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23.明るい笑顔。

 ラストウスの街での買い物。

 これ迄、私だけが赴いていた街にエノテラ様が同行してくれるようになってから1年と半年後。

 私達は数年に渡ってお世話になった魔王様の別荘・私達の家を魔王様に返還して新居に移り住むことになった。

 というのも、現在迄の家は魔王様の別荘なので家というよりも宮殿 或いは 屋敷と呼んだ方がしっくりとくる建物。

 2人で住むには余りにも広すぎた。

 エノテラ様の愛玩奴隷(ペット)となってから暫くは私が暇な時間を持て余していたので、家の維持に関して特別な問題はなかった。

 けど、仕事を始めてからは家のことが疎かになるようになってしまった。

 料理と洗濯は変わらず出来ても掃除は二の次。

 自分達がよく利用する部屋だけを掃除して残りの部屋は放置。

 後で後で。と考えているうちに溜まっていく埃。

 その有様を見て、根を上げる独り言を紡いだ私をエノテラ様が傍で見ていた。


「引っ越ししようか。アリナ」


 まるで天気のことを話すように軽く言ったエノテラ様に私は"ぎょっ"とした。

 引っ越しは重要な事柄であって、決して軽い事柄ではない。

 目の前にいるエノテラ様が私の知らないエノテラ様のように感じられて、無意識で私は若干彼女との距離を遠くした。


「本気、ですか?」


 引きながら問うと、彼女は爽やかな笑顔で私に応える。


「本気だよ。それより……」


 細められる彼女の目。次の瞬間には私は彼女に抱き締められていた。


「私からどうして距離を取ったの? 話を聞かせてくれるよね? ねぇ、アリナ」


 私に質問をしてくる彼女の声が少々冷たい。背筋が冷える。

 それに私を抱き締めている力が強くて痛い。私は私のご主人様に私に対する負の感情を与えてしまった。


 距離を取ったのは無意識の行動。エノテラ様が重要な物事を軽く言ったから。

 これを率直に言っても大丈夫だろうか? 愛玩奴隷(ペット)がご主人様に疑いを持った。

 別人に見えた。ご主人様が言っていることが信じられなかった。

 これらを言うこと。物凄く怖い。出来れば穏便に済むようにしたい。

 心中で慌ただしく考えるエノテラ様を煙に巻く為の言い訳。


「アリナ」


 そうしているうちにエノテラ様が私に目線を合わせる。

 目の奥に濁りが見える。彼女は私が彼女を煙に巻こうとしていることを承知している。

 だからこその目の濁り。私に嘘を吐いて欲しくないという現れ。

 これでも嘘を吐ける程、私は人としての心を捨ててない。

 火に油を注ぐ趣味もない。


「実は、その……」


 恐る恐る彼女に私が感じたことを口にする。

 彼女のこと。私を叱ることはなくても、聞き終えてため息の1つでも吐かれる。

 かと思ったけど、私の予想は大きく外れた。


「なるほど。ごめんね」


 まさかの謝罪。混乱して石像の如く固まる私。

 凡そ1分が経過して、私は漸く蚊の鳴くような声を出すことに成功する。


「どうしてエノテラ様が謝罪をされるんですか?」

「アリナをびっくりさせた責任があるからだよ」

「確かにびっくりしましたけど……」

「うん。順を追って話すべきだった」


 ここに来てため息を吐き出すエノテラ様。

 私に対してではなく、自身に対してのものだと分かるため息。

 吐き終わると、彼女は私を改めて見つめて引っ越しを決意した理由を話し出す。

 もう彼女の目に濁りはない。澄んだ目が私を安心させてくれる。


「まずお金のことだけれど、私はお金を無暗に浪費したりはしないからね。貯蓄が充分にあるんだよ」

「はい」

「それでね、実は少し前から貯蓄を使って新居を建てようって考えてた。この家は無駄に広いからね。新居は2人で住むのに最適な広さの物にするつもりだよ。私と私のアリナがゆっくりとくつろげる空間。私達の仕事部屋。他の諸々。良い家を造りたい」

「そう、だったんですか。では私の独り言は渡りに船だったんですね」

「そういうこと。それでね……」


 エノテラ様がわざとそこで話を区切る。

 小悪魔っぽい微笑みを浮かべているのが気になる。

 続きに何を話すつもりなんだろう?


