17.1人の日。
それは青天の霹靂だった。
昼頃に珍しく1人でラストウスの街に出掛けていたエノテラ様が帰宅した直後に私に言った[事]。
この国の同盟国に新種のオグルが出現。その国の冒険者達が討伐を試みたけど、新種のオグルは余りにも強くて冒険者達は全滅してしまった。そこで、頼ったのが同盟国のこの国。
この国・魔国ソロモンとしては同盟国の苦境を放っておくことなど出来ずに討伐を請け負うことになった。
ただ、問題は誰を派遣するかということ。魔王様の八の側近達は皆忙しくて参加は不可能。
冒険者達は同盟国の冒険者が敵わなかった相手にこちらの国の冒険者が太刀打ち出来るかは怪しいところ。
そこで、白羽の矢が立ったのが魔王様の嬢子であるエノテラ様だった。
ラストウスの街へと行っていたのは、魔王様の使いの人から詳細を聞く為だったとのこと。
「それでね、1日家を空けないといけないんだよ」
私に話をするエノテラ様の顔に見るからに苦悩が表れている。
私を連れて行くか思い悩んだようだけど、今回の相手は私より格上の相手であることを魔王様の使いの人から話を聞くうちに確信。
そこで、心配性のエノテラ様は私には家を守って貰って討伐は自分1人で行くと決めた。
エノテラ様と暮らし始めて数年。初めての留守番。
私としては、この時はたかが1日程度のことと留守番することを歯牙にも掛けていなかった。
それよりもエノテラ様1人が討伐に行くことに懸念を抱いて彼女に問うた。
「帰って、来ますよね? エノテラ様は明日には私の元に無事に帰ってきてくださいますよね?」
「うん! 約束するよ。アリナはその間、家から出ないでね。外出は禁止だよ。家で大人しくしてて。約束出来る?」
私の質問に成された彼女の応えはこれ。
私は素直には頷かずにちょっとだけ意地悪な返事をした。
「明日だけです。明後日は悪い愛玩奴隷になります。例えエノテラ様に叱られても約束を破ったご主人様が悪いです。私を悪い愛玩奴隷にさせたくなかったら、明日帰ってきてくださいね。そうして貰えなかったら、野良の愛玩奴隷になって誰かに拾って貰いますよ」
野良の愛玩奴隷。
現実にはそのような者はいないし、不可能な事柄だ。
主人が所有権を放棄するか、死するかしない限り私達は縛られたまま。
なのに、今のエノテラ様は狼狽を見せた。
次の瞬間に私は彼女に抱き締められて物悲しい声で訴えられた。
「アリナがいないと私は生きていけない。誰かに拾われても全力で奪い返しに行くからね」
「そうなる前に帰ってきてください」
「分かった。私のアリナを他人に奪われるのはごめんだからね。……違うか。一瞬でも私以外の誰かに触れられて欲しくない」
「私、エノテラ様だけですよ?」
「街の人からお釣りを貰う時とか、値下げして貰った時とか手を触れてるよね?」
そんなことが触れたうちに入るの!?
……そうだった。この人は独占欲が強い人だった。
エノテラ様の本心を聞いて小さく笑う。彼女は不満顔。
私を抱き締める力が強くなる。
「時々そいつのことを殴りたくなる」
「それは止めてあげてください」
やったらエノテラ様は憲兵に捕まって有罪。その余波で私は街で人々から恐怖の対象になる。家計を預かっている身としては、[物]を安価にして貰えなくなったりするのは痛恨の極みだ。
エノテラ様の稼ぎは充分で、本来は節約等は無用だけど、贅沢の限りを尽くして生きるのは性に合わない。
家や家の中の家具類は兎も角、食費等はなるべく抑えたい。現金な私はもう1度彼女に念を押す。
「街の人への手出しは止めてくださいね! 絶対にです」
「分かってるよ。理性が働いてくれるから大丈夫」
良かった。エノテラ様の理性には今後も頑張って貰いたい。
私と彼女が戯れる時は程々でいいけど。
一時的に会話が途切れたので私は新しい話題を彼女に振った。
「エノテラ様。新種のオグルってどんなのなんですか?」
「ん! それはね」
エノテラ様に腰を撫でられながら話を聞く。
時々彼女の手がお尻に触れているのは私の気のせいじゃない。
「魔王様。……私の師匠様の八の側近で強欲のルプスって知ってるよね?」
「はい」
「姿を思い出せる?」
「確か……」
私はその人に直接会ったことはない。
ラストウスの街の雑貨店に飾られている肖像画で見たことがあるだけ。
あの肖像画が彼? 彼女? の姿を正しく描いているのか否かは不明。
この世界の人類種の1種・人間族の骸骨が金と白のローブを纏っていた。
