11.走馬灯と魔女の怒気。
エノテラ様を救出し、彼女の身代わりとなった私。
目の前に紫のオグル。闇夜のせいで黒にも見える。
彼が振り上げる右腕。体勢が崩れて上手く動けない私を嘲笑いつつ空気を切って私に迫ってくる。
世界の[刻]の進みが遅い。私の頭に次々と浮かぶ過去の記憶。
孤児院で、そこに居られる既定の年齢迄過ごして退院。
冒険者となった私はデミルーラ大陸中を股に掛けて活動した。
語り出せば夜が明ける程に多種多様な経験をした。
この経験が私を心身共に強くし、また、ずる賢くもした。
私はなんでも出来るわけではない。
困っている人の全員を助けられるわけではない。
手に余る仕事がある。手から零れ落ちる人がいる。
これは割り切り。仕方がないこと。私は自分に都合の良い言葉を心中に並べて、[事]・[人]を何度か見て見ぬフリをして見捨てた。
私が死んだら、行く場所はきっと冥界だろう。天界にはいけない。
自業自得。私はそれだけの因果を背負ったということだ。
冒険者以外の仕事も私に喜怒哀楽を齎した。
どれもこれも合わずに結局は冒険者に戻ったけど。
あれはしんどかった。でも楽しくもあった。
戻った冒険者。最後の8年間は黒歴史。
【レイヴンクロウ】への入団の誘引。大失敗だった。
団長・副団長は言わずもがな。守ろうとした仲間にも私は裏切られた。
【レイヴンクロウ】では多分、最も強かった私。
力を持った私でも集団で襲われたら一溜まりもない。
魔導士は後衛職。物理攻撃には弱い。
私は【レイヴンクロウ】にオグルの巣へと投げ放り込まれて、現世における冥界を見た。
「アリナ!!」
エノテラ様。私の、唯一無二。大切で大好きな人。
私を現世の冥界から救い出してくれた人。
愛玩奴隷にする為とは思ってもいなかった。
隷属の首輪を填められた当時は酷くて汚い言葉で罵ってしまった。
そこから先に幸福が待っていたのに。
楽しかった。嬉しかった。幸せだった。
エノテラ様との生活は嫌な思い出が微粒子程度しかない。
後は全部、全部良い思い出。愛玩奴隷になれて良かった。
なのに……。
私は私に世界で1番美麗で、1番重くて、1番狂おしい。感情をくれた人、教えてくれた人を嘆き、悲しませてしまっている。
「ごめんなさい、エノテラ様」
完全に落第点な愛玩奴隷だ。
私はご主人様の双眸を涙ぐませることを繰り返してばかりいる。
そんな悲哀な顔なんてさせたくないのに……。
[刻]が戻る。
オグルの右腕が私に命中する寸前に吹いた風。
私の身体は風でよろめき、致命傷を避けることが出来た。
彼の右腕は私の右腕を捉え、私の右腕は威力と風圧で強引に引き千切られた。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
身体に存在する神経回路を縦横無尽に駆ける痛みの電撃。
健在な左腕で半分失われた右腕を押さえる。
痛みと血の流出で意識を持っていかれそうになる。
倒れてしまえば楽になる。でも私はこんな所で倒れるわけにはいかない。
偶然でもなんでも死から免れた生命。無駄には出来ない。
エノテラ様と生きる為に。
「最上級治癒魔法」
魔法の発動と共に右腕がこんもりとした形で塞がって血の流出が止まる。
未熟な私だとこうするのが関の山。
エノテラ様であれば、或いは失われた右腕を生やせたのかもしれない。
兎に角、九死に一生を得た私はオグル達の攻撃を躱して隙を狙う。
また1体。彼らの攻撃を躱した私の目に飛び込んできた衝撃的な光景。
オグルに囲まれているにも関わらずに一切動かないエノテラ様の姿。
「エノテラ様!!!」
彼女の瞳は虚ろ。暴走を始めている強大な魔力。
攻撃を始めたオグルに向けてエノテラ様が"ゆらっ"と右手に持つ杖を掲げる。
悍ましい悪寒。今のエノテラ様はエノテラ様であってエノテラ様じゃない。
「アリナ……。死んじゃった……。あはっ、あはははっ。守れなかった。私は何も出来なかった。アリナがいない。私のアリナがこの世にはもういない。だったら、だったらこんな世界……」
私は生きている。エノテラ様には風が吹いて私が助かった場面が見えなかったのだろうか。……最後迄見届けずに心を閉じた可能性が高い。
杖から放射されるエノテラ様の魔力の弾丸。
彼女の前方に群がっていたオグルは彼女の魔力に喰われて1体たりとも残らずに消滅した。
