第八十二話 「ポラル君」
デビルズ山脈での最初の休憩が終わり、少し歩き始めたところで、またも山が騒ぎ始めた。魔物がこちらに近寄ってくる気配。ドドドド…!と私たちの前方から、大きな地響きのような音が迫ってきていた。
「来たわね!今度は私に任せて!」
私はいち早く先頭に立って、それを待ち受ける態勢に入った。杖を構え、来る魔物に注意を払う。一体何が来るのだろうか。今のところこの山で遭遇した魔物は、でっかい蝙蝠、二足歩行の熊、やたら尖った嘴を持つ変な鳥。…その他諸々。どれも今の私なら一人でやれると思っていた。虚勢じゃなく、それなりの自信で。
「《治癒魔法》。」
別に怪我をしていたわけじゃない。魔力の器の小ささを地の精霊に打ち明けたら、なんと《治癒魔法》で補えばいいと、あっけらかんと言われたのである。だからこれでもう、私の力を引っ張る枷は、何一つありはしないのだ!いくぞ…、私の最大火力…、ん?
「うぎゃあああああああ!!!」
しかし目の前から迫ってくる魔物の群れと思わしき地響きの中に、何やら絶叫が混じっていた。私は怪訝な様子でそれを凝視した。
「……え!?子供!?ってか魔物多くない!?」
そこにはラナリーちゃんよりも小さい子供が、魔物の群れに追われていた。とんでもない全力疾走で、やはりこちらに向かって来ている。
「まずい!助けなきゃ!!えーっと…!」
私は繰り出す魔法に迷った。無闇やたらに魔法を放てば、目の前の子供を巻き添いにしてしまう。よって、思考が鈍り始める。すると、焦る私をあろうことか、ウィルドが律してきた。
「光の紐でガキをこっちに引っ張れ!」
「《希望の煌紐》!」
私は言われるがままに従った。素早く伸びていった光の紐がその子を捕らえ、私は力強く釣り上げた。
「次は壁だ!数が多すぎるからそれで一旦足止めしろ!」
「あーもう!《蓮巌・地厳障壁》!」
私は杖の先端を地面に着けて、咄嗟の蓮巌魔法を放った。私の目の前には大きな壁が隆起し、魔物の猛進をギリギリで防いだ。ドンドンドン!と壁の裏から衝撃音が響き渡っている。
「あっぶなーい…!」
私は袖で額の汗を拭いながら後ろに振り向いた。魔物に追いかけられていた子供は、アースが見事にキャッチしていたようである。とにかく、無事で何よりだった。
「離せ!離せ!」
アースの片手に収まっているその子は、手足をばたつかせて喚いていた。元気で活発で生意気そうだな、と私は思った。しかし、そんなことよりも、その子の装束にどこか見覚えがある気がした。
「ねえ、その子もしかして…。」
「ああ、操魔族の子だ…。」
アースはそう言って、その子をゆっくりと地面に下ろした。その子は足を着いた途端に思いの外大人しくなり、少し照れくさそうに私たちを警戒している。
よく見たら、やはり角があった。私が見た大人の操魔族とは違い、捻れてもいなければ、大きくもない。髪を伸ばせば隠せてしまいそうなほどだ。背丈はラナリーちゃんよりもやや小さく、腕はかなり細い。しかし、目付きの鋭さはラナリーちゃんにも負けていない。
名前は【ポラル】というらしい。なんとも可愛らしい響きだ。これが大人になると、あの禍々しい操魔族になると思うとゾッとする。いや、子供であろうと操魔族か。
「ポラル君は何で一人なの?」
相手が操魔族であることを忘れさせてくるような容姿だったため、なぜか私は親身になって問い掛けてしまっている。だが、ポラル君は私と目を合わせてはくれない。
「クレア!」
カイルが急に私の名を叫んだ。凄くびっくりした。一瞬、魔物が襲い掛かってきたのかと思った。けれど違った。操魔族と目を合わせてはいけない。私はそんな大事なことが、頭から抜けていたのだ。
「ごめん、言い忘れていた。エリスもラナリーも気をつけて。」
危うくまた乗っ取られるところだった。少し冷や汗が出たところで、ポラル君がようやく私の問いに答えた。
