第六十八話 「バカとちびっ子」
倒れ込んでいるウィルドに、アースが剣先を向けている。
「運のいい奴め…!当てずっぽうの矢が…」
ウィルドは咳き込みながら傷跡に手を当て、痛みに悶えていた。
「やはりお前はバカだな。ラナリーアの矢が当てずっぽうなわけないだろう。さて…、見る限りお前のその傷はまだ治癒魔法で回復が間に合いそうだな。だが今、お前の命は俺たちが握っている。」
「殺す気か…?」
ウィルドは絶望に堕ちていく。
「それを決めるのは俺じゃない。」
アースが剣先をウィルドに向けて、反撃の余地を与えないよう睨みを利かせていると、後ろからラナリーが重い足取りでやってきた。
「ラナリーア。お前の好きにしろ。どんな選択を取ろうと、俺は関与しない。」
アースのその言葉を聞き受けたラナリーは、何も言わずにウィルドを見下した。悲しみにも憎しみにも見える、しかし情けも含んでいるような、そんな冷たい視線だった。
「頼む…!殺さないでくれ…!」
「師匠を返せ…。そんでもって、二度とエルヴァ村に近づかないと約束しろ!」
殺してやりたい。確かにウィルドと遭遇した時のラナリーの気持ちは紛れもなくそれだった。しかし、ラナリーも命を奪うことには躊躇いが生じ、それよりも大切なものを取り返すために、理性をコントロールしていた。
「分かった…!あの村にはもう二度と立ち入らない!」
そこで、ウィルドの言葉は止まった。苦しそうに悶えて、語を継ぐような姿勢は見られなかった。肝心のヴォルフ返還に対する回答が、まだ得られていない。
「師匠だ!お前が連れ去ったヴォルフ・ダンクレットを返せと言っている!」
もちろんながら、ラナリーにとってはそちらのほうが本命である。決死の形相で訴えたその叫びに、ウィルドはどこかやるせない想いが垣間見えるような、そんな暗い表情でラナリーにその残酷な事実を告げた。
「反逆者として連行されたあいつは、もう戻ってこれない…。」
「なんでだよ!!お前があれは嘘だったって言えば済む話だろ!?」
ラナリーが怒鳴るが、ウィルドの表情は変わらない。咄嗟に元アークトリアであるアースにも目を向けるが、ウィルドと同じように目を伏せていた。急に静まり返った空間に、ラナリーは驚く。すると、アースの口から小さく淡々と、アークトリアの実情が語られた。
「昔からアークトリアでは、支配下の村で摘発された犯罪者は、ルドルフが取り締まることになっているんだ。」
【ルドルフ・ライデンボーン】破魔魔法部隊序列2位にしてモーゼの右腕。魔法部隊創立以降、一度もその座を奪われたことがない。実力はモーゼに匹敵するほどで、14年前の大戦では【水の精霊】の使い手を葬った英雄として、今もなおアークトリアでは讃えられている。
「そのルドルフは14年前から過去に一度も反逆罪を放免したことがない。このバカがなんと言おうと、ルドルフは聞く耳を持たないだろうな。」
「じゃあ何だよ…?ルドルフをぶっ飛ばさない限り師匠は帰ってこないのか?」
ラナリーは精気を失ったかのような眼差しで、目の前に置かれた難題をアースに答えさせた。
「それが一番手っ取り早いな。もしくはアークトリアの牢からヴォルフを連れ去るか。」
ラナリーはルドルフという魔法使いが、いかに強力で凄惨な人物であるかを知っていた。それは、14年前の大戦でルドルフが討ち取った、【シルビア】という水の精霊の使い手が住んでいたのが、ラナリーと同じエルヴァ村の出身であるからだ。それゆえに、エルヴァ村の人間は皆、ルドルフに対して過度な恐怖心を抱いている。
アースの答えを受けてラナリーは迷った。仇を殺すべきなのか、それを果たすことで自分の気持ちは晴れるのか。その答えがでたのは、ウィルドが咳き込みと同時に、吐血をした瞬間だった。
「分かったもういい!魔法で回復できるんだろ!?さっさとしろよ!!」
