第三十三話 「共鳴する」
リゲルが息絶えたことでフェンリルに刻まれた呪印の効力が消え失せた。クレアとカイルはここからが本当の戦いであることに身構える。
「来るぞクレア…!今までとは訳が違うと思ってくれ!」
「うん…。」
そして、フェンリルの本能が爆発する。目にも止まらぬとんでもないスピードで私たちに飛びかかってきた。
「ガウッ!!」
異常な速さではあったが、踏み込み始めた距離がまだ遠かったことで私とカイルは両サイドに回避することができた。フェンリルを挟み込むような形になり、私は冷静に次の手を練る。標的がどちらに定まるのかに意識を集中させた。私とカイル、どちらを攻撃しようとしても打つ手は考えてある。
そして、フェンリルは鋭い眼光で私を睨みつけるとともにと尖った牙を剥き出して威嚇してきた。
(私って訳ね…。)
再び素早い突進が私に襲いかかってきた。私は適切な判断で今度は華麗に回避してみせた。
「《希望の煌紐》緊急離脱!!!」
私は初撃を躱した直後からすでに長い《希望の煌紐》を私の杖と辺りに隆起している岩一本とを結んでいた。【《希望の煌紐》緊急離脱】とは、光の紐の収縮を利用して、結び目の先へと私を引っ張る新魔法だ。杖にしがみつきながら、超低空飛行でフェンリルの攻撃を回避する。しかし、初めての試みのせいで着地を考えていなかった。
「ちょっと待って!これどうやって止まるの!?」
収縮をやめたが、慣性の法則に従ってクレアは結び目である岩に直撃した。岩は意外にも硬く、大きなたんこぶが出来上がってしまう。
「イタタタ…。速すぎるのはダメね…。」
クレアの突拍子な行動にカイルは驚きと呆れが隠せない。そして、フェンリルの猛攻は続く。
「…やばい、クレア!次が来るぞ!」
私は頭を抑えながら、フェンリルに目を向ける。すると、口を大きく広げ始める姿が飛び込んできた。私はそれを光線であると思い込んで、《希望の煌紐》を放った。しかし、フェンリルは口を縛られた状態にも関わらず、お構いなしに私へ突進してきた。
「嘘でしょ!?《希望の煌紐》緊急離脱!!!」
クレアは緊急離脱で回避するが、またしても岩に直撃してしまう。二つ目のたんこぶが出来上がる。
「イッッタアアアアアア!!!」
ピンボールのように踊るクレアがふざけているようにしか見えないカイルはキツく叱責した。
「何やってるんだ!そんな危ない回避を続けていたらいつか脳天かち割れるぞ!」
「分かってるわよ!!《光輪分断》!」
フェンリルの口を縛り上げていた光の紐が締め付けられていく。必死に抵抗する力と私との力比べが始まった。
「くっ…!なんて力なの。開く力も強いなんて反則じゃない…。」
《光輪分断》は一撃で放つ魔法と違い、徐々に胸の痛みが増していく。フェンリルの膂力は異常ではあるが、今のクレアの魔力を以ってすれば《光輪分断》を完遂させることは可能である。クレアの忍耐力が試される場面ではあるが…
「やっぱ無理!!カイル今のうちにお願い!」
「もうやってる!」
カイルは突き出した岩を踏み台にして高く飛び上がっていた。そして、フェンリルと同じ目線の高さからから盛大に剣を振り下ろしいく。
「アォォォォン…!」
ザクっと胴体を切り裂いたことでフェンリルは遂に大きな悲鳴をあげた。
「よし!効いてる!」
しかし、フェンリルは怯んだ直後に暴れ出した。生命力と闘争心もまた、異常である。
この時カイルは決して追撃を仕掛けることなくすぐに引いていた。フェンリルから一撃でも喰らえば致命傷が確定する。一度の判断ミスも許されない状況に、カイルはいつも以上に慎重になっていた。
「グルルルルルル…。」
