レベッカの初恋
子爵家の長女として生を受けた私は幼少期から貴族の娘として十分な学問、教養、立ち振舞いを研鑽していた。
性に合っていたそれは確実に私の武器として磨かれていった。
しかし、そんな生活は私が十六の時に終わりを迎える。
父の事業が失敗し、多額の借金が残ってしまったからだ。
私は結婚適齢期を迎えていたが、弟が小さいこともあり働きに出ることを決意した。
人に指導を行えるほど様々なことに強みがあった私は、家庭教師の仕事を中心として請け負っていた。
そんな生活が続き、気づけば御年26歳。
弟も大きくなり独り立ちできていたが、残りの借金返済のため私は職場を転々とし働き続けていた。
現在は住み込みの家庭教師として雇われており、勤め先は爵位を持たない鉱山経営をしている富豪の家。
その家には年頃の娘が二人おり、彼女たちも行く行くは爵位持ちの貴族と縁があると考えたそこの主人は、貴族事情に詳しい家庭教師として私を選んだ。
貴族の女性とは違い、彼女たちは明るく高い声できゃあきゃあと騒いでいることが多かった。
指導中は注意をするが、その時間以外は彼女たちに苦言はしなかった。
彼女たちの気分を害すことで働き先がなくなってしまっては元も子もない。
「ねぇねぇ、先生は恋人とかいないの?」
年頃の娘らしい質問。
瞳を輝かせ期待に満ち溢れた表情を彼女たちは私に向ける。
御年26歳になる私に夫ではなく恋人のことを尋ねてくるあたり、私が指輪をしてないことで察したのだろう。
「残念ながらそういう浮ついた話題は人生一度きりともないの」
「えー!先生綺麗なのに!?一度も!?一度もないの!?」
「信じられない!」
頷けば驚きの声を上げて騒ぎ始める。
淑女としての指導を忘れてしまっているのかと少々呆れてしまう。
彼女たちは綺麗だと言ってはくれるが、26歳は結婚適齢期をとうに超えており、男性からみれば対象から外れる存在。
それに愛想も良くなく可愛げがない私は男性からみれば近寄りがたいだろう。
「そっかー。だけど先生もいつか素敵な恋人ができるよ!」
「そうそう!そうなったら私たちに教えてね!」
彼女たちは私をまるで同年代の友達のように思っているのか笑顔で慰めの言葉をかける。
そんな彼女たちの姿に私は可笑しくてふと笑ってしまう。
思えば彼女たちの年頃には働き始めており、青春というものもなかった。
この年になって少し青春を取り戻したような気になってしまうのは図々しいことなのかもしれない。
「そうしたら私たちが恋人さんに頼んで先生にブローチを贈って貰えるよう頼んであげる」
「ブローチ?」
なんでも市井の女性の間で恋人からブローチを贈り物として貰うことが流行っているらしい。
装飾の宝石が男性の瞳の色と同じであるならば『貴女に私の心を捧げます』という意味合いもあるそうだ。浪漫のある話により一層彼女たちは色めき立つ。
彼女たちのように若ければ夢見ることもあっただろうが、今の私にとっては関係のない話だ。
彼女たちが頬を染め、笑い合っている姿を私は和やかな気持ちで見つめていた。
日も沈みかけてる頃、次の日の指導の準備に取り掛かろうとした時、私はカーティス商会に注文していた本の受取が今日までであったことを思いだした。
日にちが過ぎてしまうと延長料金かキャンセル扱いにされてしまう。
時間を見れば営業時間はあと数分。
間に合わないのは重々承知だったが、慌てて私は商会へと向かった。
商会はまだ明かりが灯っており、誰かがいるようだ。
扉を開けると呼び鈴がカランと鳴って、開いていたことにほっとする。
「いらっしゃい……」
中に足を踏み入れれば掛けられた言葉が途中で止まる。
顔を向ければ今まで見かけたことのない二十、三十代くらいの男性が瞠目して私を見ている。
走ってきたので髪も乱れ、だらしの無い姿をしているのだろう。
少しの羞恥が生まれ簡単に乱れた髪と服を手で整える。
「営業時間外にすみません。注文していた本を受け取りに来たのですが……まだ間に合うでしょうか?」