「アリナ」

「はい」


 私の名前を呼んでから、私の背中を(さす)りつつの不意打ち濃厚なキス。

 蕩けてしまい、立っていられなくて彼女に身体を預ける。

 軟体動物となった私の耳元で囁かれる彼女の先程の続きの言葉。


「お風呂と寝室はこの家と同様。もしくはそれ以上に拘るからね」


 それって……。意味を理解して身体が熱くなる。

 彼女を見ると、再び彼女の唇で塞がれる私の唇。

 私は足腰が元に戻る迄、大好きな人に身体を預け続けた。



 新居はモニカさんに仲介をして貰って、街の人々から一目置かれている工務店に依頼することになった。現状、繁盛期であるにも関わらず工務店の店長は快く私達からの依頼を引き受けてくれた。感謝極まりない。


 何度も担当者と話し合いを重ねて、描きあげられた設計図を見て頷き合う私達。

 新居の場所は今の家の正反対の所。やっぱり街からは外れている。

 私達は新居の工事を請け負った業者に仕事を頑張って貰う為に差し入れをする。

 ……というのは名目。造られていく家を見学する為に足繫く通った。

 新居の設計には私も口を挟ませて貰った。

 私の仕事場。キッチンと霊薬(ポーション)の作成場。

 この2ヶ所は私の趣味と夢、拘りを詰め込めさせて貰った。



 新居完成。前の家と比べると小さくて、面積が狭い。部屋数も少ない。

 だけど、2人で住むには充分で私達の拘りがふんだんに詰まった家。

 完成迄に何度もここに足を運んでいたけど、いざ完成した家を眼前にすると感動して胸がいっぱいになる。

 これからはここが私達の家。建物を感慨深く眺めていると、私の隣に立っていたエノテラ様が動きを見せるのが目に入る。彼女が向かったのは玄関の前。到着した彼女に手招きされて、彼女の元へと行くと工務店の担当者から渡された鍵を異空間から彼女が取り出す。


