第六十一話 「老人の性」
カイルは焦っていた。力を込めてもピクリともしない。目線を動かすことも、声を発することもできない。意識だけがただそこにある。得体の知れない感覚に見舞われたカイルは、闇雲にこの魔法を解こうとしていた。
「今のうちにやっちゃって!無詠唱だから長くは保たないよ!」
カイルを魔法で拘束した術者、シャルロッテが叫ぶ。その声だけが耳に届いたカイルは窮地を悟る。クロムが立ち上がる姿が、硬直するカイルの視界の片隅にひっそりと映った。
「させん!」
レイナと応戦していたはずのゼフィロが急遽矛先を変える。ピンチに陥ったカイルを救うため、杖をクロムに向け直し、発動の早さと攻撃の速さに長けた《迅嵐・雷撃閃》を放とうとしていた。しかし、それよりも一瞬だけ早く、レイナの十八番魔法が繰り出されてしまう。
「《煌々の千本矢》!」
側面からはレイナの光の矢が迫り、杖の先にはクロムがいる。ゼフィロはこの刹那で、意味もなく思考を巡らせる。《煌々の千本矢》を防ぐために《防御魔法》を展開すれば、援護が間に合わずカイルが斬られてしまう。かといって《迅嵐・雷撃閃》をクロムに向かって放てば、自分に光の矢が突き刺さってしまう。しかし、ゼフィロの思考はそんな単純な天秤の上にはいなかった。
(儂も歳を取ったのう…。自分を犠牲にして昨日会ったばかりの小僧を助けてやるなんて。)
ゼフィロは被弾を覚悟し、《迅嵐・雷撃閃》をクロムに向かって解き放つ。《煌々の千本矢》の威力を甘んじていたわけでもなければ、被弾後の策を何か考えていたわけでもない。歳を取ると、若き新芽を見捨てることができなくなるという、ただの老人の性である。
「《迅嵐・雷撃閃》!」
ゼフィロの杖の先端から稲妻が一直線に伸びる。一瞬でも反応が遅れれば対処はできない凄まじいスピードの雷撃がクロムを襲う。それと同時に、光の矢が今まさにゼフィロに直撃しようとしていた。
「《防御魔法》!!」
覚悟を決めていたゼフィロの側面に、突如防御魔法が展開される。ゼフィロの意思ではない第三者が展開した六角形のシールドが、光の矢からゼフィロを守った。《迅嵐・雷撃閃》をまともに喰らったクロムは体が焦げて、口からは煙が出ている。紛れもない致命傷だ。しかし、ゼフィロは無傷でそこに立っている。レイナは唇を噛み締めて、《防御魔法》を放った術者の名前を吐き捨てた。
「セレシア…!」
「レイナちゃーん!今の場面はあの男を助けるべきだったと思うわよ?ジジイかあの剣士さんどちらかを仕留められたチャンスだったのかもしれないけど、私の存在が頭から離れているようじゃあまだまだ甘々ね!」
セレシアが煽るように正解を叩きつける。レイナはその言葉に何も言い返すことができず、ただ頭に血が上った。これで、戦況は完全にゼフィロ側に傾いた。黒焦げのクロムは床に伸びて動かない。カイルに掛けられていた《裁きの痺咒縛》もようやく解かれた。アークトリア戦力1人脱落の時である。
「たまには仕事するんじゃな。」
セレシアに助けられたゼフィロはなぜか礼を述べずに上から目線で言う。この2人の関係では、素直な感謝が返って擽ったくなってしまう。だから、ゼフィロは素直にならないし、セレシアも別に感謝を求めたりはしない。
「貸し一つよ。早くレイナちゃんやっつけちゃって。」
勝負に一つの節目を迎えたからなのか、お互いに見合って攻撃を仕掛けない。少し離れたところで固まっていたカイルが、ゼフィロの下へと戻ってくる。
「助かりました。ありがとうございます。」
「ほっほっほ。《裁きの痺咒縛》は強力すぎるがゆえに魔力の消費も激しい。おそらくじゃが、シャルロッテはもうすぐ魔力切れを引き起こすじゃろう。」
第二幕の開戦が刻々と迫る中、突然地下遺跡に異変が訪れた。地面が揺れ始め、天井の脆くなった部分から瓦礫が落ちる。その揺れの強さはどんどん強くなっていき、最初は小さな瓦礫の落下に留まっていたが、大きな衝撃音とともに石畳が大きく割れた。
