第二十九話 「火の精霊、魂の叫び」*
「こっちは終わりね。」
レイナは勝ち誇った余裕な表情を見せていた。《煌々の千本矢》をまともに喰らった火の精霊はその場で倒れている。
「おいクソババア…。まだ終わってねーよ。」
ゆっくりと起き上がり始める火の精霊だが、体はボロボロでとてもじゃないが無事とは言えない。
「クソババ…!?」
火の精霊の暴言に頭に血が上るレイナ。歯をガタガタさせながら今にも怒りが爆発しそうだが、レイナの性癖にぶっ刺さるその容姿のせいで、理性がそれを抑止する。
レイナは怒りを抑えて、静かに火の精霊の元へと歩み寄る。
「ねえ。やっぱり私に着いてこない?このままだと、あなたもあそこの騎士さんも死んじゃうよ。」
「あいつは負けねーし、俺も負けない…。」
「ちょっと勘弁して。今の状況分かってんの?」
火の精霊の精一杯の強がりに嘲笑がこぼれる。
ちなみに、精霊に本当の死はない。肉体が滅べば魂だけとなり、長い月日を経て、やがて新たな肉体へと生まれ変わる。
「本当にいいのね?」
精霊を欲しがっていると同時に、可愛い男児にトドメを刺すことはレイナにとっては苦痛である。それゆえに、躊躇いも生じる。
そして、激戦を繰り広げているアースとレンドルートもこの勝敗の行方は察知していた。火の精霊の敗北…、すなわちアースの敗北でもある。
(やばい…!このレンドルートを一瞬で倒し切れるか?)
アースはレンドルートを一か八かの速攻で倒すことによって、この後のレイナ戦を1対1に持ち込むしか勝ち筋がないことを瞬時に悟った。しかし、火の精霊を見捨てる選択に嫌気が差す。
(いや待て…。火の精霊を一旦剣に戻すか?)
アースの思考は目まぐるしく回転する。
(防御に徹すれば、数分は耐えられる。火の精霊の回復を待って立て直せば…)
策を錬るアースではあったが、その思考が剣を鈍らせていた。目の前にいるのは、アークトリア騎士団団長レンドルート・ファイスターである。
迷いが生じたその隙を、レンドルートが見逃すはずがない。一瞬の隙を見切った力強い一振りがアースの剣とぶつかり合った。しっかりと力負けをしてしまったアースの足はもたついて、大きくよろめく。
「ぐっ…!!」
その姿に、レンドルートは次の一振りが必ず届くことを確信した。アースを見下すその瞳は、紛れもなく人を殺すそれである。
「死ね…。」
絶体絶命にも関わらず、アースはこの刹那でピンチを逆手に取った勝利までの道筋を描き始めていた。
(これは防げない…。だが、お前は必ず左肩に剣を振り下ろす。フハハ、これで決めようじゃないか…!)