固まっていた彼は私のかけた言葉ではっとすると、気を取り直し姿勢を正した。
「申し遅れました。私がこの商会の経営者であるカーティスです」
「まあ。レベッカと申します。いつもお世話なっております」
「貴女がレベッカさんでしたか。こちらこそいつもお世話になっております。お待ちしておりましたよ」
にこりと笑いかけられる。
まさか経営者である本人が待っていたなんて。
いらない手間を取らせてしまったと私は深々と頭を下げる。
「営業時間をとうに過ぎてしまっているのに、お待たせしてしまって申し訳ございません」
「いえ、どうか顔を上げてください。それに私としてはこんなに綺麗な女性とお会いすることができて約得だと思っておりますので」
お世辞とはいえ、男性から綺麗と褒められるとどぎまぎしてしまう。
しかし、訓練されている私はそんな自分を悟られまいと凛と姿勢を正し微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
「……」
カーティスさんは口元に笑みを絶やしてはいないが、私の瞳をじっと見た。
何故だか見透かされているような気になり私は視線を逸らした。
「レベッカさんの注文していた本はこちらですね?」
「あ、はい。そうです」
ふいに本の事を言われ目的を一瞬でも忘れてしまったことに慌てた。
カーティスさんに代金を支払い、商品を受け取る。
私が店を出ようとすると彼は私を呼び止めた。
「暗いのでよろしければ」
そう言って渡されたのはランタンだった。
「街灯がありますのでお気になさらないでください」
「街灯があるとはいえ、夜道を歩くのは危険ですよ。次来たときにでも返してくださればいいのでどうか使ってください」
「それでは、有り難くお借りします」
カーティスさんの強い押しに私は恥をかかせるわけにもいかず、ランタンを受け取った。
彼は私が受け取ると嬉しそうに笑った。その表情を見てどきりと胸がはねた。
彼の笑顔を私が引き出したのだと思うとなんとも体がむず痒い。
お礼を言って店を後にし、しばらく歩いてから振り返ると彼は店の前にまだいるようだった。
彼に見られているのかもしれないと思うと恥ずかしさで身を縮こませた。
それからというもの、私が商品を受け取りに来る日はよくカーティスさんを見かけるようなった。
すっかり顔なじみになった私たちは世間話をしたり、取り留めもない話をするようになった。
他のお客様に迷惑がかからない程度だったが、彼と話す時間はとても楽しかった。
それから3ヶ月ほど経ったある日、いつものように商品を受け取りに来るとカーティスさんから話があると言われ、応接室へと案内された。
初めてのことで私は何か大事な話かと身構えていた。
ソファに腰掛けると向かいに座ったカーティスさんが懐から小さな箱を取り出した。
「レベッカさんにはいつもご贔屓にして頂いているので、お礼としてこちらを是非受け取って頂きたいのです」
テーブルに置かれた箱の蓋を開ければ出てきたのはブローチだった。
それを見て驚き、私はブローチと彼の顔を交互に見た。
「ですが、これは――」
「市井で男性から女性への贈り物として流行っているのですよ。最近注文が増えているのでレベッカさんも気軽に身につけやすいと思いまして」
カーティスさんはなぜ流行っているのか理由を知らないのだろう。
彼が私に贈ろうとしているブローチは教え子たちが話していたブローチだった。
しかも、宝石の色はカーティスさんの瞳の色。
よくある瞳の色ではあるので深い意味合いはないのだろう。
しかし、彼女たちの話を耳にしてしまった私は気にせずにはいられなかった。
『貴女に私の心を捧げます』
その言葉が頭を過ぎれば段々と顔が熱くなる。
「どうかされましたか?」
ブローチから目を離さずにいれば、カーティスさんは私の顔を覗き込んできた。
瞳が合えばとても恥ずかしくなり、ぎくりと肩が飛び跳ね思わず身を引いてしまう。
「い、いえ……なんでもございません……」