アースはウィルドに向けていた剣先をそっと下ろした。
「ひ、《治癒魔法》…!」
少しずつではあるが、ウィルドの傷跡が塞がっていく。あまり練度の高い治癒魔法ではなかったため、内臓の完全修復はできなかった。止血と辛うじての鎮痛。それがウィルドの精々であった。
「命拾いしたなウィルド…。杖をよこせ。」
アースがそう言うと、ウィルドは泣く泣く杖を差し出した。すると、アースは何の躊躇いもなくその杖をへし折ろうとした。
「ま、待てよ!」
その行為を間一髪で止めたのは、まさかのラナリーだった。ウィルドでさえ、この状況ならば杖がへし折られることは覚悟していた。
「なぜだラナリーア?こいつは負けた。杖を持たせたまま逃がせば仕返ししてくるぞ。」
「そ、それはそうだけどよ…。」
ラナリー自身もなぜ、そのアースの行為を止めに入ったのか分からなかった。そして、脳裏に過った一つの理由を、ラナリーは考えなしに言い放った。
「こいつは利用する!」
「は?このバカが俺たちの言うことを聞いて動くわけないだろ。」
命を奪われなかっただけでなく、杖も折られない。思いがけない方向へと進もうとしている展開に、ウィルドの表情からはどことなく綻びが生じ始めていた。
「おいちびっ子…!一つだけなら言うことを聞いてやってもいいぞ。もちろん僕ができることに限るけどね。」
「嘘をつくなウィルド。」
「嘘じゃない。僕はこう見えてもちびっ子には優しいほうなんだ。」
嘘八百のウィルドを信用できないのは当然のことである。最後の一言も嘘だ。しかし、ラナリーの言うことを一つだけ聞くという発言だけは、少なからず本心であった。
「ちびっ子ちびっ子ってうっせぇんだよ!やっぱお前死ね!」
「え!?」
そして、次なる戦闘の舞台はカイル対シャルロッテ。数多の魔法で自身を強化するシャルロッテを前に、カイルは早くも苦戦を強いられていた。
シャルロッテの戦闘スタイルは敵の翻弄。足を強化させれば移動速度が速くなり、敵の攻撃を躱すことが容易になる。全身の肉体を強化させれば、刃を通さない鋼の肉体に成り代わる。聴覚や視覚を強化させれば、感知能力が格段に上がる。しかし、これらは乱用できる代物ではない。それは、カイルがこの短い戦闘の最中で見つけた、唯一の欠点であった。
「動きが早すぎて捉えられない…。」
カイルの速さも相当なものではあるが、足強化シャルロッテに追いつくことはできない。ちょこまかと空間を駆け回り、カイルの疲労を誘っていく。そして、シャルロッテに背後を取られた瞬間、強烈な魔法がカイルを襲った。衝撃波で吹き飛ばされたカイルは、石壁に強く打ちつけられた。
「まだ立ち上がるのね。」
打たれ強いカイルは難なく立ち上がる。しかし、嘗てないほどの強敵を相手にしていると、カイルはこの時強く実感していた。一旦攻撃の手を止めて、受けの体勢に入る。攻め続けても埒があかないこと、シャルロッテの術中に嵌まっていることを自覚し始めたのだ。
互いに見合い始める状況で、ようやくセレシアが合流してきた。そもそも戦闘に乗り気ではないセレシアからは、急いできた様子が一切伺えない。
「まだ終わってないの?早くやっつけちゃってよ!」
他力本願のセレシアに耳を貸さないカイルは、集中力が途切れないよう剣を握り直した。2人の間に生まれていた緊張感に水を差すような登場に、シャルロッテは少しだけ気が緩み、強化魔法を解除してしまった。
「あら?お仲間さんが来ちゃった。まあゼフィロじゃなければ私の相手じゃないわ。」
その瞬間に、カイルがフェイントを仕掛ける。十分な殺気をシャルロッテに放ちながら、一歩踏み込んで止まった。それに反射的に反応してしまったシャルロッテは、思わず魔法を放ってしまう。
防御魔法の展開だった。カイルはその瞬間を見逃さず、シールドの張られていないシャルロッテの側面へと、素早く走り出した。