「新しい門出。一緒に儀式をしよう。ね! アリナ」

「はい!」


 鍵を2人で持ってドアの鍵穴に差し込む。

 耳に聴こえてくるドアの開錠の音。

 開錠されたドアを開くのも彼女と一緒。

 ドアノブを握った彼女の手の上に私の手を置く。

 目と目で合図。2人でドアを開き、共に家の中へと入る。

 新築の独特の匂いが鼻へと漂ってくる。その匂い。私の胸に改めて言葉とするに困難なモノが私を圧してくる。


「新築の匂いがします」

「そうだね。ふふっ、アリナ。嬉しそうな顔してて可愛い」

「エノテラ様も笑顔ですよ」

「私のは私のアリナの笑顔が堪らなく可愛いからだよ。家のことも勿論、嬉しいけれどね。でも比率としてはアリナが見せてくれる笑顔の方が大きいよ」

「……っ。さ、さぁて、荷解き頑張りましょう! エノテラ様」

「誤魔化したね」

「気のせいです」

「ふふっ、まずは寝室から始めようか」


 彼女に手を引かれて寝室へ。

 前の家から持ってきた荷物をこれまた異空間から取り出して、2人で相談しつつ置き場所を決めて荷物を運ぶ。

 私達は魔女。物理的な力は必要ない。魔法で荷物を宙に浮かせて指定の位置へと移動させるのが荷解きの作業。通常の荷解きとは異なる。

 それだけに時間が短くて済む。寝室は数分で終わり。荷解きそのものよりも荷物を何処に置くかの相談の方が時間が掛かった。

 次の場所は2人の私室。ここは2人、思いの思いの場所に荷物を置く。

 終わると合流。続いてはリビングダイニング。私が拘り抜いたキッチンもここにある。

 小洒落たカフェのような空間。当然のことだけど、依頼通りに造られている。

 現場を見て零れる鼻歌。心なしか、魔法が軽やかに使える。

 悠々とここでの荷解きの作業を進めていると、背後から彼女が抱き着いてきた。


「ねぇ、可愛すぎるよ。抱いて良い?」

「え? まだ作業の途中ですよ?」

「アリナは1週間は仕事をしなくても大丈夫なくらい在庫を作ってたよね?」

「それは、はい。来る新生活を楽しみたいと思いましたので、在庫作りを頑張っておきました」

「だったら時間はたっぷりあるよね?」

「えっと……」


 断れる雰囲気ではない。

 というよりもエノテラ様はすでに私をお姫様抱っこしている。

 歩き出すエノテラ様。目的地は最初に荷解きを終えた寝室。

 この為に最初にしたのだろうか? なんてことを思ってしまう。


「エノテラ様、もしかしてですけど……」

「うん? 何? 私のアリナ」


 私のことをうっとりとした顔が見ている。見惚れよりも照れが勝つ。

 見続けていられなくて、私はエノテラ様から素早く視線を逸らした。



 到着した寝室。ベッドに優しく私の身体が降ろされる。

 未だエノテラ様に視線を合わせられない私に掛けられる彼女の声。


「アリナ、抱いても良いよね?」


 寝室に拉致しておいて白々しい。

 そもそも聞いておきながら、彼女の手は私の身体に触れている。

 私に拒否権は無いという現れ。或いは私が断らないこと前提の言動。

 普段だったら流れに身を任せるけど、今日はなんとなく彼女に意地の悪い返事をしてみたくなった。


「私は愛玩奴隷(ペット)ですもんね。ご主人様の言うことは絶対ですよね! 抱いても良い? っていうのは抱くからね。ってことですよね? エノテラ様」

「えっ!?」


 私の言葉でエノテラ様の手の動きが止まる。

 続いて聞こえてくる、先程迄の喜々とした声と正反対な彼女の弱々しい声。


「ごめんね。無理強いするのはダメだよね。アリナの気持ち、もっと考えるべきだった。可愛すぎて短絡的に行動した私が悪いね。本当にごめんね」


 彼女の声を聞いて"あたふた"する。

 私はちょっとした意地悪のつもりで、思い詰めさせるつもりはなかった。

 彼女の顔を見る。叱られた小動物のような顔をしている。


「荷解きの続きしようか!」


 空元気な声を出して私に背を向けるエノテラ様。

 私は慌てて彼女の腕を掴んで動きを止めさせる。


「待ってください」

「どうしたの?」

「ごめんなさい。ちょっとだけ意地悪をしてみたくなったんです。私の先の言葉は本心ではありません。だから、だから行かないでください」


 軽はずみな言動で彼女を傷つけてしまった。

 許されないことをした。自身のバカさに涙が出てくる。


「好きです。エノテラ様。だから……」

「アリナ」


 私の方に振り向く彼女。

 私が掴んでいる側じゃない手が私の顔へと伸びてくる。


『叩かれる』


 と思って反射的に目を閉じる。

 悪いことをした報いだ。叩かれるのはご主人様による愛玩奴隷(ペット)の躾。

 私は受け入れなくてはならない。

 しかし、彼女は私の頬を叩くことはなく撫で始めた。


「好きだよ、アリナ」


 想いが込められた言葉を聞いて目を開ける。

 狙っていたかのように彼女が私にキスをしてくれた。


「エノテラ様」

「笑顔になったね。アリナは笑顔が似合ってるよ」

「……隣に来て貰えますか?」

「勿論だよ」


 私の望みを聞き入れて私の隣に寝転んでくれるエノテラ様。

 愛しくて彼女に手を伸ばすと、彼女は自身の胸の中に私を閉じ込めてくれた。



 荷解きを始めたのは昼時だったのに今は夕刻。

 身体が怠く、重くて動きたくない。

 魔法を使う気力も今はない。


「アリナ。リビングとか大体の場所の整理は終わったよ。キッチンはアリナがした方が良いよね? だから手を付けていないけれど、それで良い?」

「はい。大丈夫です」


 毎回毎回思うけど、エノテラ様はなんでこうも元気なのだろう?