「それならよかった。では、受け取って貰えますね?」
笑顔を向けられ私は断ることが出来なかった。
彼はただ日頃の感謝の気持ちでブローチを贈ろうとしているだけなので、私が変に意識するのも甚だしい話だろう。
「それでは有り難く頂戴致します」
淑女の微笑みを浮かべて私はブローチを受け取った。
カーティスさんは嬉しそうに頷いていた。
「早速着けてみてもらえませんか?レベッカさんに似合っているか見せていただきたいのです」
「え、ええ」
カーティスさんがじっと私を見つめてくるものだから、緊張してブローチを持つ手が震える。
時間がかかってしまったが、ようやく着けられたことにほっと安堵する。
「よかった。とってもお似合いですよ」
「あ、ありがとうございます」
先ほどから動揺が止まらず、彼の目に映っている私はしっかり淑女として振舞えているのだろうかと心配になった。
「折角ですので、どうかそのまま着けてお帰りになられてください」
「え、あ、そ、そうですね。折角なので……」
にこにこと笑顔を向けられ、恥ずかしくなった私は下を向きながら返事をする。
部屋に帰り着くと服からブローチを外し、私はベッドに腰かけ寝転んだ。
そして手に持っているブローチへと目を向ける。
――カーティスさんからの贈り物。
そう思うと私の胸は躍り口角が上がった。
それからブローチをいろいろな角度から眺め、ふと宝石が目についた。
思い出すのはカーティスさんの瞳。ボッと身体が熱くなる。
わ、私はなんてはしたないことをしているのかしら。
慌てて上体を起こし宝石を机の引き出しへと片付ける。
どうやら私は初めての恋に浮かれきっているようだ。
次の日、私は仕事場にブローチを着けていくか迷ったが折角の貰い物なので使わないと失礼だろうと自分に都合の良い言い訳をしてブローチを服につけていた。
教え子二人はそれを見るやいなや瞳を輝かせながら私に詰め寄ってきた。
「先生恋人が出来たの!?」
「どんな人どんな人!?」
指導前だと言うのに関係のない話を。
注意すべきであるというのに私は頬が緩みそうになるのを必死に堪え、一つ咳払いをした。
「これを贈った殿方は流行っているから贈っただけであって、そういう深い意味はないのよ」
「えー。恋人じゃないんですかー?」
「残念ー」
「そういうことです。さあ、本を開いて。今日はどこからか覚えていますか?」
話題は逸らしたものの、私は初めての恋で胸が弾んでいた。
休憩中にこっそりブローチを見ては浮かれた気持ちになり、それを生徒二人に見られて楽しそうにからかってくる。
慣れないことで誤魔化すのが大変だったが、悪い気はしなかった。
ブローチはいつも身につけていた。
商品を受け取りに行くときも身に着け、ドキドキしつつも平静を装っていると彼はすぐに気づいてくれた。
「今日も着けてきてくれたのですね」
「え、ええ。とても気に入ってしまって……外出するときはいつも身に着けているんです」
「本当ですか!?とても嬉しいです!」
眩しい笑顔を向けられ私はどぎまぎしてしまう。
他の話題をと考えたときに、気になっていたことを口にしてしまった。
「こ、このような素敵な贈り物が出来てしまうカーティスさんに憧れてしまう女性も多いでしょうね」
「どうでしょうか?ちなみに現在は恋人募集中ですよ」
にこりと笑われる。
顔がかーっと熱くなり視線をあちこちへと泳がせる。
私に言っているわけではないのに勘違いしてしまいそう。
商品を受け取ると手が触れてしまいあたふたしてると心配そうに顔を覗かれ「大丈夫ですか?」と訊かれる。
何度も頷くとカーティスさんは「そうですか」と微笑んだ。
私はどうしようもなく彼を好きになってしまったようだ。
家に帰った後も時間ができればブローチを飽きることなく眺め続けていた。
次、彼に会える日を楽しみにしながら眠りにつけば幸せな気持ちになれた。
そしてようやく、注文していた商品を受け取る日が来て私は朝からそわそわと時計を見ていた。
