素人の戦い
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
自分は素人だ。
戦いというものについて、自分は素人だ。まず日本には徴兵制度が未だないから、軍事訓練を受けていない。義務教育においても、格闘技や武道を習っていない。体育の授業で柔道の受け身をやったような気がするが、その程度だ。小学、中学のクラブ活動では、スポーツを選択したが、柔道剣道空手レスリングなどの格闘系ではない。高校は、帰宅部だ。筋トレをしていて体格はいいが、格闘技に落とし込む為にやっているわけではない。
好きな映画のアクションにしても、好きな剣豪小説や武侠小説にしても、虚構という前提で見ているから、真似はするが、格闘技や武道の門を叩くきっかけとまではいかなかった。
興味はあるが、自分が熱心に取り組むものではない。
プロスポーツとして日本で成立している、野球、サッカーやバスケ。スポーツとして好きだが、観戦は余り好きじゃない。テレビ観戦はつまらないし、スタジアムに観に行ってもつまらなかった。観ているくらいなら、実際にやりたい。バッティングセンターにはよく行くし、年に1度開かれるグループ対抗戦のソフトボール大会には、積極的に参加している。
スポーツは、観ているより、プレイする方が好きだ。
では、格闘技はどうか。
若かったころ、大みそかの特番は、格闘技大会だらけだった時代がある。
たのしく観戦できた。
ボクシングも大相撲も観る方が好きだ。
格闘技は、やるより観てる方がいい。
つまり、格闘技は、好きであっても、やりたいことではない。
生活圏内にジムや道場が出来ても、へー、できたんだ、というくらいのものだ。
格闘技は習っていない。
平和に生きてきたから、殴り合いのケンカという場面もない。いや、全くないというわけではないが、素人のそれだ。
ずぶの素人だ。
アクション映画や格闘技の大会をそういう目で観ていないから、自分の中に落とし込まれることもない。
何よりもまず、身体を動かすことを前提とした場合、観て覚えるというのは、余程の天才でなければ無理だろう。そして、そのレベルの天才はこの世には、いない。
もしそれが可能なら、洋画を字幕で何十年も観てきているのに、まったく英語ができないのは、どういうことなのか。確かに、そのつもりで観ていないのだから、それはそうなのだが。
ただ、勉強するつもりで活用しているならまだしも、聞き流して覚えられるわけがない。
赤ちゃんは聞いて覚える?
赤ん坊のころの学習能力は特別だ。一緒にするな。
とにかく、格闘技に関して、自分は素人だ。
「それなのに、いきなり突っ込んで、殴りかかったんですか?」
「笑ったんだよ。」
「え?」
「手強そうだなと思っていたら、それを見透かしたように、笑ったんだ。」
「はあ。」
「舐めるなよ、と思ってしまった。」
直後、新太郎の声が聞こえたことは、黙っておいた。秘密主義と言われれば秘密主義だが、新太郎のことをわざわざ言う必要もないと思ったからだ。
「そんな短絡的な感じで突っ込んだんですか?」
「手強いとは思ったが、敵わないとは思わなかったからな。」
「もし敵わなかったら、どうするんですか。」
「倒せたろ。」
「今回はですよね。いつもそうとは限らないじゃないですか。」
「氷河期世代はな、鬱積しているから、物の弾みで、そういう行動を取ってしまうんだ。魔が差すってやつだな。」
「そんな、超人みたいな。」
「緑色にはなってないだろ。」
「でも、超人みたいな暴れ方でしたよ。」
首を横に振りながら中務がそう言うと、川島は笑った。
「そりゃそうだ。素人なんだから、素人のような暴れ方だったろう。ただ力任せの超人のような。」
ただの力任せが通用した。
「相手も、素人だったから通用したのかもな。」
「武道の心得がある幽霊なんて聞いたことないですよ。」
「いや、いるかもしれないぞ?武術に精通したお化け。」
「いたら、少年漫画みたいな展開になりますね。」
「テコ入れされて、バトル漫画になってしまうのかな。」
「誰からテコ入れされるんですか。」
「編集長。」
「いませんよ。」
「着いたぞ。」
路肩(と呼んでもいいのかわからないようなところ)に車を止めて、ふたりは降りた。
トランクを開けると、幾重にもかけられた金縛りによって、雁字搦めにされたものが、身動きが取れないながらも、僅かに蠢いていた。赤いマニキュアが印象的だ。
「しぶといな。」
掴み上げると、慣れた足取りでトンネルに向かう。
「許容量とか、大丈夫なんですかね。」
「大丈夫だ。」
オトコが答える。
携帯のライトがトンネルを照らした。
ポイっとトンネルに放り込むと、スッと奥の暗やみへ吸い込まれていく。
「なんか、やってることがヤクザみたいですよね。」
「映画の観過ぎだろ。」
バタン、とトランクを閉じる。
「どうする?夜景でも見て帰るか?」
「いいですよ。男ふたりで気持ち悪い。」
嫌の方のいいですよの言い方だ。
第6駐車場の怪異は、物理でぼこぼこに殴られて、倒されてしまった。
幽霊がどういう思考回路を持っているのか、わからないが、まさか、物理で倒されるとは思っていなかっただろう。
いや、あれを物理と呼んでいいのか、甚だ疑問だが、見た目は確かに物理攻撃そのものだった。
殴る蹴る。殴る蹴るだ。
「川島さんの除霊って、世間が想像しているものとはかけ離れていますよね。」
「独学だしな。俺はこれしかやり方を知らない。」
「事実は小説より奇なり、ですかね。」
「パネマジを信じて嬢を選んではいけない、だ。」
「(発想が)おじさんですね。」
「おじさんだからな。」
車を発進させる。
「ラーメンでも食って帰るか。」
青竜軒は、日曜定休日だった。