 主導権は彼女にあっても、彼女だって体力を消耗している筈なのに。

 以前想像した通りに本気で魔力を体力に代えてる?

 そうとしか考えられない。私もそれ出来るだろうか? 出来れば彼女から主導権を奪うことが叶うかもしれない。


「アリナ、何を考え込んでるの?」

「エノテラ様。魔力を体力に代える方法教えてください」

「突然何? そんな魔法知らないよ」

「そうなんですか? ではどうして私を長時間抱いてもエノテラ様は元気でいられるのですか?」

「種族間の差とそもそもの基礎体力の差だね。私はその気になればオグルを相手に前衛も出来るけれど、アリナは前に出るのは無理だよね? そういうことだよ」


 エノテラ様の解答に愕然とする。

 決して埋まらない溝がそこにある。

 私がエノテラ様との行為で主導権を持つ方法は彼女に懇願するしか無い。

 ……ということ。それだって、叶えられる確率は限りなく[無]に等しい。

 悔しい。密かに反逆を企てていたのに!!


「ねぇ、アリナ」

「はい」

「少しは動けるようになった?」

「それって延長戦ってことですか?」


 ちょっと無理。今は即座に意識を失うことになる。

 自身のことは自身が一番良く分かっている。

 体力回復(フィジカルヒール)の高霊薬(ハイポーション)を飲用すればなんとかなるけど。


「違うよ。延長戦はいつも眠りに就く時間くらいに、ね。今は私と一緒にこの付近を散歩しようっていう誘いだよ。どう?」


 この付近を散歩。絶対行く。

 散歩の前に聞き捨てならない言葉が発せられてた気がしたけど、とりあえず今は捨て置こう。エノテラ様と散歩を楽しむことだけに集中しよう。それがいい。


「エノテラ様にしがみ付いてでの散歩でもいいですか?」

「大歓迎だよ」


 言質取った。ベッドから立ち上がってエノテラ様の腕に自身の身体を絡める。

 言葉通りに行動する私を見て微笑むエノテラ様。


「可愛い。俄然、夜が楽しみになったよ。覚悟しててね。アリナ」

「聞こえません! それより散歩行きましょう」

「そうだね。ついでに外食する?」

「はい。またあのカフェに行きましょう」

「決まりだね」


 雑談を交わしながら家の中から外へ。

 前の家の反対側。生活圏内は大きくは変わらない。

 それでも何故だか目に映る光景が新鮮に感じる。

 しがみ付いたエノテラ様の腕に頬擦りする私。


「エノテラ様。前にも言いましたけど、長生きしてくださいね。1秒でも長く一緒にいたいですから」


 人生が楽しいのは、世界が美しく見えるのは、エノテラ様が一緒だから。

 私は真摯にエノテラ様と1秒でも長くいたいと思ってる。

 彼女がいない人生なんて考えられない。考えたくない。


「……アリナ。ここってひと気無いよね」

「はい。前の家があった場所より侘びしいですね。こっち側」

「丁度いいね」

「えっ? どういう意味ですか?」

「私のアリナに無性にキスしたくなったからね。ひと気が無いのは好都合だよ。アリナ、少しの間だけ私から離れてくれる? ごめんね」


 そういうことなら謝罪の必要なんてない。

 エノテラ様にキスして貰う為に私は彼女から離れる。

 肩に置かれるエノテラ様の手。少しずつ彼女の顔が私の顔に近付いてくる。

 唇が触れ合う限界迄、彼女の顔を見つめて触れ合う時に目を瞑る。

 彼女の唇は変わらずに柔らかくて、甘い。


 心中の開閉器が開いた。

 帰宅したら私からエノテラ様を寝室に誘おう。

 そうすれば間違いなく、彼女は喜びに満ち溢れた明るい笑顔を私に見せてくれるだろうから。

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