手の骨の全ての指に種類の違う宝石の指輪をしてて、首にはダイヤのネックレスをしていた。
ローブは派手で[強欲]だなぁと記憶している。
エノテラ様に私の記憶を話すとあの肖像画は正しいことが判明した。
金銀財宝大好き。人の物は自分の物。自分の物は自分の物。そういう人だそう。
それと身内に甘くて敵には残忍な人。敵が干乾びる迄、敵が持っている何もかもを強奪していくことで、一部の人達の間では[ハイエナ]と呼ばれているとか。
「うわぁ……」
なんていう言葉を口から発してしまった私は正常だと思う。
何もかもを奪われる。人権、尊厳、心等。目には見えないモノも全部。
敵にしたくない。殺される方が全然マシだ。
「今回体現したオグルはルプスに似てるって聞いたよ。でも容姿が似ているだけ。中身は違う。ただ、熟練の魔女と魔公と同等かそれ以上の魔法の熟達者みたい」
「……私より強いってことですよね?」
「深紫の骸骨に深紫のローブ姿。今のアリナだと勝てないと思う。でもね、将来は勝利出来るようになることを私が保証するよ」
エノテラ様の口から私の実力では新種のオグルに及ばないと正直に聞かされるのはキツい。……伸び代があると言われたのだから、今は無理でも未来はエノテラ様に付いていけるようになるつもりだけどね。
「エノテラ様……」
「約束は守るよ」
「はい!」
エノテラ様と再会の約束。契りのキス。
以後は普段通りの日常生活。
朝になってエノテラ様が出発していった。
*****
留守番。エノテラ様がいない間にあれこれやろうと考えていた今朝の私は何処に行ったのだろう?
彼女がいない家が早くも寂しい。頭の中は寂しいで埋め尽くされてしまった。
1人だから出来ることもあるのにやる気が起きない。
「変……ですね」
孤児院卒業後は1人で過ごしたことなんて幾らでもあった。
1人で余裕で過ごせた。
それ、どうやって過ごしてた? 思い出せない。
リビングで立ち尽くす私。動けない。
自分で自分に戸惑う。彼女がいない。真実が私を打ちのめす。
寂しい……。寂しくて、寂しくて、今からでも彼女を追い掛けたくなる。
行っても迷惑になるだけ。充分に理解しているから自制する。
「エノテラ様、エノテラ様……。寂しいです」
たった1日。1日も耐えられないのか。私は。情けない。
寂しさと歯痒さで涙が溢れてくる。
せめて、せめて落ち着く迄は彼女の匂いがする何かに包まれたい。
"ふらふら"と寝室に移動。
布団にくるまると彼女の匂いが濃く残っている。
彼女が使っている枕も欲しい。抱っこしたら私の目尻から流れる涙。
私は寝室で瞼を焼き付かせて泣き喚いた。
「………ナ」
「ん……っ」
「………ナ。………て」
地震? 身体が揺れてる。
大した揺れじゃない。そのうち収まるだろう。
「………ナ」
長い。一向に収まる気配がない。それに誰かに名前を呼ばれているような?
ひょっとしてこの地震は危険なのだろうか。
危機感で目を開ける。私は眠ってしまっていたらしい。
「……んっ」
「アリナ。起きたね」
「……? エノテラ様の幻覚が見えます。夢の世界ですか?」
「現実だよ。アリナ、泣いてたの?」
「……………。エノテラ様!?」
エノテラ様が私の横に立って私を見ている。
現実であることを私が知覚する迄束の間。
本物のエノテラ様がいる。上半身を飛び起こさせる私。
「おはよう、アリナ」
「おはようございます。……え? もう朝ですか?」
「ううん、夕刻だよ」
エノテラ様がベッドに上がってくる。
私に軽くキスをしてから、私を組み敷く彼女。
「アリナが可愛すぎて我慢出来ない。いいよね?」
「エノテラ様。お帰りは明日ではありませんでしたか?」
「アリナに会えないのが辛すぎて魔力が暴走した」
「大丈夫だったんですか? それ」
「ん! オグルを1秒で灰にした。他に被害はないよ。それで、終わったから大急ぎで帰宅したら私のアリナが可愛いことをしながら寝てた」
「……あはは」
「私の枕を抱いて寝てるアリナ。私を求めてたんだよね?」
「……はい」
は、恥ずかしい。彼女の枕を抱いて寝てたところを見られてたとか。顔が熱い。
「ごめんなさい。まともに留守番出来ませんでした」
「全然いい。可愛い。アリナ、良い?」
エノテラ様、待ちきれないって雰囲気が駄々漏れしてる。
顔を緩ませて頷くと同時に彼女は私を抱きに掛かってきた。
大好きな人がいる。私は彼女に意識を最後の一欠片迄刈り尽くされる間、好きを捧げ続けた。