フェンリルの標的がカイルへと移り変わる。鼓膜に響く低音の唸り声が、どことなく疲れを表しているようにも見えた。
「なんだ?様子がおかしくないか?」
「きっとカイルが今まで与えてきたダメージも効いているのよ!」
呪印によって操作されていた時は痛みや疲れがシャットアウトされていたが、それが今になって押し寄せてきた、といったところだろうか。少なくとも、万全な状態からのスタートではないことは確かだ。
「このままいけば勝てる!慎重にいこう!クレア、もう一度《光輪分断》を頼めるか!?」
「無茶言ってくれるね…!《光輪分断》!」
再び光の紐がフェンリルに向かって飛んでいくが、驚くべきことに今度はそれを拒否してきた。フェンリルの目の前で軌道が変化し、口を縛り上げようと円を描こうとした瞬間に噛みちぎられてしまったのである。
「そりゃあ、そう何度もやらせてくれないよね…。」
私たちに同じ手が通用しないように、フェンリルにも同じ手が通用しなくなってきていた。しかし、《希望の煌紐》の真のポテンシャルはこれからである。
「カイル!今思いついた私史上最強の魔法でフェンリルの動きを止めてみせる!だからそれまで逃げて!」
「ふっ…、頼りにしているよ。」
フェンリルの標的がカイルに移り変わったことで、私はこれから繰り出す魔法に意識を向けることができた。だが、カイルの状況は決して油断ならないものであった。迫り来る爪や牙を紙一重で躱している。まるで、細い糸の上を歩くかのような動きだ。モタモタしていたら、いずれ攻撃は当たってしまう。
カイルなら大丈夫。信じろ。私はそう自分に言い聞かせて息を整えていく。目を閉じ、両手で握りしめる杖に意識を集中させた。私ならできる。大きく息を吸い込み、そして…自分の力を信じてイメージを膨らませた。
「崇高なる天域の英断よ。無垢なる光で天糸を紡げ。永遠の螺旋、強剛の螺旋、絶え間なく輝く織物となれ。絡め、絡め、絡め取れ!今ここに、天使の操演を!」
大袈裟な詠唱とともに放たれた魔法はただの《希望の煌紐》である。ただし、その数はやけに多い。宙をヒラヒラと舞う光の紐が次々とフェンリルの首、胴、四肢、そして尻尾、各部位に何本も結びついてゆく。そして…
「さあ!もうこれで決めさせて!《聖天域の束縛》!!!」
空中で揺らめいていた《希望の煌紐》の片端が周りの岩や木へ向かって、物凄い速さで一斉に掴みにいった。全方位から引っ張られる力にフェンリルはただ踏ん張ることしかできない。その一本一本がピーンと張り詰めて、気づけばフェンリルの身動きを完全に封じ込めていた。
「あとは任せたよカイル!」
思いもしなかった大魔法に一瞬だけ目を奪われる。カイルは誰にも聞こえない小さな声で本音を漏らしていた。
「君がいなかったらきっと全滅していただろうね。正直ここまでできるとは思っていなかったよ。」
カイルは握りしめる剣にクレアの想いを詰め込んだ。栄光への確信が、不適な笑みとして滲み出る。そして、大きく旋回しながらフェンリルの前方へと走り出した。
(カイル…?どこへ走っているの?)
地を蹴り続けるカイルの足は、ついにトップスピードに達した。風を切るその速さのまま、小さなジャンプを一回。次にカイルの足を支えたのは、クレアが作り出した《聖天域の束縛》の上であった。
一歩、二歩、そして三歩。フェンリルへと繋がる光の一本道を駆け上がる。五歩目で踏み付けたフェンリルの首元で、カイルは垂直に飛び上がった。雁字搦めになった幻獣の姿を、天空から見下す。
「これで終わりだ。僕たちの勝利といこう。」
杖に込めた想い、剣に込めた想い。二人の想いが今、共鳴する。
『いっっっけえええええ!!!!!』