「うっわぁ……」
堪らず呆れと驚愕が入り混じった声を出してしまう私。
硬くて、硬くて、硬い紫のオグルを余裕綽々で消滅させるエノテラ様の絶大なる魔法の攻撃力。
オグルの消滅と共に地形も変わってしまっている。
何km先迄地面を凹ませ、山等に穴を開けているのだろうか。
巻き込まれた人はいないで欲しいと切に願う。
「ふふふっ。しつこくまた湧くんだね。良いよ。アリナを殺したお前達を何度でも私が殺してあげる。この世界諸共に、ね」
物騒な言葉と一緒にエノテラ様が今度は杖を空に掲げる。
彼女の魔力に反応して空に渦巻く雲の渦。
拙い。撃たせたらこの世界が半壊する。
告げてくる私の直感。私が生きている姿をエノテラ様に見せなくてはいけない。
そうすれば……。
「だから、邪魔するな!!」
過去の口調でオグルに怒る。
言うだけ無駄。彼らが私に攻撃を加えようとすることを止めることはない。
前へと進めない。エノテラ様の傍に行けない。猶予が無いのに邪魔をされるのが鬱陶しい。
「死ね!」
エノテラ様の口から発せられる短い単語。
ダメだった。私が絶望した瞬間に街から避難していたモニカさんの声が聞こえてきた。
「お待ちください、お姉様。一連の実行犯を捕獲・連行して参りましたわ」
絶望の中で生まれた希望。モニカさんの声にエノテラ様が"ぴくっ"と反応をして動きを止める。
モニカさんの手で地面に放り投げられる実行犯。蓑虫? 首から踝迄の身体の部位を麻縄でぐるぐる巻きにされている。
正気に戻ったオグル達。紫の彼らは元来臆病者。
他の色の者達を残して紫のオグルは何処かへと消え去った。
残りは私やエノテラ様。冒険者達がいればどうとでもなるだろう。
……エノテラ様が空に残した魔力。
私が有効活用させて貰うことにした。
引き千切られた右手が持っている杖を左手で剥がして手に持つ。
グロかった。私の身体から離れた自分の部位を見るのは精神衛生上よろしくないものがあった。
深呼吸をして空に杖を掲げる。
「暴食の王」
オグルの残党を喰らう魔法の霧。
数を相当数減少させた。私の体内に残された魔力は後僅か。
残りは冒険者達に一任することに決定。私はエノテラ様の元に歩いていく。
「エノテラ様」
何を思っているのか? 実行犯の顔を眺めて微動だにしない彼女。
私が名前を呼ぶと、ゆっくりと顔を実行犯から私の方に移動させる。
私を見て、留めた彼女からの小さな呟き。私の名前を呼ぶ声。
「アリ……ナ?」
「はい」
「生きて……た? 本当にアリナ? 私の愛玩奴隷のアリナ?」
「はい。エノテラ様の愛玩奴隷のアリナです」
頬の筋肉を緩ませてエノテラ様に笑む。
「アリナ。生きてた。生きててくれた」
エノテラ様の目尻から涙が堰を切った川のように溢れて流れる。
泣いている姿も流麗だなんて反則すぎじゃないだろうか。
「アリナ!! 置いて逝かれたと思った。私も追いかけようと思ったよ」
「エノテラ様……。泣かせてごめんなさい。苦しませてごめんなさい」
「私こそ守れなくてごめんね」
「エノテラ様に怪我が無くて良かったです」
「自分のことも心配して! 大切にして!」
「ごめんなさい……」
「アリナ」
エノテラ様が私の首に腕を回して抱き着いてくる。
啜り泣くエノテラ様の頭を撫でる為に杖を放り投げる。
左手で撫でる彼女の頭。いつもとは立場が逆だ。
疼く母性本能。私はエノテラ様が泣き止む迄彼女をあやし続けた。
*****
右手の復活。泣き止んだエノテラ様に治して……。生やして貰った。
私の右手が喪失していることに気が付いた時の彼女の取り乱しようは酷かった。
悲鳴を上げて、錯乱して、私を叱りつけて治療開始。
こんもりした部位が千切れて開き、肉や骨、神経や血管等が復活していった。
本日2度目。グロかった。見た目だけではない。再生していく感覚・感触も2度と経験をしたくないものだった。
だけども、両腕があることの有難みを痛感した。
大好きな人を両の腕で抱き締めることの喜びを以って。
服迄は再生出来ないようで不格好だけど、そこは止むなし。
エノテラ様を抱き締める私。生きて彼女に接することが出来て良かった。
死を木っ端微塵にしてくれた風。感謝だけでは足りない。
エノテラ様を感じながら私は風の精霊にお礼と祈りを捧げる。
と、この時期らしい冷たいそよ風が私達の身体を優しく撫でるように通り過ぎて行った。