あまり早く行っても余裕がない女性だと思われるかもしれないので午後から行くことを決めるがそれまでのほとんどは時計を見つめて過ごしていた。
商会に入る前に髪が乱れていないか、服が汚れていないか確認する。
彼に会う前はどうも落ち着かずあれこれと気を回してしまう。
ドアを開ければ何やら賑やかな声が聞こえ、そちらに目を向ければカーティスさんと若い女性が笑顔で談笑している。
息を呑み、凍りつく。
「いらっしゃいませ、レベッカさん。申し訳ございません。カーティスは只今他のお客様の対応中でして」
「い、いいえ。お気になさらずに。私は注文の品さえ受け取れればそれでいいのです」
口早に言い、店内に入ると代金を支払い商品を受け取る。
極力二人を視界に入れないように下を向く。
店を出る前にちらりとカーティスさんを見ればばちりと目があった。
一瞬時が止まったような気がしたが、私は慌てて店をあとにした。
足早に帰路につき、屋敷が見えてくれば段々と足取りが重くなっていく。
思い出すのはカーティスさんと若い女性の笑い合う姿。
前に恋人はいないと聞いていたから、浮かれてしまっていた。
世の中には私以外に素敵な女性は沢山いるのだ。
恋で盲目的になりすぎて、私だけのカーティスさんだと思い上がってしまった。
――自分が恥ずかしい。
羞恥で熱くなった頬を手のひらで冷やす。
部屋に戻ると商品を乱雑に机へと投げた。
――短い、短い初恋であった。
青春がなかった私に彼は素敵な贈り物をしてくれた。それだけで十分じゃない。
そう思っているのに涙が溢れて止まらない。
誰にも気づかれることのないように私はベッドに顔を埋め声を押し殺して静かに泣いた。
それから数日、心は沈んでいたが誰にも気づかれることはなかった。
いや、教え子たちは気づいたのかもしれない。
ブローチの着けていない私を見て、二人は何も言ってはこなかったが、お菓子を勧めたりと気を使ってくれていた。
何も聞いてこない彼女たちの優しさが有難かった。
もしも、何かを訊かれれば情けなく弱音を吐露してしまいそうなくらい私は疲弊していた。
しかし、商品の注文をしていたことを思い出す。
出来れば彼に会いたくはなかった。しかし、受け取りに行かなければ変に思われる。
重い腰を上げ、私は商会へと向かった。
もしかしたら今日はいないかもしれないと望んでいたが、それは叶わず商会の扉を開ければカーティスさんが笑顔で出迎えてくれた。
私は淑女の仮面を顔に貼り付けた。
「こんにちは。カーティスさん」
「……いらっしゃいませ、レベッカさん。今日はお茶でも飲んでいきませんか?」
「今日は用事がありますから、本を受け取ったらすぐに帰らないといけないので」
「……それは残念です」
どうやらカーティスさんは私がブローチを着けていないことに気づいていないらしい。
ほら。わかっていたでしょう?
彼にとってはその程度の物だったのよ。
年甲斐もなく……馬鹿ねぇ、私。
泣き腫らしてしまったからか、自分を嘲るように笑っても悲しくはなった。
ただここから早く去ってしまいたいという焦燥だけが私を突き動かす。
商品の支払いを済ませた私は商会を足早に去った。
海に面した道を歩く。立ち止まり海を眺める。
ただぼーっと。
そこに感情はなかった。
「レベッカさん!」
よく聞き慣れている声がし思わずそちらを向いてしまった。
カーティスさんが私に向かって走ってくる。
会いたくないと望んでいたはずなのに彼が息を切らして私のもとへと駆けてくるのが堪らなく嬉しかった。胸が苦しくなる。
彼は私の前へと立ち止まると呼吸を整えて、私と向き合った。
「今日はブローチを着けてくれないのかな?」
「……」
いつもと違う彼の話し方にどきりとしたが、ブローチのことを指摘され、私はすぐに答えられなかった。
思い出すのは彼と若い女性が談笑していた姿。
女である私が悲しく嘆いている。
それを無視し、訓練されている私は淑女としての自分を奮い立たせる。
彼にほほ笑みを向ける。
「恋人でもない私があれを身に着けていればカーティスさんにご迷惑がかかってしまいますので」
