第五十二話 「栞に想いを込めて」
私たちの作戦は失敗した。ヴォルフさんの救出は愚か、ウィルドにも逃げられてしまった。加えて、顔も認識された。静かな森の中で、私たちは結界魔法に閉じ込められている。
「この結界はいつ解けるの?」
「術者が離れれば効力が弱まる。しばらく経てば壊せるだろう。」
アースが私たちを呼び寄せた理由は結界の外で孤立してしまうからである。そうなれば、ウィルドに間違いなく捕縛されていただろう。滅焔魔法を使えない今、結界を壊す術はない。結界の内側には私たちの他に、騎士団員も大勢いる。幸いにも、命を落としたものはいなかった。ウィルドは私たちを閉じ込めると、高笑いをしながらその場を去っていった。おそらく、アースには勝てないと見込んでの逃走、もしくは魔力の枯渇と思われる。
「最悪の結末だ。」
ラナリーちゃんは自分を責め続け、拳を何度も地面に叩きつけていた。背中に優しく手を当てると、今度は顔を隠して泣きじゃくる。その少女の泣き声に呼応して、私の心も締め付けられた。その感情は、たぶん同情。大切な人を奪われる辛さを、私は知らない。けれど、寄り添えないわけじゃない。
「私たちと一緒にヴォルフさんを助けに行こう。すぐにって訳にはいかないと思うけど。」
チラッとアースに視線を送る。その時の私の瞳はきっと、ラナリーちゃんの想いを乗せていたと思う。
「ヴォルフには到底敵わないが、それでもお前の矢は戦力になり得る。志があるならついてくるといい。」
誰一人として失態を責めることはなかった。気持ちが先走ることはよくある。私だって同じことを何度もやってきた。それでも受け止めて、前に進むしかない。
「もう…誰も失いたくない…!」
涙を拭って立ち上がる。赤みが残る少女の瞳には、間違いなく私たちと同じ志が宿っていた。
大きな月が闇夜を照らすエルヴァ村。エリスは村の入り口で私たちの帰りをずっと待ち続けていた。ヴォルフさんはいない。事の顛末をどのように切り出そうか全員が迷っていた時、エリスが先に声を発した。
「おかえり。ヴォルフさんのおうちを借りてご飯の準備をしておいたの。今はとりあえず帰りましょ。」
目線を合わせられない私たちの表情を見たことで全てを悟り、結果を敢えて尋ねてくることはなかった。暗い夜道で視線を落として歩く私たちは、ヴォルフさんの家に着くまで、一言も交わすことはなかった。
作戦の失敗。全てが裏目になってしまったが、得られたものもあった。それは、レイナの行方である。結界に閉じ込められていた時、共にいた騎士団から情報を聞き入れることができた。レクト樹海の中央に位置する遺跡に向かっているというレイナを、私たちはこれから追うことになる。そして、ウィルドもおそらく単体でその遺跡に向かったと思われる。しかし、なぜそんな危険な場所に向かっているかまでは知らなかったようだ。
「レクト樹海は極めて危険だ。エリスはまた残ったほうがいい。」
「勘弁してよね。私だってただ待っていた訳じゃないのよ。」
流石にまた待たされることは懲り懲りなようだ。何やらよからぬ兵器を開発したようで、さぞ自信ありげな態度を私たちに示す。もちろんエリスに危険な目にはあって欲しくないが、エリスも仲間である。私からも同行をお願いすると、アースは渋々了承してくれた。
「レクト樹海はオレも師匠と何度か足を踏み入れたことがある。あそこは本当に魔物の巣窟だ。特にテングに追われた時は死ぬかと思ったぜ。」
テングはたくさん生息しているようだが、群れを成して行動することは絶対にないという。アースは私に《防御魔法》の習得を急ぐよう求めてきた。出発は明日。すぐに追いかけなければならないところではあるが、レクト樹海は広大で、遺跡に到着するには2日ほど掛かるという。これは障害を考慮しない場合の予想であるから、レイナもしばらくは留まると判断したようだ。アースもそこには訪れたことがないようで、地図を昔見たことがある程度の土地勘らしい。
「ラナリーちゃんもこれからよろしくね!」
「だからちゃんを付けるな!!」
なんだか妹ができたような感覚だ。口は悪いけど可愛げが間違いなく残っている。それでいて強い。少し私に似ている行動を起こしがちだが、それも含めて私は好きだ。揶揄うと必ず反発してくるところも愛くるしい。しかし、この後歳を聞いたら、私とそんなに変わらないことに物凄く驚いた。背の低さと童顔はコンプレックスであるらしい。親しみを込めて呼んでいたつもりだが、癪に触るならやめておこう。されて嫌なことはするなって、ミリーゼさんが散々言っていたな。ん?でも私は別にクレアちゃんと呼ばれることに嫌気はないからこれには当てはまらないぞ。
翌朝。ヴォルフさんの家をお借りして一夜を過ごした私たちは、いよいよレクト樹海に向けて出発しようとしていた。ラナリーちゃんという新たな仲間を迎えて。しかし、私たちが歩み始めたにも関わらず、ラナリーちゃんはその場で足を止めている。
「悪い。先に行っていてくれ。別れを言わなきゃいけない奴がいるんだ。」
それだけ言って去っていった。先に行けと言われたが、私たちはラナリーちゃんが戻るまで村の入り口で待つことにした。新たな一歩は共にしたほうがいい。
大きな木の下で読書に励む少年。朝日を遮りながら、静かにページを捲っていく。その時、小さな風が通り抜けた。栞が風に飛ばされ、顔を上げる。目の前には、栞を掴んだ少女が一人。髪を揺らし、優しく微笑む。
「やっぱここか。」
「ここに来るなんて何年ぶりかな?」
少年も、小さく微笑んだ。
「別れを言いに来た。しばらくこの村を出ることになったんだ。」
「うん。ヴォルフさんを助けにいくんでしょ?」
少女の気持ちは少年にはお見通しであった。親友。それはある一つの垣根を超えたかけがえのない関係である。
「一人にするのは危なっかしいから僕もついて行きたいところだけど。きっと大丈夫だろうね。」
「当たり前だろ。それに一人じゃねーんだ。ついでにお前の父ちゃんも助けて来てやるよ!」
「ついでは余計だよ。でもありがとう。」
少年はようやく立ち上がった。少女は手にした栞を差し返す。しかし、少年はそれを拒んだ。たった一枚の栞に、想いを詰め込む。
「僕にはできないことをいつもやってのける。きっとまた、驚かされるんだろうな。」
栞を受け取った少女は、思わず親友を見つめる。
「これが最後ってわけじゃねー。また戻ってくるからな。」
「うん。待っているよ。」
少年と少女の別れに涙はいらなかった。満面の笑みで、最後の言葉を交わし合う。
「じゃあな。ユークス。」
「気をつけてね。ラナリー。」