「何じゃ!?」
その場にいる全員が驚き、辺りに目を配らせる。事態を飲み込むのに数秒かかってしまったが、冷静に考えてみれば地震を起こせる者などこの地下遺跡には一体しかいない。
「来たね。地の精霊…!」
ボロボロと崩れ始める空間で、レイナが笑った。その地震が治まった頃には、3つあった通路は全て瓦礫に塞がれて、6人は閉じ込められてしまっていた。大きな地響きの直後に訪れた空気は、一瞬の静寂である。辺りを見回しても、地の精霊の姿はない。
「地の精霊は!?」
レイナが叫ぶ。地震の正体が地の精霊であることは歴然であるが、肝心の術者がこの空間にいない。ゼフィロとセレシアは声を発しないが、不思議そうな面持ちで辺りを見回している。平面だったはずの床は、大きな割れ目や瓦礫が散らばっていたが、倒れていたクロムが下敷きになることはなかった。
第二幕の開戦を襲った地震。互いの目標対象がすぐ近くにいることで、レイナとゼフィロの争いは熾烈を要していくこととなる。
「まあいいや。地の精霊がいることは間違いなさそうね。」
この状況で闘いを続行すると考えていなかったゼフィロは、突如詠唱に移行したレイナに唖然とする。詠唱は強大な魔法を放つために必要となるが、戦闘の最中では隙を見せることになるため、陽動や援護が必須になる。しかし、ゼフィロの注意が今この状況に向けられていたことで、レイナが詠唱に入っていることに気付いたのは、一節目を唱え終えた時であった。
「修羅は浄化、邪鬼は権化。魂を喰らい、腹を満たす焔の化身。光明を閉ざし、彼岸を散らせ。いでよ!獄卒の蹂躙者!――《滅焔・業火羅刹》!」
レイナが杖を天井に掲げながら詠唱を終えた。すると、赤黒い炎が悪魔のような形を成して、レイナの前に現れる。大きさは人間と同程度で、頭があって四肢もある。目の部分だけが白く光り、まるで、魔法によって新たな生命が誕生させられたかのようであった。ゼフィロの額から、遂に冷や汗が流れ落ちる。
「何じゃあれは?ちとやばそうじゃな…。」
「この闘いを制したほうが地の精霊を制す。わかりやすくていいじゃない?…さあ来なさいゼフィロ。」
レイナが強気にゼフィロを誘う。しかし、ゼフィロは業火羅刹を初めて見る。それはレイナの指示のみで動く人形なのか、それとも独立した一つの戦力として数えるべきなのか、全く未知の魔法であった。そして、レイナの勝算はこの業火羅刹に全てが託されている。
「小僧はシャルロッテを頼む。無理はせんでいい。あいつは器用なやつじゃから、慎重に足止めしていていれば良い。セレシア!お前も援護してやれ。儂はちょっとばかし本気になる必要がありそうじゃ…。」
「分かりました。」
カイルはゼフィロの指示に忠実に従うが、セレシアはしょうがないなあと言って、まんざらでもない態度でカイルの後ろに付いた。そして、閉ざされた空間の中で、世界に名を馳せる大魔法使い同士の闘いが、再び始まってしまった。
一方、同じ地下遺跡にはいるものの、別の部屋にいたクレアたちも先程の地震にはもちろん気付いていた。しかし、クレアたちがいた場所は被害が少なく、天井の隙間から砂がこぼれ落ちてくる程度だった。
「向こうの方から凄い轟音が聞こえてきたけど…、もしかしてカイルたちがレイナとやり合ってるのかな!?それとも今の地震は地の精霊の仕業?」
私は今起きた地震の原因を適当に予想して、みんなに問いかけてみた。すると、ラナリーちゃんが特に何か考えている様子もなく、私たちのこれからの行動を促してきた。
「知らねーけどさ、とりあえず向かったほうがいいんじゃねーの?レイナも地の精霊もオレたちの目的なんだからよ。」
まあ、そのとおりではある。私たちは駆け足になって、来た道を戻って行った。