そして、レンドルートの剣はアースの予想通り左肩に振り下ろされた。肩を保護しているプレートは打ち砕かれ、深くまでその剣がアースに入り込む。常人であればこの時点で生死の境目ではあるが、この男は常人ではない。アースの鍛えられた筋肉が、その刃を心臓の手前で食い止めた。上目で睨め付けてくるアースの目に、レンドルートはゾッとした。
「お前…、まさか!?」
捨て身の反撃に出る。斬られる直前からアースは大剣を左手で握り直していたのだ。空いた右手はどうなっていたか。そう、渾身の力を宿した握り拳となり、レンドルートの顔面を凹ませるほどのフルパワーで殴ったのである。
「どぅおらああああああああああ!!!」
人のパンチとは思えないその威力に、レンドルートはひどく吹っ飛ばされた。頭蓋骨まで間違いなく砕かれているだろう。相打ちに見えた瞬間ではあったが、アースが描いていた勝利への道筋はここからが本番である。
「火の精霊!!剣に戻れ!!!!!」
その場を震撼させるほどの大きな声であった。あまりの声量に遠くにいたレイナがビクつく。火の精霊はすかさず赤い光に変化し、アースの剣に戻っていく。それを目で追ったレイナの先には、すでに大剣を大きく振りかぶって構えるアースの姿が飛び込んできた。
火の精霊が戻った瞬間、アースの大剣に炎の渦が巻き始める。メラメラと滾るアースの底知れぬ闘志に、レイナは恐怖を感じ始めた。
「ちょ、ちょっと待って!!」
そして、アースは残された全ての力を解き放った。
「《滅焔奥義・火竜点睛》!」
アースの思念が炎を生み出し、龍の形へと変化する。空気を歪ませるほどの超高温を纏ったその龍は、地上を這ってレイナに襲いかかった。
「ちょちょちょ…、《深海結界》!」
レイナが咄嗟に放った魔法は全身を覆う水の結界である。しかし、アースの火龍は姿を変えることなくその結界を貫通していく。その後、火龍は天高く舞い上がり消えていった…。
極限状態で放った滅焔魔法の反動は大きく、アースは前に倒れ込んでしまう。レンドルートに斬られた傷は致命傷であり、肺にまで届いていた。出血多量に加えて呼吸もままならない。意識が徐々に遠のいていく。
「おい、起きろよ!こんなところで死ぬんじゃねえ…!」
剣から飛び出してきた火の精霊がアースに声をかけ、体を揺さぶる。反応は微かに感じているが、死は時間の問題であった。
アースが描いていた勝利の道筋は、ここまでである。
「はぁ…はぁ…、死ぬかと思った。」
しかし、勝利の女神が微笑むことはなかった。倒れたアースに向かってレイナがゆっくりと歩み寄ってくる。
「ここまで追い詰められたのは久しぶりね。これであんたも終わりよ。」
レイナはあの瞬間、《深海結界》で軽減させるとともに、火龍に飲み込まれた時点から治癒魔法を張り続けていた。その結果、一命を取り留めたどころか意識まではっきりとしている。天才大魔法使いの名に恥じぬ、まさに決死の判断力である。
そして、非情にも倒れているアースに杖を向けた。
「待ってくれ!!」
すると何と、プライドが高いはずの火の精霊が泣きっ面でレイナに懇願を始めた。
「さっきの話に乗ってやる!お前についていく!だからこいつを助けてくれ!!」
火の精霊のその言葉にレイナは答えない。黙ってアースに近寄ると、冷たい眼差しで見下し始めた。その痛々しい傷を目の当たりにしたレイナは、最早トドメを刺すまでもないことを悟った。そして、火の精霊の悲痛な叫びに胸を打たれる…
「《治癒魔法》」
大魔法使いの治癒魔法でアースの傷が塞がれていく。その光景に、らしくもなく火の精霊は涙した。
「完全には治さないよ。今の言葉に嘘はないね?」
火の精霊は鼻水を啜りながら頷いた。
「それから…、今後は私のことは“レイナ”と呼びなさい。お前とかババアは許さないよ。」
火の精霊は再び頷く。
「分かったら行くよ。この男が起きる前にね。」
火の精霊は三度頷く。別れの言葉は、交わせなかった。
レイナと火の精霊は仰向けになって倒れているレンドルートのもとへ向かうと、終戦を告げた。
「帰るよ。」
「あいつは死んだのか…?俺は勝ったのか…?」
レンドルートに意識はあったが、立ち上がろうとはしない。
「あんたの勝ちよ。分かったら早く起きて!」
レイナは超が付くほど強欲な女である。火の精霊を手に入れたにも関わらず、地の精霊の情報もしっかり手にいれるべく、アースの命を救ったことを隠し通そうとしていた。
そして、レンドルートが辛そうに起き上がると、アースの生死を確認せずにアークトリアへの方向へと歩き始めた。
「なぜ、火の精霊がいる…?」
レンドルートの怪訝な質問に、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりにレイナの態度が一変する。
「もうさあ…!この子ったら私について行くって聞かないのよ!可愛いでしょ??」
……別に間違ったことは言っていない。