「今は試練中なんだ…。あと、僕に仙呪の力はまだない。」
仙呪の力とは、所謂操魔族特有の力のことであるらしい。ポラル君は今、その仙呪の力を得るための試練中なのだという。試しに試練内容を聞いてみると、意外にもスラスラと答えてくれた。たぶん、助けられたことに対するポラル君なりの誠意なのだろう。
ポラル君曰く、操魔族の里では8つになると里を追い出され、呪力を目覚めさせた後、魔物を一体以上従えて来なければ、里に戻ることは許されない掟なのだそう。
獅子は我が子を何とやら、というあれは本当にあったのか、と私は感心してしまう。
「私たち操魔族の里に行きたいんだけど、ポラル君の試練を手伝うからさ、私たちを招待してくれないかしら?」
我ながら名案だと思った。地の精霊のコネクションを使えなくなった今、穏便に事を運ぶならそれしかない。
「本当か!?この僕を手伝ってくれるのか!?」
ポラル君は想像以上の反応を示し、目をキラキラさせて私たちを眺めてきた。こんなに純粋で真っ直ぐな目、私は初めて見た気がする。眩しい、眩しすぎて、私の心が対照的に濁って見えてしまう…!
「もちろんだよ!じゃあまずは何をすればいい?」
「う〜ん、そうだなあ…。とりあえず魔物を1匹、生きたまま捕まえてくれないか?」
「ふふ。お安い御用ね。」
特にみんなの了承を得ないまま、私はポラル君の試練を手伝うことになった。アースは何故か静観しているが、カイルが近寄ってきて私に耳打ちしてきた。
「クレア…。あまり信用しすぎないように。」
「分かってるわ。とりあえず、今は私に任せて。」
壁の向こうにいるであろう魔物を1匹捕まえてくればいいだけ。今の私にとっては、簡単な話だ。私はみんなを置いて、壁の裏へと回り始めた。
「ちょっと待っててー!サクッと捕まえてすぐに戻ってくるから!」
「あ、ちょクレア!僕も一応ついて行くよ!」
クレアとカイルが一時的に輪から外れたところで、アースがポラルに話しかけた。
「おい坊主…。手なんか借りて平気なのか?これは試練なんだろ?」
「大丈夫だよ!試練の内容は魔物を一体従えること。それ以外にルールはないんだ!」
「そ、そうか。ならいいんだが…。それと、操魔族の里に俺たちを連れて行くという話は…」
「それも大丈夫!僕から【ゼネヴ様】に話してみるよ!」
実はアースは、初めての操魔族との対話で緊張していた。長い間追い続けていた操魔族との初接触が、こんな形になるとは思っていなかったのである。そんなぎこちのない会話の中、ポラルが何かを思い出したかのように、アースに忠告を入れた。
「あ、でも、僕の里に行ったら操魔族って呼び方はやめてね。大人はみんな嫌がるんだよ。」
「わ、分かった。肝に銘じておこう。では、何て呼べばいいんだ?」
「おじさんはそんなことも知らないの?名前を聞いて、名前で呼ぶんだよ。」
ポラルから発せられた矛盾混じりの言葉が、アースの心を穢した。しかし、それと同時に操魔族が実は人に近いのではないかと、考えさせられてしまう。
「そうだな。坊主の言う通りだ…。ところで、そのゼネヴ様ってのは誰なんだ?」
「長老様だよ!安心して。ゼネヴ様は優しいから!」
ポラルとの会話を通じて、アースが抱いていた操魔族への先入観が、次第に綻び始めていく。
「っんしょ!っんしょ!と…。」
クレアが光の紐で縛り上げた魔物を引き摺って戻ってきた。生け捕りにされた魔物には、たくさんのたんこぶが出来上がっている。
「ポラル君―!こんなのでいいかなー!?」
ポラルは目を輝かせてクレアに近づいていく。それに続いて、アースたちもポラルの背中を追いかけて行った。
「ありがとう!お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん!?」
ポラルの無垢な呼びかけに、クレアは鼻の下を伸ばし、照れ笑いが全面に出てしまっていた。