「今までは着けてくれていたのに?」
「それは……私も最近まで意味を知らずに身に着けていたので……」
嘘を言う声は徐々に小さくなっていった。
彼の顔もみられず自ずと顔が下を向く。
下心を持っていたことをカーティスさんに気づかれたくなかった。
彼の中で私は少しでもきれいな女性として残って欲しい。――なんと浅ましい考えだろうか。
黙り込んでしまうと聴こえてくるのは波の音だけだった。
彼は今どんな顔で私を見ているのだろうか。それを確認する勇気は今の私にはない。
「私がそのブローチを贈る意味を知ってて君に贈った、と言ったらどうする?」
言われた言葉に私は思わず俯いていた顔を上げてしまった。
カーティスさんは私に穏やかな表情を向けているが、その瞳は逸らされることなくじっと私の瞳を見つめている。
「意味を…どこまでご存知なのでしょうか?」
「どこまで、とは……”貴女に私の心を捧げます”のことを言っているのかな?」
試すような口調で核心に触れられ、私の顔はカッと熱くなる。
彼はゆっくりと私に近づいてくる。
逃げたいという気持ちは既になかった。
ただ彼が私に近づいてくるたびに胸の鼓動が早くなる。
「初めて君を見た時からなんて美しい女性なんだと驚いたよ。是非お近づきになりたい、どうすれば私を意識してくれるだろうか、とあの日を境に君のことばかり考えていたよ」
カーティスさんの独白がまるで私に一目惚れしたと言っているようで、目を丸くした。
私の片思いのはずなのに、夢でも見ているのだろうか。
彼は目の前で立ち止まると私の頬に優しく手を添えた。
触れられたことに驚き肩が跳ねる。
だけれど魅了されたかのように彼の瞳から目を離すことができない。
「もしもレベッカが私の気持ちに応えてくれるという気があるのなら、ブローチを付けて再び会いに来てほしい」
「……」
「次の休みはいつかな?」
「……五日後です」
消え入りそうな声で答えればカーティスさんは私に顔を近づけ耳元で「楽しみだ」と囁いた。
それがなんだか艶っぽい声音で私は囁かれた耳を手で押さえ、彼から少し距離を取る。
気恥ずかしさや嬉しさで限界を迎えた私は泣きそうになりながらもカーティスさんを見る。
彼はとても満足そうな顔で私を見ていた。
彼と約束してから五日後。
私は朝早くに目を覚まし、髪を梳かして結い上げ、化粧を施し、口紅を塗る。
外行きの衣服に着替え、姿見で汚れや皺がないか確認する。
そして机の引き出しを開け、ブローチを手に取った。
――期待してしまってもいいのだろうか。
ブローチを見つめてそう思う。
彼には私の他に相応しい相手がいるのではないのだろうか。
例えばそう。彼と話していた若い女性。
私は若くもなく、愛想もなく、可愛げもない。
だけど、私は胸につけたブローチを見て思いの外欲深い人間だと気づいた。
身を引こうとしている思いとは裏腹に、体は彼のもとへと向かうのをやめない。
部屋を後にすると一歩一歩彼のもとに進む足が彼に会いたいと急かすように速くなる。
彼はカーティス商会の前で立っていた。
時間の指定もしていないのに、私を待っていた。
それだけで嬉しくて涙が溢れそうになる。
「いつから待っていらしたんですか?」
「昨日の晩から」
軽口を叩くカーティスさんに私は可笑しくて笑ってしまった。
「さて、私の気持ちに応えてくれたレベッカにお礼をしなくては」
そう言うと彼は跪き、見上げて差し出されたのは薔薇の花束だった。
私とは縁のない状況が現実に起きている。
どきどきしながら花束を受け取る。赤々とした薔薇の本数は六本。
私は緩みそうになる口元を思わず花束で隠す。
「それじゃあレベッカ。今日はどこに行こうか?」
「貴方とならどこまででもご一緒します」
差し伸べられた手を緊張しながらそっと取ると彼は私に優しく微笑んだ。
“商会姉妹の恋愛事情”の姉妹の母親の話でした。
短編でも通じるかの試し投稿です。
よければレベッカの娘たちの話もよろしくお願いします。