第八十一話 「疑われる疫病神」
私は思い出した。あの夜、オークの軍勢が私たちに向けてきた悍ましい殺気。身の毛がよだつフェンリルの咆哮。あれは全て、カイルに向けられたものだというのか。
「ちょっと待ってアース!根拠は何?あの日は他の騎士団も大勢いたよ!」
「俺がアンベルたちを逃した時、レンドルートはこう言っていた。」
――まあいい、このクソ生意気な男だけは取り逃していないようだから約束は守ろう。あいつらじゃ今日の魔物には到底敵わない。
「まるでアンベルたちは眼中にない言い草だ。それに、俺が一度アークトリアへ戻った時、あいつはカイルの不在を気に留めていた。」
――いつもお前にくっ付いている犬はどうした?
「俺はあの時、口を滑らせたのかもしれない。カイルとは満月の日に合流すると、レンドルートに言ってしまったんだ。」
「え?じゃあ、その団長さんが操魔族に告げ口したってこと?でもそれだと話合わないんじゃない?だって、操魔族がテンラン山に来ることは、カイルがいてもいなくても決まってたことなんでしょ?」
「だから、それはさっき言ったはずだ。俺たちは、ミスリードされていたと。奴らの目的は月光草の根絶じゃない。つまり、テンラン山に誘き出されたのは俺たちってことだ。無論、レンドルートの手引きでな。」
だめだ。聞けば聞くほど、アースの推測が腑に落ちていってしまう。
「じゃ、じゃあ…!団長がアースの命を狙った理由は!?」
「カイルと俺を遠ざけるためだ。レイナも交えたあの戦いは、ただの足止め。まあ、レンドルートからは私怨を感じたから、俺を殺したいというのは別の意味でも本望だったと思うぞ。」
皆の視線が、カイルに戻っていく。しかし、カイルの表情は至って平然で焦る様子は見られなかった。
「カイル。思い当たる節はないか?」
アースが一通りの推論を述べ終えたところで、カイルに問いかけた。そうだった。最も肝心なところを忘れていた。なぜ、という部分はまだ未解決である。今となっては操魔族を殺した、という事実が理由に当て嵌まるかもしれないが、あの時点ではまだカイルは操魔族を殺していない。アースはきっと、これについても予測を立てているのだろう。
「僕は何も…。団長から恨みを買った覚えは一切ありません。」
「まあそうだろうな。俺も分からん。」
分からんのかい!あれだけ流暢に述べておきながら、動機が不明確なんじゃ話にならない。そうだ!カイルが狙われる理由なんて何もないじゃないか。こんなにも心優しい男の子が、そんな手の込んだ回りくどいやり方で、命を狙われているわけがない。
「だがカイル。お前は一つ、俺たちに何か隠していることがあるだろう?」
アースのその一言が、なぜか私を凍りつけた。どこかカイルを追い詰めるようなアースの冷たい口調が、私の心を締め付ける。何もない。何もない。私は何度もそう心の中で呟きながら、そっとカイルに視線を向けた。彼は俯いたまま、何も喋ろうとはしていなかった。
「言いたくないなら言わなくていい。別にお前が誰であろうと、志は同じだと思っているからな。」
「アースさんには全部お見通しですね。さすがです。けど別に、アースさんに隠したかったわけじゃないんです。ただ、言い出せなかった…。」
「なになになに!?何の話してるの!?」
私は場違いなテンションでアースとカイルを見比べた。すると、カイルはふっ、と微笑を浮かべながら私を見つめて、こう言った。
「クレア。僕の姓はナイトフォールなんだ。」
僅かな間が生まれた。衝撃と言えば衝撃だが、確かにカイルの姓は聞いたことがなかった。
「そ、そうなんだ!だから何!?カイルはカイルでしょ!?別に隠す必要なんてなかったんじゃない!?」
「そうだね。隠す必要なんてなかった。でも、アースさんに拾われて、アークトリア騎士団に入って、ナイトフォールは名乗れなかったんだよ。」
「レイナとかがそうだったから?」
「うん。モーゼ隊長と同じ姓だなんて、あの時の僕は口が裂けても言えなかった。」
静かに語られた真実を、すぐに受け止められたと言えば嘘になるが、だから本当に、何だというのだ。カイルがナイトフォールだと、今までの関係が破綻するのか?そんなことは断じてない。
「じゃあ何?操魔族とその怪しい団長はナイトフォールを狙っているっていうこと?」
エリスが訝しげな口調でそう言った。
「それは分からない。でも、仮にそうだとしたら、僕はとんでもない疫病神だね。」
「そうかもしれないって話をしているのに、どうしてそんなに悠長な態度でいられるの?あの日私たちは殺されかけて、クレアだって本当に危ない怪我をしたんだよ!?あなたのせい…」
「やめてエリス!!」
言ってはいけないことを、エリスが言おうとした。だから私は大声でそれを遮った。私は今、本気で怒りそうだ。大切な親友に、心の底から怒りをぶつけたくなってしまっている。
「それは言っちゃだめだよ…!」
それでも私は、なんとか怒りを抑え込んで、声を荒げずにそれだけ告げた。けれど、私の強い気迫は、エリスを圧倒していた。
「ご、ごめんなさい…。つい…」
私がエリスを黙らせるなんて初めてだった。きっとそれくらい、私にとって許せない発言だったんだと思う。気づけば、どうやら黙らせたのはエリスだけではなかったようだった。気まずい空気が、辺りを漂い始めた。
長い沈黙が、私たちを包む。そんな空気を打ち破ったのは、事を知らないラナリーちゃんの一言だった。
「んだよ!辛気くせえな!」
相変わらずの口の悪さはさておき、私はそれに救われたような気がした。
「と、とにかく!カイルは何も悪くないし、仮にアースの予想が当たってたとしても、私はカイルの味方だから!」
私は慌ただしい様子を取り繕ってそう言った。エリスも後に続いて、しっかりとカイルの目を見て謝罪をしていたし、この件は一旦終了、ということで私が無理矢理この場を締めた。
「はい、休憩終わり!次からは私も戦闘に参加するわ!」
「そうだな。全ては俺の憶測に過ぎない。」
私たちは再び歩みを進め始めた。すると、最後尾を歩くウィルドとラナリーちゃんが、小さな声で話し始めた。何を喋っているのかは、私には聞こえてこない。
「なあちびっ子?」
「あ?」
「あの二人は夫婦なんだろ?姓を知らないなんてあり得るのか?」
「何言ってんだおめえ?」
レンドルートの過去の発言を引用しましたが、引用先は以下です。
第十五話 「不穏な関係」
第二十三話 「芽生える自信」




