せられてきた。
「言い方が違うだけで、根本的なものは何も変わらない。こやつらの体内には呪核というものがあって、それで己の魔力を仙呪の力に変換させておる。つまりは、放出される力は別物じゃが、源の力は人間と同じということじゃよ。」
ふむふむ、なるほど。ということは、ポラル君は私と同じで元来の魔力量が少ないということだ。それなら解決方法はある。
「ポラル君。これを使ってみて。」
私はポケットから最後の魔力増幅薬を取り出し、ポラル君に手渡した。汚物でも受け取ってしまったかのような表情である。私はもう慣れてきたが、確かにこの魔力増幅薬は気色の悪い色をしていた。
「見た目は悪いけど大丈夫だから…。とにかく思いっきり噛んでみて。呪力が漲ってくるわよ。」
私は躊躇わずに言った。しかし、肝心なことが私の頭から抜けていた。一番大切なこと。私が身をもって体験している、あの激痛を。
「魔力の器は保証できてるの?」
エリスがそう口を挟んだ時には、ポラル君は魔力増幅薬を噛み砕いていた。私の言葉を信じて、ポラル君は一思いにその気色の悪い丸薬を噛んだのだ。
『あ…。』
「おぉぉ…!」
ポラル君の湧き上がる表情から見て、とりあえず魔力の増幅は成功したようだ。
「いける…!今ならいける気がするよ!」
自信に満ち溢れているところ悪いけど、いっちゃだめ。というか、ちょっと待ってほしい。私はポラル君に釘を刺してから、地の精霊に小声で相談した。
「このままさっきの魔法をポラル君にやらせて平気かな?」
「マッドグリズリーだとおそらくアウトじゃな。傀儡印は対象の魔物を、己の力が凌駕していなければならない仙呪じゃ。あの小僧にその力があるように見えるか?」
「見えないわね…。」
やってしまったと、私は心底思った。期待させておいて、その湧き上がる力を実感させておいて、やっぱりそれは使っちゃだめとは流石に酷であろう。軽々しく向けてしまった善意が、なんとも言い難い雰囲気を作り出した。
沈黙が続く中、ポラル君は早くやらせてくれと言わんばかりの眩しい眼差しを私に向けてくる。心がむず痒くなってくる。私はなんとか思考を巡らせ、一つの名案を思いつく。
「《治癒魔法》は?ポラル君をあらかじめ治癒魔法漬けにしておけばいいんじゃない?」
「無理じゃの。」
まさかの即答だった。
「どうして?」
「こやつらに《治癒魔法》は通用しない。操魔族の呪核はあらゆる魔法を拒絶するんじゃよ。」
「え?それって魔法では操魔族に太刀打ちできないってこと?」
「いや、そうではない。外傷なら話は別じゃ。呪核が拒絶できるのは内なる攻撃のみ。要するに、《治癒魔法》や《吸収魔法》、あとはウィルドの《影狼の闇牙》なども通じない。」
なるほど。現状は打つ手なしということか。こうなったら、もうちょっと弱そうな魔物を捕らえて来るしかない。私はポラル君に事情を説明し、仙呪の力の発動を我慢してもらうように促した。ポラル君は少し拗ねてしまい、私も申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ポラル君より弱い魔物、と言っても判断が難しい。しばらく私たちはポラル君を連れてデビルズ山脈を散策した。途中で現れた魔物をとっ捕まえては相談する。
「こいつなら小さいし大丈夫なんじゃない?」
「いや、こいつは【ニードルコンコン】と言って、可愛らしい見た目とは裏腹にかなり気性が荒い。怒ると毛先を硬質化させて飛ばしてくるよ。」
狐に似たそれは、実に恐ろしい魔物だった。私の《希望の煌紐》であまりにも簡単に捕らえられたものだから、弱い魔物と勘違いしてしまった。
「こいつなら流石に大丈夫なんじゃない?」
「いや、こいつは【ヌメリチョワーム】と言って、襲って来ないから危険というわけではない。体の粘膜からは猛毒が分泌されているから、触れるだけで死ぬよ。」
ミミズに似たそれは、実に恐ろしい魔物だった。私の腕くらいはある大きなミミズで気持ちが悪かったけれど、近づいても反応しないし、あまりにも鈍すぎるから弱い魔物と勘違いしてしまった。
「はぁ…はぁ…。こいつはどう…?」
気づけば私はヤケクソになっていた。ちなみに、全ての解説はカイルがやってくれている。
「うん。こいつは大人になると獰猛になるけど、子供の今なら極めて弱い魔物だよ。かなり成長速度が早い魔物だから、子供を捕まえられたのは幸運だね。」
なんか少し罪悪感はあるけれど、背に腹はかえられない。
「ふぅ〜…。地の精霊はどう思う?」
私は深く息を吐いて、ようやく訪れるであろう終わりに安堵した。
「ふむ。【スクスクスクワロル】の子供か。小僧には打ってつけかもな。じゃが、カイルの言うとおり、成長が早いから注意せんとすぐに傀儡印を打ち破られるぞ。」
栗鼠に似たそれは、とても愛くるしい魔物だった。私はその魔物を光の紐で縛り上げたまま、ポラル君に差し出した。
「よし!じゃあこの魔物で試してみて!」
「うん!わかった!」
無邪気な声が、私の疲れ切った心を癒してくる。ポラル君はその魔物の背中をそっと手で覆うと、静かに呪文を唱えた。
「《仙呪・傀儡印》…。」
マッドグリズリーで試した時とは明らかに違う。手の内側から漏れ出す紫色の光が、まるで炎のように揺らめき始めた。ポラル君がゆっくりと手を離しても、その炎のような揺らめきが途絶えることはなかった。
「できた…!」
そして、ようやく光が収束し終えると、スクスクスクワロルの背中に呪印が刻まれていることが確認できた。ポラル君からも胸の痛みが発症しているようには見えない。とにかく、無事試練達成と言って良いだろう。
その呪印の模様は、六芒星の真ん中に小さな三日月マークが描かれていた。これがあのオークやフェンリルにも刻まれていた呪印。いや、傀儡印か…。
「やったねポラル君!!」
「うん!お姉ちゃんのおかげだよ!ありがとう!」
ポラル君の満面の笑みに惹かれて、私は顔の横に手をかざす。すると、ポラル君は大きくジャンプをして、私の手のひらを思いっきり叩いた。
私の操魔族への印象が、次第にもつれ始めていく。




