ソースカツ丼
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
「そうだな…。」
と数秒だけ思案して、例えばだ、と話し始めた。
ソースカツ丼で有名な店があったとする。
目当てはソースカツ丼だから、当然、ソースカツ丼を頼む。
自分が頼んだ後に、誰かがソースカツ丼を頼んだ。
店員が言う。
「申し訳ございません。ソースカツ丼は終わりました。」
ラッキーと思うか、申し訳ないと思うか。
「半々ですかね。」
では、と続ける。
ソースカツ丼にありつけなかった客が、ひどく落ち込んでいる。
どうしてそんなに落ち込んでいるのか、と落ち込む客に誰かが尋ねた。
誰かが…この場合の誰かは誰でもいい。この例え話の目的として、誰が聞いたのかは、問題ではない。阿呆のシネフィルのように、設定に辻褄を求めるな。
「求めてませんよ。」
「顔に出ている。」
どうしてそんなに落ち込んでいるのか、と落ち込む客に誰かが尋ねた。
客は、同情の余地しかない悲惨な半生を語る。作り話だから、悲惨な半生の内容そのものは、思いつかないが、客の背負う哀しみが、ソースカツ丼で救われるという話に帰結したとする。
「想像しにくいですね。」
「仕方ないな。」
ため息をまじえた。
じゃあ、ざっくりと、その客は、その店のソースカツ丼が大好物で、年間300杯も食べていたような男だったが…
「…200杯にしようか?」
「300でいいですよ。」
「じゃあそんな顔をするな。」
「どんな顔ですか。」
「リアリティを求めるシネフィルの顔だ。」
「どんな顔ですか。」
「時を戻そう。」
舌打ちを置き去りにして、話を進める。
大好きなソースカツ丼を年間300杯も食べていた男は、ある時、大きな病気に罹り、健康な体を取り戻すべく、仕方なく、ソースカツ丼を断つことにした。ところが、八方手を尽くしても、病気は善くならない。それどころか悪化して、余命宣告を受けることになった。
生きる為にソースカツ丼を食べないことを選択した男だったが、希望を失った今、ソースカツ丼を食べないことに、意味はなくなった。
「どうぞ、お好きなものを食べてください。」
死ぬ前に、まだ余力があるうちに、ソースカツ丼を食べられる体力があるうちに、男は、最後の晩餐として、当然、ソースカツ丼を選んだ。
病弱だからなのかわからないが、何の気なしに、繁盛する時間帯を外して、男は店に入った。店に行かなくなって、何年も経っていたが、店は当時のままだった。厨房から漂ってくる懐かしいあの匂いで、記憶が一気に蘇る。ああ、ソースカツ丼が食べられる、と期待に胸が膨らむ。
男がやせ細ってしまっていたからなのか、ホールの店員が最近雇ったアルバイトだからなのか、かつての常連客に、店はまだ気づかない。
男は、日本人らしく、手を挙げて、すみません、と店員を呼び止め、注文をする。
「ソースカツ丼をください。」
「すいませんお客さん。ソースカツ丼、終わっちゃいました。」
「譲りますよそんなソースカツ丼!」
「いや、時間差で、お前はもうソースカツ丼をほぼ平らげている。」
「ひどい…。」
「もう一度、尋ねる。ラッキーと思うか?申し訳ないと思うか?」
「申し訳ないですね!!」
「じゃあ、お前が悪いのか?」
「い、いや、僕は悪くないですけど…。」
「でも罪悪感はあるんだよな?」
「はい。」
「それだ。」
「え?」
「それだよ。」
「いや、違いますよ。」
「違わないよ。それだよ。」
「僕が聞きたいどうしようもない悪は、そういうのじゃないですよ。」
「でも、どうしようもない悪だろ?」
「そうですけど。」
腑に落ちない。
「わかってるよ。ジョーカーみたいなヴィランのことだろ?」
「わかってるんじゃないですか。」
『どうしようもない悪が出てくる映画』を中務は知りたかった。
そこで川島は、どうしようもない悪を定義づけするところから始めた。
面倒くさい男たる所以である。
「いっぱいあるよ。」
「例えば?」
「えーと。」
「すぐ出てこーへんのかい!」
魅力のある悪役が出てくる映画、と言えばよかったのかもしれない、と中務は思った。
あいつらにとっての川島さんは、間違いなく悪役だ。
とりわけ、敵対した場合は、とびきりの悪役となる。
慈悲の心を持たない。
そう。あんなにも無慈悲だ。
第6駐車場は、真の意味で、心霊スポットではなくなってしまうのだろう。




